因果
「お断りよ」
カレヴィですら背筋が凍りそうな冷たい声で、リーゼルが言った。
「よく考えてみよ。私と其方の力を合わせたなら、大陸全土、ひいては世界を手に入れられるやも知れぬのだぞ。これほど美味い話はないであろう?」
モルティスが、不思議そうにリーゼルを見た。
「私は、そんなもの欲しくない」
言って、リーゼルが首を横に振った。
「何故だ! 『あの人』も娘も、何でもしてやって何もかも与えてやったというのに去ってしまった……其方も欲しくないというのか、あらゆる贅沢や財宝や権力が」
心底、リーゼルの言葉の意味が分からないという様子で、モルティスが言った。
「あなたが、どうして恋人や娘に去られてしまったのか、分かった気がする。あなたは相手を支配したいだけ。支配したいから自分の気持ちを押しつけて縛り付けようとするのでしょう。本当に相手のことを思うなら、どこにも行けないように閉じ込めたりなんてできない筈よ。そんなことをしたら、相手が苦しむもの」
淡々と話すリーゼルを見つめるモルティスの表情が、次第に険しくなっていく。
「訳の分からぬことを……だが、其方が私を拒むのであれば、排除する他なかろう」
苛立ちを露わにしたモルティスが、再び指を鳴らすと同時に、辺り一帯の空気が歪んだ。
次の瞬間、様々な生き物の特徴を継ぎ接ぎしたかのような異形の魔物たちが、地面から何体も湧き出るように出現した。
いずれも見上げるような巨躯を持つ魔物たちに、カレヴィたちは、たまゆら圧倒された。
「術者を囲んで陣形を整えろ!攻撃に備えるんだ!」
カレヴィの声と共に、我に返った前衛たちがリーゼルら術者を守るように囲んだ。
「嘘だろ、魔女は呪文の詠唱なしで魔法を……?!」
「あれは『置き魔法』……予め呪文を唱えておいて、好きな時に発動させる高等技術よ」
驚きで目を見張るイリヤに、リーゼルが言った。
――一夜でジーマの鉱山集落を滅ぼしたモルティスの魔法であれば、我々を一撃で消し飛ばすことも可能な筈……もしや、本拠地である月の塔や城などを、広範囲の攻撃呪文で破壊するのを避けたいのか? だとすれば、つけ入る隙はある……
そう考えてカレヴィが剣を構えた時、背後から彼らの頭上を飛び越え、巨大な火球が飛来した。
火球は轟音と共に、魔物の一体へ命中した。
致命傷こそ与えられなかった様子だが、痛みの為か魔物は怒りの咆哮をあげ、動きを止めた。
カレヴィは、すかさず飛び出し、起動させた「振動剣」で、もがいている魔物を両断した。
それを皮切りに、ティボーやアーロを始めとする前衛も動き出す。
剣を振るう前衛たちを援護するように、リーゼルが光の槍の呪文で魔物たちを攻撃し、イリヤは前衛たちを守る不可視の防御壁を展開した。
「モルティス、王城は我々が制圧した。いや、城内の者たちが明け渡したのだ。この国に、貴様に味方する者は、もはや存在しないぞ」
いつの間にか、カレヴィたちの背後には、駆けつけた「カピナ」の戦闘員たちと、彼らを率いる頭領、トゥ―レの姿があった。その中には、城内の警備にあたっていた筈の兵士らしき者たちも、大勢交じっている様子だ。
トゥ―レも手にした杖を魔物たちに向け、火球の呪文を詠唱し始めた。
剣や槍などの近接武器を手にした者たちは、カレヴィたちの加勢をするべく魔物の群れに向かっていく。
「何だと……其方たち、何をしておる! 城の守りを放棄し、剰え反逆者どもの味方をするとは!」
彼女にとっては想定外の状況なのだろう、それまで余裕を見せていたモルティスが、初めて怒りを露わにした。
「本当に、こうなった理由が分からないのか! 全ては、貴様自身の行いが返ってきた、それだけのことだ!」
剣を振るい、次々に魔物を屠りながら、カレヴィは叫んだ。
モルティスの「置き魔法」による魔物たちの召喚は続いていたが、カレヴィたちの猛攻により、それらも徐々にではあるものの数を減らされている。
業を煮やしたのか、モルティスが、何か呪文を詠唱し始めた。
「来るぞ! 防御壁を展開できる奴は全力でやれ!」
モルティスの呪文詠唱を察知した誰かが叫んだ。
「遅いわ!」
モルティスが呪文の詠唱を終えると同時に、空が一瞬暗くなり、カレヴィたちの頭上に「裁きの光」と同じ紫色の光が閃いた。
その場の全員が閃光に灼かれるかと思われた刹那、地上から白い稲妻の如き光が立ち昇り、カレヴィたちに降り注がんとしていた紫色の光を相殺した。
白い稲妻を発生させたのは、リーゼルの呪文だった。
「アウロラ……おのれ!」
モルティスは、リーゼルを真の名だというアウロラと呼んだ。その顔には、怒りと憎悪、そして驚きが満ちていた。
「モルティスの魔法は私が抑える! カレヴィは、あいつを倒して!」
そう言って、リーゼルは次々と光の槍や火球を生み出す呪文を唱え、モルティスに向けて放った。
モルティスは、リーゼルの魔法への対処に手を取られ、思うようにカレヴィたちを攻撃することができない様子だ。
高位の魔術師同士の戦闘は、やがて地獄絵図と化した。
魔法が生み出す閃光や炎に照らされながら、カレヴィは立ち塞がる魔物たちを切り伏せ、モルティスに近付いていった。
あと一足でモルティスを攻撃可能な間合いに入る――カレヴィが踏み込もうとした、その時。
「……そうか、私の『血』を欲しているのか。だが、無駄だ!」
指を鳴らす音と共にモルティスの周囲の空気が歪んだかと思うと、虚空に出現した、幾つかの渦巻く闇の中から、漆黒の剣がカレヴィに向かって飛来した。
全力で踏み込んだカレヴィに、それらを避ける術はなかった。
――これも「置き魔法」か……?! せめて、モルティスに一太刀浴びせなければ……!
飛んでくる剣の軌道まで認識できるのに、身体は思うように動かない――カレヴィは、止まった時の中にいるかのような感覚を覚えた。
不意に視界が影に覆われ、カレヴィは自分の身体に温かなものが降りかかるのを感じた。
彼の腕の中に、どさりと倒れ込んできたのは、血に塗れたリーゼルだった。