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ひとひらの花びらに思いを(未)  作者: 御山野 小判
第一章 ひとひらの花びらに思いを
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第一話 令嬢と性悪魔法使い その一

 どうしよう……。


 ここはモントアーク伯爵の屋敷の一室、真中に座す天蓋付きの大きなベッドが印象的な、貴族らしく上品にまとめられた内装の部屋であった。ベッドのほかに、衣装ダンス、鏡台、書き物机など、置かれている家具はどれをとっても最高の腕が振るわれていることが分かる一品で、恐らく名のある室内装飾家によってデザインされたのだろう、洗練された空間がそこには広がっていた。


 そんな居室に一人篭り、伯爵令嬢エミリアは檻に閉じ込められたトラの様に、何度も部屋を往復しながら頭を悩ませていた。蜂蜜の様な風合いのつやつやとした金髪の巻き毛、陶器の人形のような滑らかな肌、ほんのりと紅を引いた愛らしい小さな唇。十八歳という年齢ゆえ、未完成な部分は残すが、誰が見てもほう、と溜息をもらす美がそこにあった。


 その彼女が眉根を寄せ、それでも美しい表情を歪ませて、一体何を悩んでいるのだろうか?


 そう、それは今朝の朝食の時だった。


「エミリア、今日はとってもいいお話があるのよ」

 

 朝日がさんさんと降り注ぐダイニングで、ナイフとフォークを手に、ニコニコと微笑みながら、エミリアの母親、シェリルはそう言った。隣に座る父親ヴェルノもシェリルに同調するようにニコニコ笑っている。いかにもとって貼り付けたようなその笑みは、わざとらしさすら感じて、エミリアは食後の紅茶をいただきながら、嫌な予感がよぎっていくのを感じていた。


「なんでしょうお母様」


「結婚がきまりましたのよ」


 相変わらず、二人はニコニコニコと、笑っている。


「ランバート様のことなら、私、ずいぶん前から承知しておりますが」


 結婚の二文字が出ても、エミリアは冷静だった。何故ならエミリアには、器量よし、家柄よし、人柄よしの好青年、レッグスター伯爵家の次男ランバートという婚約者が既にいたのだから。しかし、シェリルは笑みを絶やさぬままこう続けた。


「あれは流れました。お相手は国王陛下です」


 ニコニコニコ


 能天気ともいえる、両親二人の笑顔だった。それを目の前にして見つめながら、流石にエミリアも、この発言には口に含んだ紅茶を吹き出しそうになった。


 本人の預かり知らぬところで、一体いつの間にそんな話が進んでいたのか。何度も言うようであるが、エミリアには既に婚約者がいる、否、いたのに、である。

 

 ランバートとの婚約は、やはり家同士が勝手に決めたものであったが、誰もが認める好条件の彼に、まあ多少押しが弱い部分は眼を瞑るとして、ああ、こんな人と結婚するのもいいかもしれないと、ぼんやり思っていた所であった。確かに、これは恋ではないのかもしれないのだが、エミリアはそれで十分満足していたのだ。

 

 それがいきなり流れ、挙句の果てに国王と結婚しろと? それも、そんな重大なことをのほほんといとも簡単にいってのける両親が信じられなかった。

 

 余りの飛躍についてゆけず、エミリアは言葉を失いそうになりながらも、何とか気を取り直してこう言った。


「お母さま、一体どこでどうなってそういう事になったのですか?」


「この前の舞踏会で、あなたの事を見初めたそうですわ」


 ニコニコニコ


 舞踏会で、国王陛下と親しく言葉を交わした記憶は、ない。過去にも、ない。会場にお出ましになる時、皆一列に並んで、一人一人陛下からお言葉をいただくが、その時ほんの一言二言会話を交わしただけだ。


 だが、エミリアはその美しさから、美の女神フレイヤの涙と呼ばれている。男性ならその姿を見ただけで恋に落ちてしまう人もいるほどの美少女なのである。もしかしたら、国王陛下もその姿に心奪われた一人だったのかもしれない。

 

 国王たっての望みならば、無下に断ることも出来なかったのだろう。勿論我が家から王妃が出ることは、名誉以外のなにものでもなく、それを受け入れることが出来るのなら、これほど嬉しい事はないに違いない。その結果、苦肉の策として、婚約破棄という事態に至ったと考えられる。

 

 ここまでは理解しよう。


 だが、エミリアが納得いかないのは……。


「それで、いつ婚約を?」


「明日の、国王陛下主催のパーティーで、皆様に発表します」


 明日!


 なんという急なことなのだろうか。いや、急と思っているのは今さっき告げられたばかりのエミリアだけで、実は周りでは前から用意周到に計画が進められていたのかもしれない。心の準備の間も与えぬこのやり方は、ぐだぐだ言わせぬための手段なのか。


 まるでぐだぐだ言うだろうことを予想していたかのような両親の手管に、エミリアは怒りがふつふつと湧き上がってきた。なぜならば……。


「お母さま、なんで私が三十も歳の離れたおっさんと結婚しなくてはならないのですか! 大体陛下は一年前に奥様を無くされたばかりじゃないですか! それに、侍女やら貴族の子女やら、若い女性に手を出しまくっていて、いまだお盛んだと窺っておりますが! お后様が亡くなられたのも、その心労が祟ってという噂もあるとか」

 

 エミリアには、夢に描いた結婚像があるのだ。その相手は決しておっさんではなく、女好きでもなく、誠実で真面目な見目麗しい青年像だった。例え国王陛下といえども、これだけは譲れないエミリアの夢なのであった。そこにこそ幸せが待っている、そう思っていたエミリアはとうとう我慢できず、それを知っている筈の両親への怒りに声を荒げて席を立った。

 

 すると、そのまくし立てるような勢いと、国王をおっさん呼ばわりする娘の無礼に対してか、流石のシェリルも一瞬顔を引きつらせる。だが、またすぐ元の微笑みに戻り、


「命令です」


 事も無げに言った。


「お父様!」


 余りにも無体なことを口にするシェリルに何とか言ってもらおうと、相変わらず同調するようただニコニコ笑っているヴェルノに、エミリアは泣きそうな表情で助け舟を求める。だが、


「あきらめろ」


「う……」


 家の為だ、家の為に自分は犠牲になるのだ。相手が国王陛下である限り、これは逃れられない現実なのだ。エミリアはきりきりとひざの上のナプキンを握り締めると、悔しさに唇をかみ締めた。


「お父様も、お母様も、私の幸せなんかこれっぽっちも考えていないのですね!」


 そしてエミリアは怒りと共にテーブルにナプキンを叩きつけると、そこから勢いよく走り去っていったのだった。


 これが、今のこの状態に至る経緯。

 

 ああ、進退谷まるって、こういうことを言うのかしら。

 

 エミリアは切羽詰った自分を感じながら、落ち着け落ち着けと言い聞かせ、苛立つ心を静めようとした。そして何か良い考えを引き出すべく、少ない脳みそを必死で振り絞って悩ませた。

 

 そう、一番強引で手っ取り早いのは、相手が顔を背ける程の粗相を行うか、逃げ出してこの場から姿を消し去ること。


 考えた末導き出された答がこれだった。


 だが、相手が目を背けるほどの粗相というのは、いくらなんでも勇気がいるし、何をどうすればそういう粗相になるのか考えもつかなかった。それならばとりあえず今出来そうな事は、この家から逃げ出すことだろうか。

 

 だがそれは、貴族の令嬢の鏡のように育った、今までの自分からは考えもつかない発想であり……確かに、この最悪の事態を避けることができる可能性が少しでもあるのなら、検討してみることも必要かもしれなかった。だが……。


 考え込んですぐ、エミリアは壁にぶち当たった。どうあがいても無視できない一つの厳しい現実があったのである。


 そう、例え逃げたとしても、その先の見通しが全くないじゃない、と……。   


「うーん」


 ならば、元婚約者であるランバートに助けを求めるというのはどうだろうか。曲がりなりにも婚約していたのだから、少しは愛情ってものがあってもおかしくはない。一緒に逃げるとまではいかなくても、匿ってくれるなり、婚約に対しての何らかの対抗策を練ってくれるなり、何かしら力になってくれるのではないだろうか。


 エミリアは顔を綻ばせながら想像した。か弱き乙女を守る白馬の騎士のごとく、愛する人を助けるだろう彼を。そして、


 さよなら今までの私。

 

 私は古い衣をかなぐり捨て、新しい人生を歩んでゆくのよ。


 いささか不幸な自分に酔いしれながら、エミリアは貴族としての生活と、物分りのいい良い子として生きてきたこれまでの自分に決別する覚悟を固めていた。

 

 婚約発表は明日なのだ、そうと決まっては早速事を起こさねばと、エミリアは緩んだ顔を元に戻すと、外出用の小さなバッグを手に取り侍女達が控えている次の間に顔を出した。


「ティア、ウィートパークへ散歩に行くわよ。一緒に来てちょうだい」


 その言葉に次の間でそれぞれの仕事をしていた侍女達が、一斉にエミリアに注目する。そしてその中から、一人の小柄な女性が慌てて立ち上がった。


「はい、ただいま、お嬢様」


 良家の子女が供も連れずふらふら一人で町を出歩くなどはしたない事この上ない。逃げ出すのだから一人で行くのがいいのだろうが、周りに怪しまれない為にも最初は供を連れて家を出ることは必要だろうと思われた。ティアは侍女の中でも一番従順で大人しい存在だった。後でどうする事も出来るだろうと踏んだのである。


 こういう時、良い子でいた自分に感謝したくなる。まさかこの自分が、家から逃げ出すなんて、そんな大胆なことができる人間だとは誰も思ってもいないに違いない。恐らくそれを警戒して、見張っていたりする者もいないだろう。


 そして予想通り、すれ違う者達は廊下を歩くエミリアに不審の目を向ける事はなかった。ティアでさえ何の疑惑もないようにニコニコ微笑みながら、ちょこちょこエミリアに付き従っている。


 エミリアは鼻歌でも歌いたい気分になった。拍子抜けするほど簡単に、屋敷を出ることに成功しそうな気配だったから。

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