愛と居場所と
カレヴィは新生タイヴァスの王座に就いた。
法整備や議会制政治への移行など実務的なことは、頭領トゥ―レを中心とした、解放軍「カピナ」の幹部たちや、残った元官僚たちが行い、カレヴィは、各地を巡って国が生まれ変わることの周知を役目としていた。
長年タイヴァスを蝕んでいた魔女モルティスを討ったカレヴィは、国民たちにとって英雄そのものであり、どこへ行っても下へも置かぬ扱いを受けた。
ティボーは国防の為の武芸指南、イリヤは傷ついたり病んだりした人々を治癒呪文により癒すことで、タイヴァス復興を助けた。
そして、モルティスが周辺諸国から奪った領土も、順次返還されることになった。
イリヤの故郷ジーマも、奪われていた魔結晶鉱山地帯を返還されたことで、経済的な余裕が生まれ、滞っていた復興が加速しつつある。
また他国への干渉は行わないとしていた魔法都市ルミナスだが、「支援」として、モルティスの魔法で汚染された土地の浄化部隊をエテルナ大陸へ派遣した。これは、カレヴィと魔術師議会代表イグニスの繋がりによるものだ。
月日は瞬く間に流れ、気付けば二年が経過していた。
議会制政治の仕組みや法整備など国の土台が整ったところで、カレヴィは統治者の座をタイヴァス共和国議会へと禅譲し、王位を降りた。
彼の退位を惜しむ国民も多かったものの、カレヴィの「これからは、皆が国のことを考え、作っていくのだ」という言葉に納得した。
役目を終えたカレヴィは、リーゼルとの約束通り、キュステに帰る日を迎えた。
「国としての体裁は整えたが、経済や外交など問題が山積みだ。これから先も、カレヴィ殿に頼らせてもらうことがあると思う。『英雄』である君の発言力は、まだまだ大きいからね」
見送りに来たトゥ―レの言葉に、カレヴィは微笑んだ。
「その時は、遠慮せず声をかけてほしい。私にとって、タイヴァスは大切な故郷だ。しかし、同じくらい大切なものができたのだ」
「そうだったな。カレヴィ殿の人生に幸多からんことを祈ろう」
「ところで、ティボーとイリヤは、まだタイヴァスに残るのか?」
カレヴィは、やはり見送りに来ていたティボーとイリヤを振り返った。
「そうだねぇ、僕は根無し草みたいなものだし、このままタイヴァスに留まるのも有りかなと思ってる。ここにいたほうが、君とも連絡を取りやすそうだしね」
「そうか。……君には、その……騙すようなことをしてしまって悪かったと思っている」
ティボーを前に、カレヴィは、かつて旅を共にした日々を思い出して、眉尻を下げた。
「騙す? ああ、本当は男だというのを黙っていたことか。もう、気にしていないよ。生きていれば、失恋なんてよくあることだしさ」
快活に笑うティボーを見て、カレヴィは小さく息をついた。
「そう言ってもらえると助かる……君とは、これからも友人として付き合っていきたい。もちろん、イリヤもだ」
「友達に『元王様』がいるなんて、滅多にあることじゃないしな」
イリヤが、片方の口角を上げて言った。
「俺は、そのうちジーマに戻ろうと思ってる。ドミトリ先生の孤児院を手伝うか、返還された魔結晶鉱山地帯で働くのもいいかな」
「ああ、イリヤほどの治癒術師なら、どこへ行っても頼りにされるだろう」
カレヴィが言うと、イリヤは照れ臭そうに頭を掻いた。
「それじゃあ、リーゼルによろしく」
「結婚式には呼んでくれよな」
ティボーとイリヤに、そう言われて、カレヴィは顔を赤らめた。
「ふふ、少し気が早い気もするが……その時は招待させてもらおう」
仲間たちと別れたカレヴィは、タイヴァスの港からキュステ行きの船に乗った。
モルティスが統治していた頃は、タイヴァスとブルーメ王国に国交がなく、当然、二国間を結ぶ航路もなかった。しかし、新体制になり国交が結ばれた為、行き来が容易になったのだ。
自治都市バイーアを経由することを考えれば、移動時間は半分以下になった訳だが、それでも、カレヴィにとっては長い船旅だった。
ようやく船がキュステの港町に到着すると、カレヴィは真っすぐにリーゼルたちの住む家に向かった。
夢の中で走っている時のように、一歩一歩がもどかしく思える中、カレヴィは、見慣れた家の前に辿り着いた。
カレヴィが玄関の扉を叩こうとした時、がちゃりと鍵の外れる音がした。
開いた扉から顔を覗かせたのは、リーゼルだった。
カレヴィとリーゼルは、しばしの間、互いに見つめ合っていた。
「……ただいま」
カレヴィは、思い出したように言った。
「おかえりなさい」
そう言うと、リーゼルはカレヴィの胸に飛び込んだ。
彼女を受け止め、抱きしめながら、その柔らかで華奢な身体の感触は変わっていないと、カレヴィは懐かしくなった。
イグニスから贈られた、遠隔通信用の魔導具で通話はしていたが、二人が実際に顔を合わせるのは、二年ぶりだった。
「そろそろカレヴィが帰ってくる気がしたんだけど、ぴったりで驚いたわ」
「君は勘がいいな。それにしても、綺麗になったな。大人っぽくなったというか」
カレヴィが言うと、リーゼルは耳まで赤くなった。
「カレヴィに、そんなこと言われるなんて……あなたも、大人になったということかしら」
「二年の間、様々な人たちの間で揉まれたからな。だが、君に世辞を言ったりはしないぞ」
「そういうところは、変わってないね」
二人が笑い合っているところに、オットーとエリナもやってきた。
「ただいま、戻りました。お二人とも、お変わりないようで何よりです」
老夫婦の元気そうな様子に、カレヴィは安堵した。
「おかえり、カレヴィ。今日、君が帰ってくる予定だったから、リーゼルが落ち着かなくてねぇ。ずっと、家の中をぐるぐる歩いていたんだよ」
「お父様、そういうこと言わなくていいから」
わははと笑うオットーに、リーゼルが軽く頬を膨らませる。
そんな「家族」らしい光景が、カレヴィの心を和ませた。
「そんなところで立ち話してないで、お入りなさいな」
エリナに促され、カレヴィは一家と共に家へ入った。
彼らが、以前と変わらず、当たり前のように自分を「家族」として扱ってくれることに、カレヴィは胸が締めつけられるような感覚を覚えた。
――ああ、帰る場所があるというのは、何と幸せなことなのか。
「カレヴィ、夕食で、何か食べたいものはある?」
物思いに耽っていたカレヴィは、リーゼルの声で我に返った。
「そうだな、君の作った、肉と香草のスープが食べたい」
「カレヴィの好物ね、任せといて」
にっこりと笑うリーゼルが、カレヴィには眩しく見えた。
その後、カレヴィは、ごく自然にリーゼルと結婚し、オットーとエリナに見守られながら、幸せな家庭を築いた。
魔法の知識を生かして魔導具を扱う事業を始めたリーゼルを手伝いつつ、時折トゥ―レたちから要請を受けてタイヴァスを訪れたりと、彼は忙しくも充実した日々を送った。
タイヴァスに残ったティボーや、ジーマに帰って鉱山地帯で治癒術師として地域の人々の為に働いているイリヤとも、カレヴィは頻繁に連絡を取り、互いに行き来するなどの付き合いは続いている。
時が経てば、カレヴィの人生も、悪い魔女を退治した英雄の御伽話になるのかもしれない。
だが、彼は今、たしかに生きている。
苦難の果てに掴み取った居場所で、愛する人と共に。
【了】