秘密の香り
ジーマ王国を出たカレヴィたちは街道へ戻り、当初の目的地であるシエラ国を目指した。
タイヴァスの隣国であるシエラもまた、モルティスが女帝として即位した頃に戦を仕掛けられ、多くの領土を奪われた過去がある。
しかし、タイヴァスの領土へ入る際、シエラを経由する道を選択する者が多い為、小国となった現在も、物流の要として、それなりの賑わいを見せている地域だ。
カレヴィたちは通りすがりの隊商と交渉し、荷馬車に便乗できたお陰で、首都にあたるプラサの街へ労することなく辿り着けた。
「それにしても、ティボーとイリヤは交渉が上手いな」
馬車を降り、隊商と別れてから、カレヴィは言った。
「私は、どうも、そういった類のことは苦手だ。一人で旅をしていたら、きっと、今でも行程の半分も終えられていないと思う」
「冒険者やってると、移動方法から食い物や物資それに寝床の調達まで、交渉次第というところがあるからな。死活問題だよ。」
そう言って、イリヤが笑った。
「イリヤの値段交渉で助かった場面は枚挙に暇がないね。カレヴィとリーゼルの美しさも大きいと思うけど」
ティボーが言うと、リーゼルは頬を染めた。
「そうだよなぁ、カレヴィとリーゼルが『お願いします』って言うと、男連中は鼻の下を伸ばすからな」
「まぁ、私もリーゼルに『お願い』されたら逆らえないかもしれないが」
イリヤの言葉に、カレヴィは妙な納得感を覚えた。
「ところで、このプラサの街に、例の『伝手』があるんだよね?」
「ああ。タイヴァスは人や物の出入りの管理が厳しいからな。通常は街道など数か所に設けられた関所で検問が行われている。私が小舟で流されてブルーメに流れ着いたのは稀有な事例だろう」
カレヴィは、ティボーの言葉に頷いた。
「だが、イグニス殿が紹介状を書いてくれた『メツァ商会』はプラサを拠点にしているが、タイヴァスへの販路を持っているという。彼らの協力があれば、タイヴァスに入国するのは難しくないだろうという話だ」
「商人は、色々な場所で商売をするものね。お父様も、若い頃は、あちこちに行ったと言っていたわ。その『メツァ商会』の物資に紛れてタイヴァスに入ったりする手もあるわね」
リーゼルが、目を見開いて言った。
「そして、『メツァ商会』はタイヴァス国内の反体制組織と繋がっているらしい」
どこで誰が聞いているかもしれないと、カレヴィは声を落とした。
「ふぅん……利潤を追求する商人が、何故、他国の、そんなヤバいところと繋がってるのかは疑問だが……まず行ってみないと始まらないってことか」
イリヤは首を傾げたが、仕方ないといった様子で肩を竦めた。
街の者たちに尋ねると、メツァ商会の場所は直ぐに分かった。
思いの外こじんまりとした石造りの建物には、「メツァ商会」と書いてある小さな看板が掲げられている。
カレヴィは、緊張しながら扉に付いた叩き金を鳴らした。
ややあって、開かれた扉から一人の眠そうな顔をした若い男が顔を出した。どうやら従業員らしい。
「ええと、旅の人? うちはねぇ、小売りはやっていないんですよ」
男は、ぐるりとカレヴィたちを見回すと、のんびりした口調で言った。
「……虹色の薔薇を所望する」
カレヴィは、小声で言った。
メツァ商会を訪れた際、最初に言えとイグニスに教えられた「合言葉」だ。
途端に、眠そうに見えた男の顔が引き締まる。
「失礼しました。お入りください」
男に促され、カレヴィたちは建物の中へと入った。
商談の場所なのだろうか、質の良さそうな絨毯の敷き詰められた部屋には、長椅子と卓子が置かれている。
周囲の棚には、商品の見本と思われる円筒型や箱型の缶に、乾燥した花弁が入っている硝子の大瓶、そして繊細な装飾の施された香水瓶などが、きちんと並べられていた。
「なんか、いい匂いがするね」
リーゼルに囁きかけられ、カレヴィは部屋に様々な香りが漂っているのに気付いた。
花に似た甘い匂いや、香辛料の少し刺激感のある香り、あるいは香草のような爽やかな香り――それらが入り混じりながらも、決して不快ではない空気が、室内には満ちている。
「どなたのご紹介でしょうか?」
従業員の男が、カレヴィに尋ねた。
「これを預かってきています」
カレヴィは、懐からイグニスの紹介状を取り出して、男に差し出した。
「では、会長に知らせてきますので、お掛けになってお待ちください」
男は、そう言い残すと店の奥へ消えた。
「香水や、その材料、香辛料にお茶……そういったものを扱っているようだね」
柔らかな長椅子に腰掛け、室内を見回していたティボーが呟いた。
「贅沢品というやつだな。タイヴァスの富裕層向けか」
イリヤが、フンと鼻を鳴らした。
数分ほど後、先刻の男が再び現れた。
「会長が、皆さんにお会いになるそうです。奥へご案内します」
従業員の男の後へ続いて、カレヴィたちは建物の奥へ続く通路を歩いた。
男の立ち居振る舞いに、カレヴィはイグニスの秘書であるセバスチャンを思い出した。
この建物は間口こそ広くないが、奥行きがあるようだ。
幾つかの扉をくぐった先にあった、最奥と思われる扉を、従業員の男が叩いた。
「どうぞ」
落ち着いた男の声を受けて、従業員が扉を開けた。
そこは、表にあった商談用らしき部屋に比べると、石壁が剝き出しになった飾り気のない部屋だった。
質素な室内には、大きなテーブルと数脚の椅子が置かれ、その一つに三十代前半と思しき黒髪の男が座っている。
「メツァ商会の会長をしております、ロドリゴです。以後お見知りおきを。むさくるしいところで申し訳ありませんが、人目を避ける必要がありますゆえ、ご容赦を」
ロドリゴと名乗る男は立ち上がると、そう言って笑った。
中肉中背で人の好さそうな印象の男だが、よく見れば、その眼差しは商人らしく抜け目がない。
「紹介状は拝見しました。『ウンブラ』殿のご紹介とあれば、是非あなた方のお手伝いをさせていただきます」
一同が椅子に腰掛けると、ロドリゴが口を開いた。
「ウンブラ」というのはイグニスが使っている偽名だと、カレヴィは思い出した。
「我が商会では、お茶や煙草、香辛料に香料といった商品を買い付け、タイヴァスにある商店などへ卸しています。反体制組織『カピナ』との接触を図りたいのであれば、輸送時の護衛を装うか、荷物に紛れるなどすれば、容易に国境を越えられるでしょう」
「高級品を扱っているから、検問も緩くなりがちなのかもしれないな。賄賂として商品を少し渡してやるとかすれば」
イリヤの言葉に、ロドリゴが微笑んだ。
「我が商会で扱っているのは、選りすぐりの商品ですからね」
「一つ、お聞きしてもよろしいか。いや、答えたくなければ、それで構いませんが……何故、他国の商人である貴方が、タイヴァスの反体制組織と繋がっているのでしょうか。金銭的援助そして物資の提供なども行っているとか」
カレヴィは、ずっと疑問に思っていたことを口に出した。
「簡単なことです。私は、モルティスに恨みがあるのですよ」
穏やかな表情を崩さぬまま、ロドリゴが答えた。
「二十年ほど前、この国もモルティスが仕掛けてきた戦によって痛手を受けました。私は戦災で両親を失いましたが、運よく先代に拾われました。養父の死後、跡を継いで業績も順調に伸ばしていたところで、偶然『ウンブラ』殿と繋がりができ、『カピナ』の存在を知ったのです。彼らを支援することで両親の仇が討てるかもしれないと考えた次第です」
「そうでしたか。お話を聞かせていただき、ありがとうございます」
モルティスが、どれほど多くの者に苦しみを与えているのか、カレヴィは改めて感じた。