対峙
「魔導炉」を破壊したカレヴィたちは、上の階で待っていたアーロたちと合流した。
動力の供給が止まった為、塔の中の、あらゆる魔導具が沈黙している。
室内を照らしていた魔導灯も消え、地下階に響いていた魔導具特有の奇妙な駆動音も聞こえない。
「モルティスも異常事態に気付いている筈だ。どうする、魔女は最上階にいる可能性が高いのだろう?」
アーロがカレヴィに声をかけた時、複数の人間が階段を駆け下りてくる足音が聞こえてきた。
何事かとカレヴィたちは足音の方向に目を向けた。
ほぼ同時に、彼らのいる部屋に繋がる階段から、数人の使用人らしき者たちが転がるように飛び出してきた。
カレヴィは認識阻害魔導具の効果を解除し、使用人たちの前に姿を現した。
「ひいッ!」
突然現れたカレヴィの姿を見て、使用人たちは飛び上がらんばかりに驚いている。
「落ち着け、我々はモルティスを討つ為に来た。あなたたちに危害を加えるつもりはない」
「も、もしかして、あんたたちが何かして、塔の動力供給が停止したのか?」
調理人だろうか、白い服と帽子を身に着けた中年男が半ば怒ったようにカレヴィを問い詰めた。
「突然、魔導具が何もかも動かなくなって、モルティス様が怒り狂ってる! ど、どうするつもりだ?!」
「俺たちは我慢の限界で、逃げてきたんだ! これ以上、ここにいたら殺されちまう!」
「ここで働いていたものは、これで全員か?」
恐慌状態に陥りかけている使用人たちへ、カレヴィは静かに尋ねた。
「そうだ……モルティス様の八つ当たりで、何人か消し飛んじまったからな」
「とりあえず、この人たちを逃がしてあげないといけないんじゃないかな」
使用人たちの言葉を聞いていたティボーが口を挟んだ。
「モルティスを塔の外に誘い出して、その隙に逃げてもらうのは?」
リーゼルの言葉に、カレヴィは目を見開いた。
「なるほど、では、私が囮になろう」
「私も行くわ。派手な爆発呪文でも使えば、きっと出てくると思う」
「それは……」
君の身が危険だと言いかけたカレヴィを、リーゼルは制止した。
「モルティスが相手なら、できることは何でもしておいた方がいいでしょ?」
「分かった、覚悟が足りないのは私のほうだったか」
リーゼルの静かに覚悟を決めた表情を目にして、カレヴィは圧倒された。
「アーロ、使用人たちを地下通路から城へと逃がしてやってくれ」
カレヴィは、アーロのほうへ向き直って言った。
「了解だ。だが、俺もモルティス迎撃に残るぞ。――お前たちのうち半分は、この非戦闘員たちを連れて塔を出ろ。城内には『カピナ』の同志たちが来る筈だ」
認識阻害を解除して姿を現したアーロが、連れてきた「カピナ」の戦闘員たちに指示を出した。
「僕もカレヴィたちと外に出よう」
「俺も行くぜ。支援魔法で援護くらいできるからな」
ティボーとイリヤの言葉に、カレヴィは頷いた。
「ああ、力を貸してもらうぞ」
――彼らも、とうに「覚悟」はしていたのだ。私も、信じる「覚悟」をするのだ。
カレヴィとリーゼル、ティボー、イリヤそしてアーロと残りの戦闘員たちは、塔から地上へと出た。
「月の塔」の周囲は広い庭園になっており、凝った意匠に剪定された庭木が立ち並んでいる。
全員がイリヤの支援魔法――身体能力向上そして物理攻撃と魔法攻撃への耐性を上昇させる呪文で強化されてはいるものの、魔女モルティスとの対峙を前に、彼らの緊張は最高潮に達していた。
「それじゃ、爆発の呪文を使うわね」
リーゼルが言って、何やら呪文を詠唱し始めた。
詠唱の終了と同時に、塔の最上階近くの壁面で爆発が起こる。
「派手だねぇ」
「今のは、見た目だけよ。塔を崩してしまったら、私たちも危ないでしょ」
感心するティボーにリーゼルが言った時、周囲の空気が禍々しく淀んだ。
肌に感じる圧迫感に似た不快な空気の発生源は、カレヴィたちの前方、大人の背丈の倍ほどの高さに浮かんだ黒い球体だった。
武器を持つ者は、それぞれの得物を手に身構えた。
闇を凝縮したような球体が徐々に解けていったかと思うと、その中から黒い人型の影が現れた。
「モルティス……!」
カレヴィは、掠れた声で呟いた。
陽の光を受け、影が剝ぎ取られて現れたのは、黒いドレスをまとった魔女――モルティスだった。
「『月の塔』の『魔導炉』に何かしたのは、其方たちか」
音もなく、ふわりと地面に降り立ったモルティスが、カレヴィたちを睨めつけた。
「その通りだ。『裁きの光』か何か知らないが、あんなものを遠慮なく撃たれては敵わんからな。破壊させてもらった」
モルティスの醸し出す圧力を受けながら、カレヴィは答えた。
するとモルティスは、おや、という様子でカレヴィの顔を見つめた。
「其方、カレヴィか。とうに野垂れ死んだと思うていたが、生きていたとはな。どうだ、女の身体での生活は。その姿、さぞ男どもが群がるであろうな」
言って、モルティスが皮肉な笑みを浮かべた。その無防備にすら見える余裕に、自分が絶対的な強者だという自信が窺える。
呪いで肉体を女性に変化させられた時の屈辱と絶望を思い出し、カレヴィは歯を食いしばった。
その時、カレヴィの隣に進み出たリーゼルが、モルティスへ向けて自身の左手を広げてみせた。
「あなたがモルティスね。これを見なさい」
リーゼルの掌にある五芒星の痣を目にして、モルティスは、その目に僅かだが動揺の色を浮かべた。
「私は、あなたが恐れていた『星を掴む者』よ。あなたは私に滅ばされるのでしょう?」
臆することなくモルティスを見据えながら、リーゼルが言い放った。
「馬鹿な……あの赤子は殺したと聞いていたのに。オンニめ、私を謀ったのか」
「オンニさんは、私を殺さずに小舟に乗せて海に流したのよ」
「ならば、今ここで始末すればいい」
モルティスが、ぱちりと指を鳴らすと、その周囲に、頭から大きな黒い襤褸布を被った人間のような輪郭を持つ、半透明の影が十体ほど現れた。
カレヴィが「月の塔」から逃亡した際にも彼を追ってきた、モルティスの使い魔たちだ。
「まずい、奴らに物理攻撃は利かないぞ!」
魔法の力を帯びた「呪剣」であれば、使い魔たちに打撃を与えられるかもしれない――叫んだカレヴィは、仲間たちを庇うべく、剣を構えて使い魔たちの前に立ちはだかった。
襲いかかってきた使い魔たちの鋭い鉤爪が、カレヴィたちを切り裂かんとした刹那、周囲に白く輝く無数の光の槍が出現した。
――リーゼルの呪文か!
カレヴィの目の前で、光の槍に貫かれた使い魔たちが、次々と断末魔の声を上げながら消滅していく。
「ほほう、其方も魔法の心得があるのか」
使い魔が全滅させられたことなど意に介する様子もなく、モルティスが嬉しそうな微笑みを浮かべた。
「ふむ、気が変わった。その力、葬るには惜しい……アウロラ、私の許に来るがいい」
「アウロラ?」
モルティスに呼びかけられたリーゼルが、訝しげに呟いた。
「其方の本当の名だ。――私に従えば、あらゆる富も快楽も与えてやろう。そこな貧弱な者どもと共にいるよりも良い暮らしをさせてやるぞ。曲がりなりにも、私の血を継ぐ者だからな」
「何だと……!」
カレヴィたちは、モルティスの言葉に、それぞれが異なる形の衝撃を受け、ただ立ち尽くしていた。