夢で見た人は
カレヴィとリーゼルはイグニスの屋敷に戻った。
ちょうど、作業が一段落ついたのか、イグニスも研究施設から屋敷に帰ってきたところだった。
「おや、ずいぶんと早かったじゃないか。昼食は済ませたかい?」
イグニスが言って、ふとリーゼルの顔を覗き込んだ。
「リーゼルが少し体調を崩してしまったので、早めに戻ってきました」
リーゼルの肩を抱くようにして支えながら、カレヴィは答えた。
「そうか。食事抜きもよくないね。軽いものなら食べられそうかな? セバスチャンに言って、お粥かスープでも用意させよう」
見た目は子供なのに、そう言うイグニスは孫を相手にする老人のように見えた。
「……ありがとうございます」
リーゼルが、弱々しく微笑みながら礼を言った。
「あの、イグニス様……後で、みんなが揃ったら、お話ししたいことがあるのですが、お時間をいただけますか」
イグニスは、リーゼルの言葉と、どこか只ならぬ様子を訝しむように首を傾げた。
「分かった。じゃあ、夕食の後にでも話をしよう。それまで、ゆっくりしているといいよ」
そう言って、イグニスは歩き去っていった。
夕方まで休むと、リーゼルは心身共に少し落ち着いたようだった。
街歩きから戻ったティボーとイリヤも、普段の元気な姿とは異なるリーゼルに驚いた様子を見せた。
「旅の疲れが出たのかな?」
「実は、けっこう無理をさせてきたかもしれないよな」
ティボーとイリヤの言葉に、リーゼルは首を振った。
「そういう訳じゃないわ。だから、みんなは心配しないで」
――本当は不安な気持ちだろうに、周囲に気を遣うのは変わりないな。彼女が傷つかないよう、私が守らなければ。
リーゼルを見つめながら、カレヴィは強く思った。
約束通り、皆が夕食を済ませた後、イグニスは応接間にカレヴィたちを呼んだ。
「揃ったね。……リーゼルの話というのは、何かな?」
各々が長椅子に座ったのを見て、イグニスが口を開いた。
リーゼルは少し考えた後、言葉を絞り出すように話し始めた。
「私は、両親とは血が繋がっていません。赤ちゃんの頃、小舟に乗せられてキュステの浜辺に流れ着いたところを両親に拾われ、育ててもらいました」
カレヴィたちは、固唾を呑んでリーゼルの言葉を待った。
「……私は、小さい頃から何度も同じ夢を見ていました。銀色の長い髪と紫色の目をした、綺麗な女の人が、私をじっと見つめてくる夢……その人が誰なのかは、ずっと分からないままでした。でも、今日になって、魔法大学で、若い頃のモルティス……タイヴァスの女帝である彼女の『魔法絵』を見て……夢に出てくる女の人がモルティスだと確信しました」
そこまで話すと、リーゼルは深く息をついた。
「会ったこともない筈のモルティスの姿を、なぜ私が知っていたのか……もしかしたら、自分が彼女と何らかの関係があるのかもしれないと思うと、怖くなるんです……イグニス様は、何か御存知のことや、心当たりはありませんか?」
彼女の話を聞いたイグニスは、無言で何か考え込んでいる様子だった。
ティボーとイリヤも口を噤み、ただリーゼルの姿を真剣に見つめるばかりだ。
リーゼルの青ざめた顔を見ていたカレヴィは、彼女の気持ちを思い、胸が締めつけられた。
「なるほど……ブルーメ王国のキュステとの位置関係、そして海流を考えると、リーゼルくんを乗せた小舟はタイヴァスの沿岸部から流されたと考えて矛盾はない。他の地域からだと距離が遠すぎて赤ん坊の体力が持たなかっただろうし、あるいは海流の関係でブルーメには到達しないと思われるからね」
イグニスの言葉を聞いたリーゼルの肩が、びくりと震えた。
「それとね、これは言うまいか迷ったんだけど。君の左手には、五芒星の形の痣があるよね。この間、『魔素計』による『魔素の器』の計測を行った時に気付いたんだ」
リーゼルが、はっとしたように自身の左の掌を見た。その親指の付け根には、五芒星の形の赤い痣が浮かんでいる。
「僕が、まだ大学の講師だった頃、学生だったモルティスが言っていた……彼女は、ある時、とある占い師に『貴女は星を掴む者に滅ぼされる』と予言されたのだと。当時の彼女は、占いなど気休めとは言っていたけど……妙に符合するとも思ってね」
「つまり……これまでの情報をまとめると、モルティスが、自分を滅ぼすという『星を掴む者』であるリーゼルを、赤ん坊のうちに小舟に乗せて海に流した……ってことか?」
イリヤが言うと、リーゼルは両手で口元を覆った。その目には、恐怖が浮かんでいる。
「待て、随分と乱暴な理屈ではないのか」
カレヴィは、思わず抗議した。イリヤの推測の正確さより、リーゼルが傷ついている様子を見せている事実の方が、彼にとって重要だった。
「わ、悪い……あまりに思いがけない話だったから、驚いてさ……リーゼル、情報が少ない状態で、変なことを言っちまって、ごめん」
イリヤ自身も、自分の言葉が不用意だと思ったらしく、リーゼルに頭を下げた。
「ううん、イリヤの仮説は筋が通っていると思う。正直に言えば、全てを解明してしまうのが怖い……でも、自分が何者なのかを知りたいとも思うの」
リーゼルが、冷静な口調で言った。
「そうか……だが、無理に掘り返さず、これまで通りに平穏な生活を続ける道もあると思うよ」
イグニスの言葉に、リーゼルは少し驚いた顔を見せた。
「これまで、君はご両親に可愛がられて幸せに暮らしていた訳だし、これからも、そうすればいいんじゃないかな。ご両親のもとに帰ってもいいし、より深く魔法を学びたいなら、僕の弟子として、ここから魔法大学に通ってもいい。君の力なら、学費免除の制度を利用できるだろうからね」
「たしかに、イグニス様の仰ることも選択肢の一つだね。何もかもを暴くことだけが良いとは限らないさ」
ティボーが、そう言って寂しげに微笑んだ。
「まぁ、急ぐことはないさ。考える時間は幾らでもあるよ」
イグニスの言葉に、リーゼルは頷いた。
カレヴィは、隣で不安げにしているリーゼルの手を、そっと握った。
はっとした様子でカレヴィの顔を見上げたリーゼルだが、彼女の口元は微かに綻びたように見えた。
――リーゼルが何者であっても、私は彼女を支えたいと思っている……この気持ちを、どう伝えればいいのか……
カレヴィは、自分の手の中のリーゼルの温もりを感じつつ、もどかしい気持ちになった。