港町
「カレヴィ、街に出かけてみない?」
ある日、カレヴィはリーゼルから外出の誘いを受けた。
「いま着ている服は、みんな、お父様のお古でしょう? 誂えるのは時間がかかるから、街の古着屋さんに女物の服を買いに行きましょうか」
肉体が女に変化したとはいえ、カレヴィは女性としては大柄な為、リーゼルやエリナの服は着られなかった。やむを得ずオットーの服を借りているのだが、カレヴィ自身は特に不都合を感じていない。
しかし、リーゼルからすると、それは「可哀想」に思えるらしい。
「分かった。気遣い、感謝する。散歩にもなるし、丁度いいと思う」
カレヴィに、彼女の申し出を断る選択肢はなかった。
オットーとエリナに見送られ、カレヴィはリーゼルと共にキュステの商店街へと出かけた。
島国であるブルーメ王国は、大陸と他の地域を結ぶ貿易の中継地の一つで、また風光明媚な観光地も多く存在するという。
その為、人の流れも物流も盛んであり、特に港町であるキュステは常に賑わっているらしい。
カレヴィは、沈んだ雰囲気の故国タイヴァスの帝都とキュステとの違いに驚いた。
「着いたわ。ここは古着を扱っているけど、状態のいいものを選りすぐっているのよ」
目当ての古着屋に着くと、リーゼルが言った。
たしかに、陳列されている服は、何も言われなければ新品に見えるものばかりだ。
「いらっしゃい、おお、リーゼルちゃんか。お父さんは、お元気かね」
店の主人であろう中年男が、愛想よく出迎えた。
「こんにちは。ええ、父が、おじさんによろしくと言ってました」
リーゼルも、にっこりと笑って挨拶を交わした。
「今日は、何が入用かね。リーゼルちゃんなら、勉強させてもらうよ。オットーさんには世話になったからね」
「ふふ、ありがとう。この人の普段着を買いに来たの」
主人とリーゼルのやりとりを見て、二人は顔なじみなのだろうと、カレヴィは思った。
「ほぅ、すごい別嬪さんだね」
カレヴィの姿を見た主人が、目を丸くした。客に対する世辞というよりは、思ったことが、うっかり口から出てしまった様子だ。
「もしかして、彼女が、リーゼルちゃんのところで助けたって遭難者かい?」
「ええ。綺麗な人だから、綺麗な格好が似合うと思って」
「そうかい、そっちの姉さんは背が高いから、寸法が合いそうなものを探してくるよ。ああ、気に入ったものがあれば、遠慮なく試着していいからね」
主人は、そう言って店の奥へと引っ込んだ。
一方、リーゼルは陳列されているドレスの中から一着を手に取り、カレヴィに宛がった。
「カレヴィ、これなんか素敵じゃない? ちょっと着てみたら?」
鮮やかな赤い生地でできたドレスには、ひだ飾りが胸元や裾に使われていて、見るからに華やかだ。
「少し派手じゃないか……」
カレヴィにとって、赤や桃色といった色は女が身に着けるものだった。しかし、今の自分は他人から見れば女でしかないことを、彼は思い出した。
「絶対、似合うと思うけどな……」
否定されたと思ったのか、少し残念そうなリーゼルを見て、カレヴィは言った。
「では、着るだけ着てみよう」
カレヴィはドレスを受け取り、試着室へ入ったものの、着方が分からず、結局はリーゼルに手伝ってもらいながら着替えた。
「わぁ、やっぱり素敵ね。黒髪に赤いドレスが映えて、とても綺麗よ。丈が長いかと思ったけど、カレヴィは背が高いから、ぴったりね」
リーゼルに、そう言われながら、カレヴィは壁に掛けられている姿見を見た。
鏡に映っているのは、すらりとした艶やかな美女だ。リーゼルの言う通り、黒い髪と身体の線に沿った赤いドレスの組み合わせが、艶めかしさを醸し出している。
目の前にあるのは確かに自分の姿なのに、カレヴィは、その事実を、すんなりと飲み込めなかった。
――ああ、きっと、心まで女にされていたなら、華やかに着飾るのも楽しいと思えるのだろう。モルティスが私の肉体だけを女に変えたのは、全くもって酷い嫌がらせだ。年季の入った魔女だけあって、人が嫌がることも、よく分かっているということか。
リーゼルは、店の主人が出してきた服を次々とカレヴィに着せては、はしゃいでいる。
「自分の服を選ぶのもいいけど、他の人に見立ててあげるのも面白いね」
カレヴィは複雑な気持ちになりながらも、楽しそうなリーゼルに水を差さないようにと、無理に微笑んでみせた。
購入を決めた品物が結構な量になったのを見て、カレヴィは少し狼狽えた。
「こ、こんなに、いいのか?」
「うん、予算内だから心配ないわよ」
事もなげに言って、リーゼルが満足そうに笑った。
「持ち帰るのは大変だろうから、品物は後で家まで届けさせるよ」
会計を済ませると、店の主人が言った。
彼の言葉に甘えることにしたカレヴィとリーゼルは、帰路に着いた。
商店街には、衣料品の他にも、食料品や香辛料、貴金属を扱う店や、普通の料理から甘味まで様々な料理を出す食堂などが軒を連ねている。
「家に帰る前に、お茶でも飲んでいきましょうか。美味しいお菓子を出すお店があるの」
「ほう、そういう店には行ったことがないな。もちろん、付き合うぞ」
「そうなの? ずいぶん、厳しい生活をしていたのね」
「思えば、ここに来る前は武術の修練や任務に明け暮れていて、のんびりと過ごすことなどなかったからな」
――修練や任務の日々……それ自体に不満はなかったが、このような穏やかな世界もあるということか……
二人は、ゆったりと街を歩きながら、そんな話をしていた。
と、背後から、硝子の割れるような破壊音が響いた。
反射的に振り向いたカレヴィの目に、片手で袋のような荷物を抱え、もう一方の手には短剣を握った男の疾走してくる姿が映った。
――あれは……強盗か?!
男は、見る間にカレヴィとリーゼルの立っている方へと接近してきた。カレヴィでも、思わず目を見張るような脚の速さだ。
危険を感じたカレヴィは、咄嗟に男からリーゼルを庇うように立ち塞がった。
目の前に迫った男の手を、カレヴィは手刀で打ち砕いた。
男は激痛に短剣を取り落とし、信じられないという表情を見せた。
その顔面に、間髪を入れず、カレヴィの膝蹴りが突き刺さった。
鼻血を噴きながら仰向けに倒れる男の姿に、一瞬遅れて周囲の人々が驚きの声をあげる。
誰かが呼んだのか、駆けつけた警備兵たちによって男は連行されていった。
カレヴィは小さく息をつくと、リーゼルの方を振り返った。
彼女は両手で口元を覆い、大きな目を更に大きく見開いて、カレヴィを見ている。
――彼女は荒事とは無縁の子だ……怖がらせてしまっただろうか。だが、気付いた時には、身体が勝手に動いていた……
「驚かせてしまったな。奴は刃物を持っていたから、君に何かあるといけないと思って……」
カレヴィは、ぼそぼそと言った。
「け、怪我してない? 大丈夫?」
我に返った様子のリーゼルが、カレヴィに駆け寄った。
「それはない。あれくらいで負傷する程やわではない」
カレヴィが本当に無傷なのか確かめるように、リーゼルは彼の全身を眺め回した。
「病み上がりなんだから、無茶したら駄目よ」
「ああ……すまん」
少し唇を尖らせるリーゼルを見て、カレヴィは思わず首を竦めた。
「でも……」
リーゼルは、カレヴィの顔を見上げ、微笑んだ。その頬は淡い薔薇色に染まっている。
「すごく格好よかった。守ってくれて、ありがとう」
彼女の言葉を聞いたカレヴィは、任務で手柄を立てて称賛されたときなどとは比べ物にならない程に胸が高鳴った。
何を言えばいいのか分からなくなり、彼は無言で頭を掻いた。