喪失
「ドービニエ……アメリに何かあったのかい?」
ティボーが、これまでになく険しい表情を見せた。
「クレマンが何故そう思ったのかは、この際どうでもいい。詳しい話を聞かせてもらおう」
むしろ自ら警備兵を急き立て、ティボーは彼らと歩き始めた。
カレヴィたちも、慌てて、その後を追った。
警備兵たちの詰め所に着いたカレヴィたちは、その一室に案内された。
物証どころか状況証拠すら存在しない段階ゆえ、任意の事情聴取という扱いらしい。
「ええと、昨夜、あなた方は、どこにいましたか」
担当者らしい警備兵に尋ねられ、カレヴィは答えた。
「昨日は、宿に部屋を取ってからは外に出ていない。夕食も宿で済ませたからな。これは、宿に聞いてもらえば分かるだろう」
「アメリ・ドービニエ様との関係は?」
「アメリは、僕の幼馴染みだ。僕は長らく国を離れていて久々に帰ってきたんだが、昨日、彼女と夫のクレマンに再会したんだ。すぐに別れて、その後は会っていない……アメリに、何があったんだい?」
険しい表情のまま、ティボーが言った。
「実は、今朝からアメリ様の姿が見えないと、夫であるクレマン様から届けがあってな。ティボーという男と、その連れたちが何か知っている筈と仰っていたので、確認する必要があったのだ」
「無論、怨恨など他の線でも調べてはいるが……クレマン様は、最近は芸術家としての名声も得ているから、妬み嫉みという線もなくはないだろうな」
警備兵たちが答えた時、部屋の扉を荒々しく開けた者がいた。
「ティボー! アメリを何処へやった?!」
そう言いながら、鬼気迫る顔で飛び込んできたのはクレマンだった。
髪は乱れ、ぜいぜいと息を切らせている。護衛の一人も連れず、ここまで急いでやってきたのであろうことが見て取れた。
「クレマン様、落ち着いてください。どうやら、この者たちは無関係のようです」
警備兵がクレマンを宥めている様子を見て、自分たちに対する容疑は殆ど晴れているのだと、カレヴィは僅かだが安堵した。
「そんな……だとすれば、アメリはどこへ行ったというんだ……」
よろよろと崩れ落ちそうになったクレマンは、警備兵に支えられ、傍に置かれていた椅子へ腰かけた。
「クレマン、何があったのか聞かせてくれないか」
ティボーが、冷静な口調でクレマンに問うた。
クレマンは少しの間逡巡する様子を見せたものの、やがて、ぽつぽつと言葉を絞り出した。
「昨日、帰宅してから、アメリと言い争いをしてしまったんだ。再会した後、アメリはティボーのことばかり気にしていたから、私は、それが気に障って……『本当はティボーと結婚したかったんだろう』と言ってしまった。彼女の初恋の相手は君だと聞いていたからね……」
「そんな……」
クレマンの告白を聞いて、ティボーは悲しげに目を伏せた。
「アメリは傷ついたのだろう、昨夜は私とは別の部屋で就寝したんだが……今朝から、屋敷のどこにも姿が見えなくなっていて……私は、彼女が君と示し合わせて去ってしまったのだと思い込んで……」
話しているうちに、クレマンも徐々に冷静さを取り戻しつつあるようだった。
「しかし、アメリがティボーと一緒にいるのなら、危害を加えられることはないだろうと安心している部分もあったんだ……でも、そうでないというなら……」
クレマンは、自身が想定していた事態と現実との違いの大きさを実感したのか、髪を掻きむしりながら頭を抱えた。
「アメリがいなくなったら私は……結婚してから、彼女は、ずっと私を支えてくれたのに……」
他人事ではあるものの、クレマンが愛する者を失う恐怖や後悔に苛まれる様子は、カレヴィにとっても胸が痛むものだった。
「事情は分かった。僕も、アメリの捜索に協力させてくれないか」
ティボーが、クレマンの震える肩に、そっと手を置いた。
「私を許してくれるのか? 何の証拠もなく、君たちに疑いをかけるような証言をしたというのに……」
顔を上げたクレマンの頬は、涙で濡れている。
「それだけ、君がアメリを愛しているということだろう? 彼女は、僕にとっても大切な幼馴染みだ。放っておくことなどできないよ」
そう言って、ティボーはカレヴィたちを見た。
「すまないが、ルミナスへは君たちだけで行ってくれないか。ここから船に乗るだけだし、僕がいなくても問題ないだろう」
「そういう訳にもいかないな」
カレヴィは、ティボーの灰緑色の目を見据えた。
「君は、何の利益もないというのに、私とリーゼルの為に、共に旅してきてくれた。もちろん、イリヤもだが、男である君たちが一緒であることで、どれだけ助けられてきたか分からない。それなのに、何の返礼もしないまま置いていくことはできない」
「そうよ、私たちにも、何か手伝えることがあると思うわ」
リーゼルが、カレヴィの腕に自分の腕を絡ませながら言った。
「いや、君は安全なところにいてくれ。犯罪者を相手にするかもしれないのだから」
「あら、仲間外れなんてひどいわね。私の魔法、結構役に立つと思わない?」
軽く頬を膨らませるリーゼルの仕草に、カレヴィは、くすりと笑った。
「そうだな、頼りにさせてもらうか」
「もちろん、俺も付き合うぞ。ティボーみたいに『使える』相棒は、なかなかいないからな。ここでサヨナラなんて、損害の方が大きすぎるぜ」
イリヤも言って、片方の口角を上げた。
「みんな……本当に、いいのかい」
カレヴィには、そう言うティボーの目が少し潤んでいるように見えた。
クレマンと共にドービニエ家の馬車に乗り、カレヴィたちは彼の屋敷へ向かった。
エクラ王国の貴族の邸宅らしく、大きいだけではない優美な建物と、様々な形に剪定された庭木や、彫刻の飾られた噴水などの設置された広い庭が、ドービニエ家の格を現わしている。
「凄いな……どれだけ金がかかってるのか想像つかないや」
イリヤが呟くと、クレマンは苦笑いした。
「なに、全て先祖の功績だよ。私の力で手に入れたものではないさ」
邸内では、現在もアメリの捜索が行われているのか、警備兵や使用人と思われる者たちが、せわしなく動き回っている。
「しかし、警備の者にも気付かれずにアメリ殿を攫ったということは、相手は普通の賊ではない可能性が高いな」
カレヴィは庭に立って周囲を見回した。
高い塀の縁には泥棒除けの尖った装飾が施されており、侵入するには結構な苦労が必要だと、彼は感じた。
「犯人が魔法や魔導具を使ったとすれば、魔法的な何かの痕跡が残っているかもしれないわ。クレマンさん、昨夜アメリさんが寝ていた部屋を教えてもらえますか?」
リーゼルが言うと、クレマンは少し驚いた様子を見せた。
「お嬢さんは、そんなことまで分かるのか?」
「リーゼルは、なかなかの凄腕だよ」
ティボーが、クレマンに片目をつぶってみせた。
カレヴィたちは、昨夜アメリが過ごしていたという部屋へ案内された。
客間の一つらしいが、触るのも憚られるような装飾を施された調度品が置かれている室内には、争ったような形跡は見られず、盗まれたものもないらしい。
「王都の警備隊の中でも、魔法的な捜査を行える者は限られているからね。まだ、そちらの方面は調べられていないんだ」
クレマンの言葉に頷くと、リーゼルは、早速何かの呪文を詠唱し始めた。