一騎当千
腕の中のリーゼルを見つめるカレヴィの脳内には、あらゆる思考が渦巻いていた。
後方から魔法でモルティスの動きを抑えていた筈の彼女が、何故ここにいるのか。
自分を庇って重傷を負ったリーゼルを連れて逃げるべきなのか。
――いや、彼女は、私が目的を果たせるよう、自らを盾にして守ってくれたのだ。それを無駄にはできない!
実際には一秒にも満たない時間、だが永遠とも思える時の流れの中で思考していたカレヴィは、全身の骨が軋み、捻じ切られそうな激痛に襲われた。
カレヴィは、その痛みで我に返り、腕の中のリーゼルを、そっと地面に降ろした。
剣を構え直してモルティスに斬りかかろうとした彼の前に、更に召喚された巨大な魔物が壁の如く立ち塞がる。
一抱えほどもありそうな太さの触手や、鋭い鉤爪や牙、あらゆるものがカレヴィを捻じ伏せ擦り潰そうと迫った。
彼は動ずることなく、大地を踏みしめ渾身の力で横薙ぎに剣を一閃させる。
カレヴィの放った、空間自体すら切り裂くのではないかと思われる剣圧が、巨躯を誇る魔物たちを木っ端微塵にした。
それは、「一騎当千」の名に違わない、彼本来の力だった。
間髪を入れず、カレヴィは神速と言われた踏み込みでモルティスに迫った。
目の前の状況が信じられないとでも言いたげな表情で立ち尽くしているモルティスを、カレヴィは袈裟懸けに両断した。
溢れた魔女の血が、カレヴィに降りかかる。
真っ二つになったモルティスを見下ろし、小さく息をついたカレヴィは、彼女に、まだ意識が残っているらしきことに気付いた。
カレヴィは警戒しながら、横たわるモルティスに近付いた。
力を失ったのか、美しかった筈の彼女の姿は、見る影もなくなっている。
輝くばかりだった銀色の髪は白く濁り、その顔には、実年齢相応の皺が刻まれていた。
「……アウロラ……なぜ……彼奴を庇うなど……」
焦点の合わない紫色の目で虚空を見つめながら、モルティスは譫言のように呟いている。
「言ったところで、貴様には分かるまい」
カレヴィが言った時、モルティスは既に事切れていた。
召喚者が倒された為か、魔物たちは、いつの間にか雲散霧消していた。
リーゼルが重傷を負っていたのを思い出し、カレヴィは、彼女の許へ駆け寄った。
地面に横たえられたリーゼルの傍には、イリヤとティボーが付き添っている。
「リーゼルには、今、イリヤが治癒呪文をかけてるよ」
傷だらけのティボーが、カレヴィに言った。
「……って、カレヴィ、なんか大きくなってない? というか、全体的に見た目が変わってる……?」
隣に屈み込んだカレヴィを見て、ティボーが驚いたように何度も瞬きをしている。
カレヴィは、自分の身体を見下ろしてみた。
見覚えのある、筋肉質な肩や逞しい腕――胸元にあるのは柔らかな膨らみではなく、盛り上がった胸筋だ。
上半身の衣服が弾け飛んでしまった為、半裸の状態になっている彼は、自身が元の――男の肉体を取り戻していることに気付いた。
思えば、リーゼルの血を浴びた直後に放った剣による一閃は、女の肉体では到底繰り出せないであろう一撃だった。
――モルティスの血縁であるリーゼルの血が、あの時、既に私の呪いを解いていたというのか?
今になって思い至った事実にカレヴィが衝撃を受けている一方で、イリヤはリーゼルに対し何度も最上級の治癒呪文を詠唱していた。
多くの血液を失い、蒼白な顔で身動きすらしていなかったリーゼルだが、その頬に少しずつ赤みが差してきている。
やがて、彼女は薄らと目を開けた。
「リーゼル!」
思わず叫んだカレヴィは、自身の声が、男のそれに戻っているのに気付いた。
「……カレヴィ?」
リーゼルが、カレヴィの顔を不思議そうに見上げた。
「私が、分かるのか? 君のお陰で、元の姿に戻れたのだ」
カレヴィが、そっとリーゼルの手を握ると、彼女は微笑んだ。
「うん……随分と大きくなっちゃってるし、声も違うけど……カレヴィだということは分かるよ……」
言って、リーゼルは起き上がろうとしたものの、身体に力が入らない様子だった。
カレヴィは、地面に倒れそうになったリーゼルの身体を支え、そのまま抱きしめた。
「だが、あんな無茶をして……君が死んでしまったら、私は……」
腕の中のリーゼルが、あまりに華奢で小さいことに驚きながら、カレヴィは涙を流した。
「あの時、詠唱できた一番短い呪文が、視界の範囲内で瞬間移動できるというやつだったから……でも、殆ど何も考えてなかったかもしれない」
答えながら、リーゼルはカレヴィの胸に顔を埋めた。
「傷は塞がってるけど、出血が多かったから、しばらくは大人しくしとけよ……」
そう言ったイリヤが、突然、地面に倒れ伏した。
「イリヤ、大丈夫かい?」
ティボーが慌てて抱き起こすと、イリヤは鼻血を流して、ぐったりしている。
「もしかして、魔法の使い過ぎ?」
リーゼルが、心配そうにイリヤを見やった。
「魔法を何度も使うと、やはり身体に負担がかかるのか?」
カレヴィは、首を傾げた。魔法の素養のない彼にとっては、想像のつかない事態だった。
「うん……短時間に大量の『魔素』を扱って限界を超えると、身体に負担がかかって昏倒したり、場合によっては死ぬこともあるの」
「そうなのか……魔術師も、何の危険もなく魔法を使っている訳ではないのか」
リーゼルの説明に、今更ながらカレヴィは驚いた。
「……縁起でもないこと言うなよ……これくらい、休んでれば治るっての」
ティボーに抱きかかえられているイリヤが、目を開けて言った。
「私の為に、治癒呪文を限界まで使ってくれたんだものね。ありがとう、イリヤ」
リーゼルの言葉に、イリヤは少し照れたような笑いを浮かべた。
「戦闘の前に、予め防御力を高める魔法を使っておいたからな、あれがなければ危なかったと思うぜ」
「イリヤは、僕たちの生命線だね」
ティボーが、何度も頷きながら言った。
「まぁ、ティボーが守ってくれてなけりゃ、俺なんて、あっという間に死んでたけどな……」
そう言うと、イリヤは目を閉じた。疲労に勝てず、眠ってしまった様子だ。
――とうとう目的を果たすことができた……だが、これは仲間たちの力あってのことだ。
カレヴィは、愛すべき仲間たちの姿を見ながら、再び目の奥が熱くなるのを感じた。