再び会う約束を
ナタリアに宥められながら、ドミトリも自分の気持ちを落ち着かせようとしているのか、深い呼吸を何度か繰り返してから口を開いた。
「……言い訳だけは聞いてやる。入れ」
そう言うと、ドミトリはカレヴィたちに背を向けて建物の中に戻っていった。
「ええと、食堂なら、皆さんも座れるかしら。イリヤ兄さん、お連れの方たちも、どうぞ」
ナタリアの案内で、カレヴィたちは孤児院の中に入った。
やはり古さを感じさせる内装だが不潔さはなく、ナタリアたち大人が気を配っているのが見て取れる。
壁に、子供が描いたと思しき拙い絵が貼ってあるのを見て、カレヴィは少し暖かい気持ちになった。
廊下を歩いていると、一人の中年女性が近寄ってきた。その周囲には、小さな子供が三人ほど、まとわりついている。
「イリヤ、帰ってきたのね。元気そうで良かったわ」
「タチアナさんか。そっちも変わりなさそうだな」
イリヤが柔らかく微笑んで、カレヴィたちのほうを振り返った。
「この人は、ガキの頃から俺たちの面倒を見てくれてたんだ」
「院長も、ずっと心配してたのよ。怒られただろうけど、院長の気持ちも分かってあげて」
タチアナと呼ばれた女が、院長に平手打ちされて腫れたイリヤの頬に触れながら言った。
「うん……」
素直に頷くイリヤの姿から、彼らの間には家族のような絆があるのだと、カレヴィは感じた。
「おじちゃん、だぁれ?」
タチアナの前掛けにしがみついていた子供が、不思議そうにイリヤを見上げた。
「おいおい、俺はまだ二十五だぜ。せめて『お兄ちゃん』だろ? お前らの『先輩』だよ」
にこにこと子供の頭を撫でるイリヤに、リーゼルが驚きの表情を浮かべた。
「イリヤって、そんな顔することあるのね……」
「彼は優しい奴だよ。詐欺に遭って素寒貧になってた僕に声をかけてくれるくらいにはね」
何故か誇らしげに言うティボーを見て、カレヴィも、くすりと笑った。
「では、ここで待っていてくださいね」
ナタリアはカレヴィたちを食堂と思しき部屋に入れると、ドミトリを呼びに行った。
「変わってないなぁ……ま、座れよ」
イリヤが言って、大きなテーブルを囲むように配置された椅子の一つに腰を下ろした。
カレヴィとリーゼル、ティボーも、それに倣った。
「何と言うか、温かみのあるところだな。私は養父と二人暮らしで、近所の人が時々来てくれるくらいだったから、こういう賑やかなところを見ると、少し羨ましくなる」
カレヴィが言うと、イリヤが照れ臭そうな顔をした。
「そうだな。ガキの頃も寂しいって思ったことはないな。さっきのドミトリ先生は、元は学者なんだけど、自分の屋敷を孤児院にして、俺たちを引き取って面倒見てくれたんだ」
「そうなのね。イリヤを殴ったりして、ひどいと思ってしまったけど、心から心配していたのね」
イリヤは、リーゼルの言葉に頷いた。
「国から運営資金は出るけど、全然間に合わないからって、ここの大人たちは手紙の代筆とか、色々と副業をやって金を作ってた。食べ物も、子供を優先してさ。だから……」
彼が言いかけた時、部屋の扉が開いて、ドミトリとナタリアが入ってきた。
「……で、何か弁解することはあるのか。何故、せっかく良い就職先を得たのに辞めてしまったのか、あまつさえ我々にも黙って国を出たのか、きちんと説明できるのか?」
カレヴィたちと向き合うように椅子に腰掛け、ドミトリはイリヤの顔を見据えた。
先刻、イリヤを殴った際は恐ろしい形相に見えたが、改めて見れば穏やかな学者らしいと、カレヴィは感じた。
「確かに、国の機関である治療院は、給料は必ず貰えるし、俺一人が食っていくだけなら問題なかったけど、余裕があるとは言えなかった。国自体が貧しくて、そんな贅沢言えないってのは分かる。だから、俺は、もっと稼げる道を探したんだ」
「それで、冒険者になったのか?」
ドミトリは、カレヴィたちを見回した。
「冒険者は、仕事を選べば結構稼げる時もあるし、治癒術師は貴重だから、大事に扱われることも多い。治療院で働いてロクに貯金もできないよりは、冒険者をやった方が儲かると思ったんだ」
イリヤは、そう言いながら、荷物の中から一つの革袋を出した。
ぎっしりと硬貨が詰まっているのが分かる、重そうな革袋を、彼はテーブルに載せてドミトリのほうへ押しやった。
「国を出てから、俺が貯金した金だ。治療院で同じだけ働いてても、これと同じ額は貯められなかったと思うよ。孤児院の経営に役立てて欲しい」
革袋を目にしたドミトリとナタリアは、目を丸くした。
「イリヤ兄さん……」
目頭を押さえるナタリアとは対照的に、ドミトリは眉を吊り上げた。
「こ、子供のくせに余計なことを考えて……私は、お前が自分の為に生きられれば、それでいいと思っていたのに……冒険者なんて、いつ死ぬか分からないだろうに……馬鹿者が……」
口調は厳しくとも、その潤んだ目には、彼のイリヤを思う気持ちが溢れていた。
「い、いつまで子供だと思ってるんだよ。俺は、先生たちみたいな大人に憧れてたんだよ……だから、その金は取っといてくれよな」
二人のやり取りを見ていたリーゼルとティボーも、いつしか涙を拭っている。
カレヴィも、目の奥が熱くなるのを感じて、何度も瞬きをした。
「正直言えば、国から支給される金だけでは、ここの運営も厳しい……この金は、ありがたく使わせてもらうよ。お陰で、汚染された土地の浄化方法を研究する時間が作れそうだ」
ドミトリが言うと、イリヤは安心したのか、小さく息をついた。
「また、旅に出るのか?」
「ああ。ちょっと、やることができてさ」
イリヤが、ドミトリの問いに曖昧な笑みを返した。
「そうか……もう日が暮れるが、この辺りには宿もない。ここも何もないところだが、外で寝るよりはマシだろう。泊まっていきなさい」
カレヴィたちは、ドミトリの好意に甘えることにした。
外からの客が珍しいのか、子供たちはカレヴィたちを囲み、就寝時間まで離れようとしなかった。
翌日、カレヴィたちは、王都まで行くという近隣の者の馬車に便乗することができた。
「イリヤ兄さん、また帰ってくるんでしょう?」
「もう少し、まめに顔を見せに来いよ」
ナタリアとドミトリに見送られ、カレヴィたちは孤児院を後にした。
「これで、思い残すことはないぜ」
馬車に揺られながら、イリヤが呟いた。
「次に帰ってこられるかは、分からないからな」
「縁起でもないことを言うな」
カレヴィは、イリヤの肩を掴んだ。
「そうよ、みんなで帰るのよ」
「また、金を貯めて孤児院に渡しに行こう。僕も協力するからさ」
リーゼルとティボーの言葉に、イリヤは、はっとした顔を見せた。
「ああ、それくらいの気持ちでいなけりゃ駄目だよな……みんな、すまない」
「目的を果たしたら、我々は、会いたい人たちに再び会う……私が、君たちを守る」
そう言いながら、カレヴィは不思議な気持ちでもあった。
――一人の時は、刺し違えても魔女を倒すことしか考えていなかったのに、その後のことまで考えるようになった私は、変わってしまったのだろうか。だが、それが心地よくもある……きっと、リーゼルたちのお陰なのだろう。
傍らにいるリーゼルに微笑みかけられ、カレヴィもまた、口元を綻ばせた。