第一話 令嬢と性悪魔法使い その十
それからエミリアは仕事と言って書斎へと引っ込んだ魔法使いを見送ると、身支度を整え、とにかく今夜の寝床を確保せねばと、ベッドのある一室の片付けに取り掛かった。
昨日と同じように、ゴミらしきものとそうでないものに分けていくが、どうもあちこち体が痛くて仕方がない。後でまたゴミらしきものの中からいるものといらないものを魔法使いに分けてもらわねばと思いながら、悲鳴をあげる体に活を入れるべく、立ち上がってぐっと体を伸ばした。そして再び痛む体を堪えて仕分けをはじめようとすると、
「?」
ふと落とした視線の先に、散らばる紙やゴミとは種類の違う黒光りする何かがが転がっているのに気が付いた。じっと目を凝らして見てみると、それは待ち望んでいた鍵の形をしており……。
やった!
なんと二日目の快挙である。エミリアは体の痛みもすっかり忘れて鍵を手に取ると、しみじみ味わうようにそれを見つめた。
それは鎖のような文様が刻まれた鍵であった。どこか重厚で気品すら感じるような作りに、なにかありがたいものでも見つけたような気持ちになると、エミリアはさも大事そうな手つきでそれを扱い、早速魔法使いのもとへと走った。早く知らせてこの喜びを分かち合いたい、そう思ったのである。
だが、魔法使いのいる書斎の扉を開けた瞬間、待っていたのは……。
「……」
魔法使いは、やはりとっ散らかった部屋で、その真中に重く座している机に陣取り、なにやら書き物をしていた。だが、エミリアが部屋へと入り、二人の目と目が合うと、またしても魔法使いはじっと食い入るように彼女の顔を見つめてきたのである。やっぱり顔に穴が開くかと思う程の見つめっぷりであった。
「今度はなんです」
流石に二度目は胸を高まらせるのも馬鹿馬鹿しいので、エミリアは素っ気無くそう言うと、
「……顔が違う」
魔法使いが神妙な面持ちでそう言ってきた。そしてしばし考え込むような素振りを見せ、
「そうか、化粧が落ちたのか」
全ての謎が氷解したかのように魔法使いは頷く。
それにピシッとエミリアの心にひびが入った。
確かに昨日、ベッドへもぐりこんですぐ寝入ってしまったため、化粧を落とすことが出来なかった。なので、昼食が終わった後に漸く洗顔やら歯磨きやらの身支度が整えられ、こうして素顔をさらすことになったのだが……。
そんなに違う?
魔法使いの言葉を否定しようとでもするように、エミリアは近くにかかっていた鏡を覗き込んでくまなく眺め回す。すると、そこに映っていたのは……。
美しさの中に愛らしさも浮かぶ、親しみのある歳相応の顔であった。そう、別に素顔でも彼女は十分美しいのだ。ただ化粧をすると更に輪をかけた、近寄りがたいほどの美が作り出されるから、落とした時にギャップを感じることになるのだろう。だが魔法使いは、
「その顔も、中々いいぞ」
放つ言葉こそ柔らかいが、どこか含みのある笑みを浮かべながらそんなことを言ってくる。どうもそれは、エミリアには誉めているように聞こえず……。誉め言葉すら嫌味に聞こえてしまうのは、実は心の奥底にコンプレックスがくすぶっている為なのだろうか? それともこの人が言うからそう聞こえるのだろうか?
傷ついた心に、エミリアはうじうじそんなことを考えていると、それよりも何よりも、伝えなければならない重要な用件があったことを思い出した。
「そんなことよりも鍵、見つかったんですよ、鍵が。ほら!」
嫌な事はとりあえず忘れて、エミリアは切り替え早くこぼれんばかりの笑みを浮かべると、手にしっかりと握っていた鍵を魔法使いに差し出した。それに魔法使いは俄かには信じがたいような表情をして、胡乱げにそれを見た。
「随分早いな」
「うふふ、日ごろの行いがいいからです」
日ごろの行いなど、物探しにはあまり関係ないような気がするが、そんな事は気にしないらしい、尻尾を振って飼い主の挙動を窺う犬のように、身を乗り出して今か今かと魔法使いの手元にエミリアは注目していた。
それに魔法使いは呆れたような顔をした。
「そんな期待した目で見つめても、たいしたものは出てこないぞ」
そうは言われても、人に頼んでまでも探させた品物なのである、その先に何があるか興味を惹かれない訳がないだろう。
エミリアは痛いほどの視線を魔法使いが手にする鍵に浴びせ掛けながら、それが差し込まれるべく徐々に鍵穴に近づいていく様を見つめていった。そして、今まさにそこに入ろうとしたその時、
「ふふ、残念だな」
鍵は鍵穴に入らなかった。どう見ても鍵は鍵穴よりも大きかった。カチンと音を立てて鍵穴の前で立ち往生する鍵を前に、魔法使いは底冷えするような冷たい笑みを浮かべていた。
「そう簡単に物事は上手くいかないってことだ」
それから魔法使いはそう言って、がっくりと肩を落とすエミリアにぽいっと鍵を投げ渡した。だが不意を突かれたエミリアはそれを受け取ることが出来ず、放物線を描いた鍵は、そのままコツンと彼女の頭にぶつかった。そこは丁度、朝から何故かズキズキと痛んでいた場所で……。
「痛―っ!! 痛い、痛い!」
エミリアはあまりの痛さにうずくまってしまった。どちらかといえば大き目の重い鍵ではあったが、軽く投げたつもりの魔法使いは、エミリアのその様子に唖然としたように見つめていた。
「大げさだな……」
「大げさじゃありませんよ。もう今日は体のあちこちが痛くって、何故か頭まで……。頭は打った覚えないのにどうしてだろう。また、一番痛いところに丁度ぶち当たるし……」
寝違えたのかなあ、それとも筋肉痛なのかなあ、馬車から落ちたりもしたしなあと、エミリアは首を捻りながら呟いた。確かにどの理由にも心当たりはあった。だが、どう考えても頭を打った覚えはなく、何故こんなに痛むのか首を捻るばかりだった。どうも先の理由以外にも痛みの理由があるような気がしてならないのだが、いくら考えを巡らせても、思い当たる出来事はなかったのだ。
「知らないうちに打っていたんだろう」
魔法使いはそう言ってにっこり微笑む。だが、その微笑がどこか不自然なのをエミリアは見逃さなかった。大体この者が微笑んで、今までいい目にあった試しがないのだ。エミリアは何か裏があるのではと勘ぐるような視線を向けた。そして、あることを思い出した。ほんの一瞬の間に去っていったかすかな記憶を。何故か心に引っ掛かって離れない、過去の小さな一言を。
「そういえば昼食の時、何をやっても起きなかったって言いましたよね……」
ポツリとそう漏らした途端、エミリアは何かのパズルが全て合わさったような感覚を覚えた。
何をやっても、
何をやっても、
その言葉が心の中でリフレインするのを感じ取ると、エミリアはきらりと瞳を疑惑の色に染め、ずいっと魔法使いに顔を近づけた。そして、
「一体私に何をしたんです?」
核心に迫るべく、エミリアは魔法使いに問い質す。どんな心の動きも見逃さないという真摯な眼差しだった。
それに魔法使いは不自然な微笑みを浮かべたまま、書類を整えたり書籍を広げたりしてこう言った。
「さて、仕事仕事」
そのあまりにも分かりやすいすっ呆け方に、流石のエミリアも呆れ果て、思いっきり後ろから頭をはたいてやりたい気分になった。