氷菓と昔語りと
イグニスの住居だという屋敷は、やはり立派なものだった。
人が近付いたのを検知し、手で触れずとも開く扉や、自動的に点灯する魔導灯など、屋敷の大きさもさることながら、用いられている技術も最先端のものだというのが見て取れた。
本宅の傍には個人用の研究施設らしきものも建てられている。
「イグニス様の、お客様たちです。しばらくの間、滞在されるということですから、部屋の用意をお願いします」
一行を出迎えた使用人たちに、セバスチャンが告げた。
彼はイグニスの秘書と言っていたが、私生活でも補佐を務めているらしい。
「お部屋の用意ができるまで、こちらでお待ちください」
カレヴィたちは、応接間と思しき部屋へ案内された。主人であるイグニスの好みなのか、派手さはないものの洗練された雰囲気の部屋だ。
長椅子に座ってカレヴィたちが休んでいると、部屋の扉が音もなく開き、一人の使用人が台車を押しながら入ってきた。
「氷菓です。本日は苺味になります。溶けないうちに、どうぞ」
そう言いつつ、使用人がカレヴィたちの前に硝子の小鉢を配った。
「へぇ、こんなもの、エテルナ大陸じゃあ、都会に行かないと食べられないし、そもそも高くて手が出ないよな」
華やかな薄赤い氷菓が盛られた小鉢を手にして、イリヤが言った。
「魔導焜炉とか、温めるほうの調理器具は比較的普及しているけど、冷却系の魔導具は構造が複雑になるから、高価で希少なのよね。でも、ルミナスでは当たり前に使っているということかしら」
リーゼルも感心した様子で言うと、添えられていた匙で氷菓をすくい、口に入れた。
「わぁ、冷たくて甘酸っぱくて美味しい。みんなも、食べてみて」
にこにこしているリーゼルに促され、カレヴィたちは氷菓を味わった。
「イグニス様は甘いものがお好きで、特に氷菓に目がないのです。だから、厨房の冷蔵庫には常備してあるのですよ」
そう言って、傍らに立っているセバスチャンが微笑んだ。
「ルミナスの技術は想像以上だね。もし、これらの技術を戦争に使うとすれば、世界を征服することもできるんじゃないかな」
ティボーの言葉に、カレヴィは、はっとした。
「言われてみれば、その通りだ。空中を移動できる乗り物の機動力だけでも脅威になる」
「それは、ありませんのでご安心ください」
セバスチャンが事もなげに言った。
「ルミナスは、学問と技術開発を目的に作られた都市であり、自衛以外の戦いは禁止されています。無駄に領土を広げてしまうと管理が行き届かなくなりますから、他国に戦争を仕掛けて領土を奪う必要もないのです。もちろん、万一、他国に攻められた時の備えはしてありますよ」
「なるほど、現段階で、既に完結そして完成された自治都市ということか」
自分の考えの範疇に収まらない世界もあるのだと、カレヴィは眩暈に似た感覚を覚えた。
応接間で寛いだ後、カレヴィたちはセバスチャンによって軽く屋敷の案内を受けた。
一人に一つずつ用意された宿泊部屋に、カレヴィたちは驚いた。
「孤児院でも学生の時の寮も六人部屋とかだったから、こんな広い部屋を一人で使うなんて初めてかもしれない……」
イリヤが、そう言ってため息をついた。
「イグニス様のお客様が訪れることも多いので、お部屋は余裕を持って用意してあるのですよ」
「手洗いや浴室も部屋ごとにあるのね……お掃除とか、大変じゃないかしら」
「いえ、十分な数の使用人がいますし、遠慮なくお使いください。お部屋とは別に広い浴場もありますので、お好みでどうぞ」
リーゼルの言葉に、セバスチャンが微笑んだ。
「魔術師議会代表となれば、国家元首と同等だろう。これくらいは、当然なのかもしれないな」
皆のやり取りにカレヴィは頷きつつ、故国の様子を思い出した。
――タイヴァスはモルティスの所為で貧富の差が激しくなりつつあるが、ルミナスでは目に見える貧困層というのは存在しないように思える……上に立つ者によって、これほどの差があるのだな。
やがて、帰宅したイグニスに夕食を共にしようと言われ、カレヴィたち一行は食堂へと招かれた。
「部屋は気に入ってもらえたかな? 何か足りないものがあれば、遠慮なく言ってね」
テーブルに着いたイグニスが、快活に言った。
セバスチャンに促されてカレヴィたちもテーブルに着くと、給仕係が次々に料理を並べていく。
あっさりした味付けがルミナス風なのかもしれないが、それでいて複雑な旨味が感じられる、カレヴィにとっては初めて味わう料理の数々だ。
「僕は家族がいないから、若い子たちが来ると、お手軽に子供や孫ができた気分になれて楽しいんだ」
イグニスは心底楽しそうで、それは社交辞令ではなく本心からの言葉に思えるものだった。
「リーゼルくんのお母さん――エリナは、僕が魔法大学で教授をやっていた頃の教え子でね。優秀な子だから卒業後もルミナスに残って欲しかったけど、旅の若い商人と恋に落ちて、エテルナ大陸へ帰ってしまったんだよ」
「ええっ、それは初耳です。両親の馴れ初めが、そんな感じだったなんて」
両親についての思わぬ情報を聞き、リーゼルは驚いた様子だった。
――エリナ殿は六十代半ばくらいだと思うが、彼女の師だというイグニス殿は一体何歳なのだ……
どう見ても少年にしか見えないイグニスから飛び出す大人びた言葉に、半ば幻惑されていたカレヴィだったが、ふと思いついたことを彼に尋ねようと口を開いた。
「ルミナスにいた頃のモルティスは、どういう人物だったのでしょうか。天才魔術師として成功していたであろう彼女が、なぜ遠く離れたタイヴァスへやって来たのか、不思議に感じます」
カレヴィの言葉を聞いたイグニスは、少し考えてから言った。
「……一言で言うなら、やはり天才魔術師だ。現在ルミナスで使われている魔導具の中には、モルティスが理論を構築したり設計したものも結構な数で存在する。若くして名声も富も手に入れ、その上あの美貌だ。言い寄る男も星の数ほどいたが、彼女は魔法の研究に夢中で相手にしていなかったよ」
「それは……少し意外ですね」
カレヴィは、自身が目の当たりにしたモルティスと、イグニスの話にあるモルティスの姿が、今一つ重ならないと感じた。
「……モルティスが変わったのは、一人の男と恋に落ちた時だ。男性の僕から見ても、はっとするような、見目麗しい男だった。そうだね、ちょうどカレヴィくんのような、海のように深い青色の目をしていたよ」
――モルティスの拘りは、昔の恋人から来ていたのか……
硝子の壁の中に「保存」されていた青い目の男たちの姿を思い出し、カレヴィは納得のいく気がした。
「美しい恋人に夢中になったモルティスは、彼の為に、あらゆるものを与えて尽くした。しかし、同時に束縛も酷かったらしい。恋人が他の女と口を利くのも許さず、しまいには監禁同然にする始末だったんだ」
そこまで話すと、イグニスは小さく息をついた。
「誰にも渡したくないというのは、百歩譲って理解できるとして、それは相手の幸せに繋がるとは言えませんよね」
ティボーが、やや呆れたように言った。
「その通りだね。とうとう、モルティスからの扱いに耐えかねた恋人は、ルミナスから姿を消した。恋人に逃げられた後、モルティスは身籠っているのに気付いたが、時既に遅しだった。生まれた子供を連れて、モルティスも、いつの間にかルミナスを去っていた。これが、四十年ほど前の話さ」
「モルティスに子供がいたというのは知りませんでした。二十年以上前にタイヴァスへ来た時から、彼女は独りだったようですし」
イグニスの話を聞きながら、カレヴィは首を傾げた。
「モルティスがルミナスを去ってからタイヴァスに現れるまでのことは、僕たちも知らないんだ。彼女ほどの知識と技術があれば、どこででも生きられたと思うけどね」
言って、イグニスは遠くを見るような目をした。