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こんなはずじゃなかった!と言っても契約解除は出来ません

作者: 弍口 いく

 それは王立学園の卒業パーティーで起きた。

 我がシルバーナ王国の王太子チェザーレ殿下が派手にやらかした。


 私ことレジス・シャトピーはこの学園に通う二年生の伯爵令嬢である。事件を特等席で見学することになった。


「この時を持って私チェザーレ・シルバーナはグローリア・アトキンス公爵令嬢との婚約を破棄する」

 パーティーが始まって間もなく、チェザーレ殿下が声高らかに宣言したのだ。その様子はまるで劇を演じる役者さながら、自分の役どころに酔いしれていた。


 場内は騒然としたが、当のグローリア様は眉一つ動かすことはなかった。

 グローリア様はプラチナブロンドにサファイアの瞳、透けるような白い肌のたいそう美しい令嬢だ。容姿だけではなく学園での成績は常にトップ、淑女の鑑と言われる非の打ちどころない令嬢である。


「それは本気でおっしゃっているのですか?」

 グローリア様は毅然とした態度で静かに口を開いた。

「君のそう言うところだ、こんなことを言われても顔色一つ変えないまるで氷の人形だ。私はそのような冷たい女と生涯を共にすることは耐えられない」


 チェザーレ殿下の言葉はまったくもって理不尽だ。将来王妃となるべく厳しい教育を受けてきた彼女は、どんな事態でも動揺してはいけない、常に冷静で品位を損なわないように叩き込まれていることは想像に難くない。


 それに引き換え、将来国王となる予定の王太子は感情的に言い放つ。

「私は真実の愛を知ってしまった。それを教えてくれたのはコンスタンスだ。彼女と新たな婚約を結ぶことに決めた」


 殿下に抱き寄せられたコンスタンスはキリアン伯爵令嬢、ハニーブロンドの巻き毛にペリドットの瞳、パッチリした二重の目にプクッとしたサクランボのような唇が愛らしい庇護欲をそそる少女だ。


 そのコンスタンスと私は、入学以来の親しい付き合いで親友と言える間柄だ。それゆえ、卒業パーティーでこのような事態が発生するかも知れないと彼女から聞かされていた。


 二人のロマンスは既に学園中に知れ渡っている。王太子の浮気に他ならないのだが、周囲にいる生徒たちが口にすることはない。グローリア様のような立派な婚約者がいるにもかかわらず浮気をする不誠実な男でも唯一の王位継承者なのだ。


「婚約破棄、承知いたしました。手続きの方は殿下にお任せしてよろしいでしょうか?」

「言うことはそれだけか?」

「真実の愛の前に、他になに言うことがございましょう、殿下の御心は決まっているようですので、私は従うまでです」

 聡明なグローリア様のことだ、いずれこうなることは予想していたのだろう。


「そうか……」

 グローリア様が王太子妃の座に執着していると思っていたチェザーレ殿下は肩透かしをくらったが、彼女が嫉妬してコンスタンスを苛めたとか危害を加えたことはなかったので、断罪劇にはならない。


「私は失礼させていただいてよろしいでしょうか? 今後のことを父と相談しなければなりませんので」

 グローリア様は気品あふれるカーテシーを披露してから、踵を返した時よろめいた。すかさず護衛騎士が彼女を支える。気丈に振舞っていてもやはり動揺していたのだろう、肩が小刻みに震えていた。去り際の一瞬、グローリア様が笑みを浮かべたように見えたが、きっと最後の強がりだっただろう。


 チェザーレ殿下に抱き寄せられながら、コンスタンスは申し訳なさそうに瞳を潤ませながらグローリア様を見送った。きっと彼女は心を痛めているのだろう。


 以前からチェザーレ殿下は婚約破棄を望んでいた。最初は正規の手続きを踏んで穏便に解消しようとしていたが、王家と公爵家の契約なので、簡単には認めてもらえなかった。その結果、このように公衆の面前での派手な演出が必要だとチェザーレ殿下は考えたらしい。


 場内は騒然としたままだったが、主催者の機転でパーティーは再開された。

 音楽が演奏されるとチェザーレ殿下とコンスタンスは何事もなかったようにダンスをはじめる。幸せそうに踊るコンスタンスを、私は羨望の眼差しで見つめた。


 親友のハッピーエンドを喜んでいたのは本心だが、心の片隅に妬みが潜んでいるのも自覚していた。





 卒業パーティーでの婚約破棄宣言は、王家と公爵家を巻き込む大騒動になったことは言うまでもない。チェザーレ殿下は国王陛下と王妃様に大目玉を喰らったが、グローリア様がすんなり受け入れたことから、アトキンス公爵家に高額の慰謝料を支払うことで婚約解消(・・)は成立した。そして、コンスタンスとの婚約も認められた。


 伯爵令嬢であるコンスタンスは身分的には王太子妃となることに問題はない。それに加え、彼女の成績は常に学年五位以内をキープしており、グローリア様には少々劣るものの、淑女としてマナーも身に着けていたし周囲からの評判も良かった。


 未来の王太子妃として問題はないと判断され、さっそく王太子妃教育がはじまった。





 それから三ヵ月。


「ずいぶんお疲れのようね」

 私は目の下にうっすらとクマが見えるコンスタンスを気遣った。

 王宮の庭園にあるガゼボで私たちはお茶していたが、コンスタンスは食も進まないようでケーキには手をつけていなかった。

 私はもう三個目、コンスタンスを心配しているが遠慮はしない。だって、王宮のパティシエが作るケーキなんて滅多なことでは口には出来ない。これも親友が王太子の婚約者になったお陰だ。


「こんなに大変だとは思わなかったわ」

「しょうがないわよ、十二歳で婚約者になったグローリア様が五年間も受けてきた教育をたった一年で詰め込むことになったんですもの」

 卒業した王太子より一年後輩のコンスタンスが卒業する来年、結婚式が予定されている。それまでに王太子妃教育を終えて、同時進行で結婚式の準備、そしてなにより、無事に卒業資格を得ることが必須なのだ。そりゃ、目の下にクマが出来ても仕方ない。


「私、卒業まで生きていられるかしら、このままだと過労死してしまうわ」

「愛する殿下のために、頑張るしかないんじゃない」

「そうね、そうよね」


 チェザーレ殿下は金髪碧眼でザ・王子様という雰囲気の美丈夫、御多分に漏れずコンスタンスも憧れをいだいた。ふつうならそれだけの事、見目麗しい王子様に恋をした学生時代の淡い思い出になるはずだったが、コンスタンスの美貌はチェザーレ殿下の目に留まった。


 グローリア様が凛とした真紅の薔薇なら、コンスタンスは対照的に可憐なビオラのような少女、隙のない生真面目なグローリア様の傍では気疲れしていたチェザーレ殿下が、癒しタイプのコンスタンスに惹かれたのは自然なことだったのかも知れない。


「あなたは殿下に見初められた幸せ者なんだから、愛する人に愛されて本当にラッキーよ、私なんか……」

 ケーキを口に運ぶ手が止まった。嫌なことを思い出してしまった。

 コンスタンスとは違い、私が愛する人と結ばれることはない、意中の彼は姉の婚約者だ。


「あーっ、出席したくないわ!」

「そうだったわね、ウォーレス様とセシルお姉様の結婚式、一週間後なのよね」


 ウォーレス様は三歳上のエメリー侯爵家嫡男、二歳年上の姉セシルの婚約者だ。いくら思いを寄せても叶うはずのない恋だった。その辛い気持ちを打ち明けたのは親友のコンスタンスだけ、もちろんお姉様は何も知らない。


「二人の幸せな姿を見るのは辛い、結婚式の日は病気になろうかしら」

「そんなことをしたらセシルお姉様が心配なさるわ、仲のいい姉妹なんだから」

「それがまた辛いのよね、お姉様が嫌な奴で仲が悪ければ憎むことも出来るけど、それも出来ないし、侯爵家へ嫁入りしても遊びに来なさいね、なんて人の気も知らないで言ってるし」

 永遠に縁が切れたほうがまだましだ。


「きっと、時間が解決してくれるわ」

「だといいけど……ウォーレス様への想いを燻らせたままじゃ、他に目が行かないし、縁談は山ほど来てるから卒業までに決めなきゃならないけど、どの人もピンとこないのよね」


「シャトピー伯爵家は資産家だから、縁を結びたい家はたくさんあるでしょうね」

「だから問題なのよ、みんなうちの財産目当て、私じゃなくてもいいのよ、私自身を見てくれる人なんかいないのよ」

「そんなことないわよ、きっと本当の運命の人が現れるわよ」

「そうかしら」

「侍女たちが話をしているのを聞いたんだけど、よく当たる占い師がいるらしいわよ」





 それは気紛れだった。占いなんか信じていない、そんなことで運勢が変わるなら、誰もが幸せになれるはずだ。本来はそんな考えだったが、この時は心がかなり弱っていて、なにかに縋りたかった。


 セシルお姉様と初恋の人ウォーレス様の結婚式は迫っている。姉の夫になる人に横恋慕している罪悪感に苛まれながらも気持ちは自由にならないものだ。どうしたらこの彼への想いを消すことが出来るのか? コンスタンスが言うようにウォーレス様以上の、運命の人が現れるのだろうか?


 占いを信じているわけではないが、鬱々と溜まるこの気持ちが少しでも軽くなるなら、そう言うものに頼るのもアリかも知れない。

 私は評判がいいと言う占い師を訪ねることにした。


 コンスタンスに教えられたとおりに探すと占いの館はすぐに見つかった。

 私はその店に入った。そこが地獄への入口だとは知らずに……。





 結婚式の三日前、セシルお姉様が乗っていた馬車が横転した。

 打ち所が悪くてお姉様は亡くなってしまった。

 結婚式は葬式に変わった。


 葬儀が終わって間もなく、私とウォーレス様との婚約が調った。政略結婚とは家と家との結びつき、姉が何らかの事情で結婚できなくなり妹が代わりに嫁ぐことになる話は珍しくなかったが……。


「良かったじゃない、おめでとう」

 その話を聞いたコンスタンスが満面の笑みを浮かべて祝福してくれた時、私は違和感を覚えた。だって、姉を亡くしたのよ、それを手放しで喜ぶなんて……そんな子だったからしら?


「もちろんお姉様は気の毒だったと思うわ、でもお陰で、あなたの望みが叶ったんだもの」

「望みが……叶った」

 その言葉は私を一瞬で凍りつかせた。まさか! まさかそんなことが本当にあるなんて!

 私はあの場所へ急いだ。





「冗談ではなかったの?」

 私はあの日の占い師に迫った。

 黒いマントに身を包み、顔もベールで隠しているから年齢不詳だが、声の感じからは若い女性のようだ。


「そう、契約通りに叶えてあげたのよ、あなたの寿命十年分を頂いて」

「そんなバカな……」

「あらら? 本気にしてなかったの?」

「あんな話、信じられないでしょ、あなたが悪魔で、寿命を渡せば願いを叶えてくれるなんて! 私が落ち込んでいるから冗談で元気付けてくれたのだと……、まさか、本当に悪魔なの?」


「私は下級悪魔よ、大きな力は持っていないから、人間から無理やり魂や寿命を奪い取る力はないのよ、面倒だけど契約して許可をもらわないと……。悲しいかな、たいしたことは出来ない雑魚なのよね。でも、馬を操って暴れさせるくらいのことは出来るけど」


「じゃあ、あの事故は! あなたがお姉様を殺したのね! そんなこと望んでいなかった、お姉様を殺して自分が後釜になるなんて!」

「じゃあ、なにを望んだの?」

「私はウォーレス様に愛されたかったのよ、そして、私を選んでほしかった」

「それなら、そう言ってくれればよかったのに、あなたはこう言ったのよ〝ウォーレス様と結婚したい〟と」


「確かに、そう言ったけど……」

「だからそうなるようにしてあげたじゃない、喪が開けたらウォーレスと結婚できるのでしょ、契約完了よ。そもそもセシルとウォーレスの結婚は家同士の政略結婚だったでしょ、だからウォーレスも相手が姉でも妹でもどちらでもよかった、姉がダメなら妹にスライドする、そうなることがわかっていたから、姉に消えてもらうのが一番手っ取り早い方法だと思ってそうしたまでよ」


 私は愕然とした。

 取り返しのつかないことをしてしまったのだ。


「契約解除は出来ないわよ、もうあなたの寿命十年分はいただいたから。新たにウォーレスから愛されるように契約するなら、また相応の寿命を頂くことになるけど」

「お姉様を返して……」

「それは無理、たとえ上級悪魔でも死者を蘇らせることは出来ないわ」


 私はフラフラと立ち上がった。

「あら、帰るの? 新規契約はいいの? 彼の愛はいらないの? 少しくらいまけてあげるけど」

 悪魔はなにか言っていたが、もう私の耳には入らない。


 もしウォーレス様に愛されたとしても、私がこの先幸せになれることはない。一生、姉を死に追いやったことを後悔しながら生きていかなければならないのだから。


 こんなはずじゃなかった……。



   *   *   *



 チェザーレ殿下に恋心を抱いたのは王立学園に入学して間もなくだった。


 私ことコンスタンス・キリアンは十七歳の伯爵令嬢。特別な権力、豊富な財産など持たない中流貴族の長女である私にとって、王太子殿下は雲の上の人、手の届かない存在なのは重々承知、他の令嬢と同じく、最初はただの憧れだった。


 でも、美しいって罪なのよね。私の美貌は殿下の目に留まった。

 自分で言うのもなんだけど私は美しく生まれた。ハニーブロンドの巻き毛にペリドットの瞳、透き通るような肌にサクランボ色の唇が愛らしい庇護欲をそそる少女だ。それは努力の賜物でもある、殿方は可憐で奥ゆかしい少女がお好みだから、そう見られるように努めている。


 我が伯爵家は裕福ではないからいつも我慢を強いられた。年頃なのだからもっとドレスや宝石が欲しい、素材はいいのだからもっと着飾ってもっと美しくなりたい、でも我が家の家計では無理だった。

 だから少しでも裕福な高位貴族の令息に見初められて、将来は贅沢な暮らしがしたかった。でも、まさか王太子殿下に見初められるとは思ってもいなかった。


 チェザーレ殿下に愛をささやかれた私は舞い上がった。

 私たちは逢瀬を重ね、殿下の甘い言葉に私は酔いしれた。そしてもしかしたら王太子妃になれるのではないかという期待に胸を膨らませた。


 しかし私はしょせんただの遊び相手に過ぎなかった。殿下にとって私との関係は学生時代限定の恋物語くらいにしか思っていない、真実の愛ではなかったのだ。

 公爵令嬢グローリア様との婚約を解消するつもりはないようだった。よく考えればわかる、王家と筆頭公爵家の契約をそう簡単になかったことに出来るはずはない。


 誰にあの場所、悪魔がいる占いの館を紹介してもらったんだっけ? よく覚えてないけど、願いを叶えてくれる占い師がいると小耳に挟んだのよね。

 もちろんそんな眉唾な話をすぐに信じたわけじゃない、でも、チェザーレ殿下への想いに身を焦がしていた私は藁をも掴む気持ちで館のドアを叩いた。


「願いを叶える対価はあなたの寿命よ、そうね、あなたがあと五十年生きるとして、十五年分で手を打つわ、そうすればあなたは王太子殿下に心から愛され、結ばれる」

 悪魔はそう言った。


 十五年の寿命か。

 でもそれでチェザーレ殿下の愛を得ることが出来るのなら……。





「グローリアは完璧すぎるんだ、彼女といると神経が磨り減るようで疲れるんだ、君のように癒してくれる女性が私には必要だ」

 悪魔の言葉通り、チェザーレ殿下は私を本当に愛してくれるようになった。そしてあの婚約破棄宣言。


 グローリア様には悪いことをしたと思っているのよ。でも、思うに、彼女は殿下を愛してはいなかった。所詮は政略結婚、五年の婚約期間、心を通わせたことはないと殿下は言っていたもの。その証拠に、公衆の面前で婚約破棄を言い渡されたのに彼女は涼しい顔であっさり受け入れた。


 私が申し訳ないと思っているのは彼女の矜持に傷をつけたこと、彼女から殿下を奪ったことじゃないわ、愛のない結婚を阻止してあげたんだから、その点は感謝してもらえると思っているくらいだわ。


 これで殿下は私だけのモノ! でも、大手を上げて喜ぶのは体裁が悪い、後ろ指刺されないように、困り果てた顔をして見せた。あくまでチェザーレ殿下が強引に進めたこと、私はそれに従ったまでと言う印象を与えなければならない。心の中ではガッツポーズをしていたけどね。


 殿下は優しい、いつも愛を囁いてくれる、私は幸せだった。そして、真実の愛を手に入れたと有頂天になっていた。その後のことなど考えてもいなかった。


 しかし程なく、私が恋焦がれていた王太子は、私が思っていたような王子様ではなかったことを知ることになる。

 チェザーレ殿下は容姿と性格はいいが、脳みそスカスカであることに気付いた。王太子と言う地位に胡坐をかいているだけの無能な男だった。国を治める能力などない男だが唯一の王位継承者、一人息子に国王も王妃も甘かった。だから側近を超優秀な人材で固めている、それを支える有能な王妃も必要とされる。


 クローディア様が婚約者に選ばれたのは、そんな理由があったのだ。優秀な彼女なら、無能な殿下を支える立派な王妃になれるだろうと期待されていたのだ。その代りが私、だから王太子教育は過酷を極めた。

 その事実に気付いた私は百年の恋も冷めてしまった。


「いまならまだ引き返せるわ、そもそも私は身分の低い伯爵令嬢、未来の王妃に相応しい身分の侯爵、公爵令嬢は何人かいる、契約解除してくれれば殿下も正気に戻るはずだわ、やはりグローリア様を再びって思われるかも知れないし」


 私は悪魔に契約はなかったことにしてほしいと懇願した。しかし、

「魅了の魔法は難しいのよ」

「魅了の魔法?」

「そうよ、王太子があなたの虜になるように魅了の魔法をかけたのよ、だから彼にはあなたしか見えない、あなたを一生手放さないわ」

「そんな……じゃあ、それを解いてよ」

「王太子にかけた魅了は強力だから解くのも難しいわ、そうね、寿命三十年分で手を打つわ」


「三十年! それは多すぎやしない?計算が合わないわよ。かける時は十五年だったじゃない。私の寿命はあと五十年くらいあるあるから、十五年引いてもあと三十五年くらいは王太子に愛されて贅沢な生活が送れると言ったでしょ、かける時は十五年で解くのに倍かかるなんて」


「いいえ、かける時も三十年分頂いたわよ、あなたから十五年、もう一人から十五年」

「もう一人? チェザーレ殿下が私を愛するようにしてほしい人がいたの? なんのために?」


 悪魔は不敵な笑みを浮かべた。

「まさか! グローリア様なの?!」

「守秘義務があるからそれは言えないわ」


 悪魔は口を割らなかったが、グローリア様で間違いないだろう。

 理由は今の私と同じ、過酷な王太子妃教育、無能な王太子を補うために彼の分まで勉強させられているのに労いの言葉一つない、お花畑王太子の相手に疲れ果てたに違いない。

 元々、王家が幼い頃から優秀な彼女に白羽の矢を立てたけど、彼女にとっては大迷惑、でも王命には逆らえなかった。王太子が浮気してくれて万々歳なのだ。


「三十年も持って行かれたら、私に残された寿命は五年ほど? そんな酷いわ」

 もう一度グローリア様に半分協力してほしいとは言えないし、言ったとしてもとぼけられるのがオチだ。

 三十五年も無能なチェザーレ殿下のお守りをして過ごすか、解放されてもたった五年しか寿命は残されていない。どちらにしても詰んでるじゃない!


「じゃあさ、契約者を紹介してよ、一人につき一年換算してあげるから、三十人連れてくれば願いを叶えてあげるわよ。私のように下級悪魔は大した力を持っていないのよ、だから人間から寿命をもらって力をつけている最中、たくさんもらえば中級、上級へとステップアップできるのよ、そうなれば魅了の魔法も簡単に解けるようになるかも」


 悪魔と契約する人間を三十人も紹介しろですって? つまり寿命を削ってでも叶えたい願いがある人間を捜せと言うことなのよね。出来るかしら? いいえ、やるしかないんだわ、そうでなきゃ私の未来は真っ暗よ!


「そうだわ、レジスなら」

 彼女が姉の婚約者に横恋慕していることは知っていた。彼女も彼と結ばれたいと強く願っているはずだわ。


 私はさっそく彼女が悪魔の元へ行くように仕向けた。相手が悪魔だなんて言わない、あくまで噂で聞いたよく当たる占い師だ。だって、私が悪魔との契約でチェザーレ殿下の心を手に入れたなんてことを知られたくないもの。


 案の定、レジスは悪魔と契約した。


 レジスは初恋の人と結婚出来ることになってきっと喜んでいるわ。

 犠牲になったセシルお姉様は気の毒だったけど、可愛い妹のためだもの許してくださるわよね。


 レジスはウォーレス様を手に入れるために何年の寿命を悪魔に売り渡したのかしら? 守秘義務を盾に悪魔は教えてくれないけど、まあ、幸せになれるなら数年の寿命を取られてもかまわないでしょう。

 私は親友のためにいいことをしたわ。


 さて、あと二十九人、モタモタしていられないわ。王立学園を卒業したら結婚することが決まっている。それまでになんとしても契約解除しなければならない。


 男を見る目がなかった私が悪いんだけど、ほんと、こんなはすじゃなかった。



   *   *   *



 私はアトキンス公爵家のグローリア、この春、王立学園を首席で卒業しました。予定通りなら今ごろ元婚約者の王太子チェザーレ殿下と結婚して王太子妃となり、王宮で暮らしているはずでした。


 しかし卒業パーティーの最中、公衆の面前で婚約破棄を言い渡されると言う憂き目に遭いましたの。殿下の横には私とは正反対の可憐で可愛らしい伯爵令嬢コンスタンスが寄り添っていました。そうですわよね、彼の好みはあのようなタイプですから、最初からわかっていましたわ。こちらも殿下のような脳みそ蜂蜜男は願い下げです、王太子が無能なせいで、私は五年間も厳しい王太子妃教育を強いられてきたのですから。


 皆さまの前で恥をかかされた形になりましたが、婚約破棄されたこと自体は僥倖でした。笑いを堪えるのに苦労しましたわ、きっと肩はフルフルと震えていましたでしょうし、口角も上がっていたかも知れません。誰かに気付かれなかったかしら?


 たいそうな額の慰謝料を頂いた手前、嘘でも傷ついたふりをしなくてはなりません。私は傷心を癒すためと称してアトキンス公爵領に引っ込みました。


 別荘のテラスでお茶しながら、ぼんやり花壇の花をただ見ているなんて最高ですわ。王宮にも素晴らしい庭園はありますが、王太子妃教育と王妃様のつまらないお喋りに付き合わされる毎日で、花を愛でるゆとりなどなかったのです。


 二度と王都へ戻るつもりはありません、アトキンス領は豊かで領都はそれなりに賑わっていますし生活に不自由はございません。社交シーズンは王宮主催の舞踏会などあるでしょうが、王家に貸しがある私は欠席しても許されるはずですよね。私はここで平穏な生活を送らせていただきます。


 あの悪魔のお陰です。彼女と出逢ったのは偶然でした。いいえ、出会うべくして出会ったのでしょうか? 彼女は私の負の感情に引き寄せられたと言っていました。


 五年前、顔合わせした時から私はチェザーレ殿下が嫌いでした。整った容姿をしておられ金髪碧眼のキラキラした王子でしたけど、会話するとすぐにスカスカの脳みそが露見しました。そして悲しいかな自分の役割にも気付いてしまいました。好きでもない相手のために私は一生奴隷のように働かされるのだと、たった十二歳で絶望しました。


 父はずいぶん抵抗してくれたようですが、王命には逆らえなません。そして厳しい王太子妃教育がはじまりました。何度逃げ出そうと思ったか知れません。でも、逃げたりしたら父に迷惑がかかりますし、なにより世間知らずの公爵令嬢に逃げる場所などないことも知っていました。そんな鬱々とした日々を過ごしていた時、目の前に悪魔が現れましたの。そして契約しないかと持ち掛けられました。


「どういう契約なのですか? なにをしてくださるの?」

「あなたは王太子との婚約を解消したい、あなたから断ることが出来ないなら、相手に破棄させればいい」

「どうやって?」

「他の女を押し付ければいいのよ、ほら、今お遊びしている伯爵令嬢なんかうってつけじゃない」


「脳みそ蜂蜜と言ってもそこまで愚か者じゃありませんわ、筆頭公爵家と結びつく政略結婚であることは承知しているのですから、コンスタンス様とはあくまでお遊びです、美しいご令嬢だけど本気ではありませんわ」

「そこを本気にさせるのよ、魅了の魔法をかけて彼女に夢中にさせる」

「そんなことが出来るのですか?」


 魂をよこせと言われたら断っていたでしょう。今世で幸せになれなくても、せめて来世があると思いたかったから……。悪魔に魂を売ってしまっては輪廻転生できないと聞きますし。


 ですから寿命十五年と聞いた時は飛びつきました。正確にはコンスタンス様をここへ誘う分を一年と換算して十四年ですけどね。寿命は減ってしまいましたが、チェザーレ殿下の下で一生を尻拭いに費やすなんてまっぴらですわ、離れられて本当に良かったです。


 きっと王都では〝王太子に捨てられた残念な令嬢〟などと言われているでしょうが気にしません。人からなんと言われようと、これからはストレスなくのんびり過ごせますし、きっと長生きできるはずですわ。


「お嬢様、まだこちらにいらしたんですか」

 シルベスターが私を捜していたようです。

 彼は私が王太子の婚約者にされた十二歳の時から、ずっと護衛騎士をしてくれています。私が辛い思いをしてきたのをずっと見ている、単なる護衛としてだけでなく私の心を支えてくれたのです。


「お嬢様はやめてちょうだい、それから敬語も」

「つい癖で」

 彼はそう言いながら、私の頬にそっと口づけをしました。

「貴女と結婚できるなんて、まだ夢のようで」

「夢ではありませんわ、一か月後には結婚式なのですから」


 私はシルベスターと結婚します。お互い結ばれることはないとあきらめていた恋でしたが、チェザーレ殿下がやらかしてくれたおかげで、身分違いの恋を成就させることが出来ます。


 彼は子爵家の三男で二十六歳、今は騎士爵の身分ですが、父に無理を言ってアトキンス公爵家が保有する伯爵位と領地の一部を譲り受けて婿入りすることになりました。五年前、王家からの打診を断り切れずにおバカな王太子の婚約者にしてしまったことを父は後悔していました。五年間の苦労も、私が陰で涙を流していたことも知っています、だから傷ついた私の我儘を聞き入れてくださいました。


「一生、大事にします」

 八歳年上の彼は、同い年の王太子殿下とは比べものにならない大人の男性、頼りになりますし、私をとことん甘やかして大切にしてくれます。

 きっと私を幸せにしてくれますわ。


 うふふっ、コンスタンス様はそろそろ気付く頃じゃないかしら、チェザーレ殿下の本性に……。そして、きっと思っているでしょうね。


〝こんなはずじゃなかった〟って……。


   おしまい


最後まで読んできただき、ありがとうございました。

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