鼠退治
水平線に夕日が沈もうとしているのを、カレヴィは倉庫街から眺めていた。
僅かに残る陽の光と、迫りつつある闇が交わって生まれた紫色の空を見て、彼は、ふと女帝モルティスの妖しく光る目を思い出した。
――一刻も早く、この身にかけられた呪いを解きたいものだ……
と、「闇鼠」の出現に備えて待機していたカレヴィたち一行に、声をかけた者がいた。
「あれ? あんたたちも『闇鼠』駆除の参加者か?」
カレヴィたちが振り向くと、そこには冒険者らしき四人の男たちが立っていた。
よく見れば、全員が、せいぜい十代後半程度の少年だ。最も年嵩に見える者でも二十歳になったかならないか程度だろう。
彼らが身に着けている革製の軽鎧は新品なのか、傷一つ付いていない。
カレヴィは一目見て、少年たちが戦闘に関しては経験の浅い者たちであろうことを見て取った。
「そうだ。よろしくな」
最も近くにいたイリヤが、若干面倒くさそうに答えた。
「へぇ、女の子もいるのか。使い物になるのかよ」
「『闇鼠』の駆除は歩合制だからな。獲物を食われずに済むならいいんじゃねぇの?」
生意気そうな少年たちが、ちらちらとカレヴィとリーゼルに視線を向けながら言い合っている。
「初陣かな? 自分が若かった頃を思い出すね、ふふ」
ティボーは、彼らの言葉を意に介する様子もなく笑っている。
「まだ、彼我の技量の差を読み取れる段階ではないのだろう」
見るからに初心者らしき少年たちが邪魔にならなければいいのだが――カレヴィは頷きながら、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「歩合制、ということは、沢山『闇鼠』を退治すれば、それだけ報酬が増えるのね?」
「今回は、基本の報酬に退治した『闇鼠』の分だけ上乗せされる。ただ、奴らは魔結晶みたいな魔法関連の素材を好んで食うが、何もなければ俺たち人間のことも普通に餌にするからな。油断するなよ」
リーゼルの問いに答えて、イリヤはフンと鼻を鳴らした。
「それってさぁ、俺たちに言ってるの?」
そう言って、少年の一人がイリヤを見た。
「『闇鼠』って魔物といっても雑魚なんだろ? 俺たち、村の剣術道場じゃ筋がいいって言われてたんだ。やられやしないって」
別の少年が、得意げに言った。
「初陣で死ぬ奴は多い。せいぜい気を付けるんだな」
「お姉さん、心配してくれてるの? まぁ見てなって」
カレヴィの言葉にも、少年たちは戦闘を前にした高揚感からか浮かれている様子だった。
やがて完全に日は落ち、辺りには夜の帳が降りた。
市街地は大きな通りに設けられた魔導灯や建物の灯りで明るいが、港の倉庫周辺には光源が殆どなく、月明かりが頼りだ。
カレヴィたちと冒険者の少年たちは、倉庫の北側と南側に分かれて「闇鼠」の出現に備えている。
「光の魔法で、灯りを作ったほうがいいかしら?」
夜空を見上げながら、リーゼルが言った。
同時に、カレヴィは倉庫周辺に何者かの気配を感じた。
先刻まで何もなかった筈の空間に、赤く光る小さな点――動物の目、それも複数のものが浮かんでいる。
月明かりに照らされ蠢いているのは、姿形は鼠に似ているものの、中型犬ほどの大きさを持つ黒い生き物だった。その口の中には、鼠の歯ではなく、肉食獣を思わせる鋭い牙が見え隠れしている。
「『闇鼠』だ。早速、魔法の素材が運び込まれた倉庫を嗅ぎつけてきたね」
ティボーが、背中に背負っていた槍を素早く構えた。
カレヴィも剣を抜き、いつでも動ける体勢をとる。
「俺とリーゼルは壁際から援護する。奴らを、こっちに近付けないでくれよ」
そう言うと、イリヤが短く何かの呪文を唱えた。
次の瞬間、イリヤとリーゼルは淡く輝く半球状の壁に包まれた。
「なるほど、魔法の防御壁か。君たちには、毛ほどの傷も付けさせはしないさ」
カレヴィがリーゼルに目をやると、彼女は、分かったという様子で力強く頷いた。
少しの間、カレヴィたちの様子を窺っていた闇鼠の中の一体が、とうとう我慢できなくなったのか倉庫に突進してきた。それを皮切りに、魔物たちの群れが一斉に動いた。
カレヴィは向かってくる闇鼠たちを次々に剣で斬り裂いていった。
彼らは魔導生物である為か、絶命すると細かい粒子と化し霧散していく。
――相手が人間でない分、余計な気を遣わずに済むのは助かるな。
「やるじゃないか、カレヴィ。思った通りだ」
そう言いつつ、ティボーが目にも留まらぬ速さの突きを繰り出し、華麗に闇鼠たちを仕留めている。
更に、後方から飛来した幾つもの光の槍が魔物の群れに突き刺さったかと思うと、彼らは破裂する如く消滅した。
それがリーゼルの魔法であると気付いたカレヴィは、彼女の力が考えていた以上のものであることに驚いた。
三人の連携で、数十匹単位で出現した闇鼠は瞬く間に駆除された。
「リーゼルの攻撃魔法は初めて見たが、あれ程とは思わなかった。凄いな」
カレヴィが声をかけると、リーゼルは嬉しそうに微笑んだ。
「カレヴィとティボーが前衛を務めてくれるから、呪文を詠唱する時間を作れるのよ。でも、褒めてもらえるのは嬉しいな」
「俺も、ここまでとは思わなかった。これからも頼りにさせてもらうぜ」
イリヤも、珍しく片方の口角を上げてみせた。
その時。
「た、たすけて……!」
冒険者の少年たちがいるであろう倉庫の反対側から、悲鳴が聞こえた。
「誰か負傷でもしたのかな?」
身を翻し、ティボーが走り出した。
カレヴィとリーゼル、イリヤも、慌てて後を追う。
倉庫の反対側に回り込んだ彼らが見たのは、満身創痍の状態で、今にも闇鼠に食われそうになっている少年たちだった。
「くそッ! 来るなッ!」
かろうじて立っている一人の少年が、必死で剣を振り回し、倒れている仲間に近付こうとする闇鼠たちを追い払っている。
反射的に跳躍したカレヴィは、少年たちに襲いかかろうとしている闇鼠たちを切り伏せていった。
ティボーの槍の連撃、そしてリーゼルの光の魔法が追い討ちをかける。
やがて、倉庫の周囲から闇鼠たちの気配が消えた。
「……ったく仕方ないな。一番重傷の奴は誰だ? ああ、リーゼル、光の魔法で灯りを作れるか?」
さも面倒くさいという様子で、イリヤが言った。
「任せて。この子たちを治療してあげるのね?」
リーゼルが呪文を唱えると、彼女の手の中から、柔らかな光を放つ光球が出現した。
「放ったらかしって訳にもいかないだろ? これだから素人は……」
ぶつくさ言いながらも、イリヤは倒れている少年たちの傍にしゃがんで、彼らの負傷の具合を確認し始めた。
「あ、あの、ありがとうございました」
最後まで立っていた少年が、カレヴィたちに頭を下げた。
「なに、どうということはない。君も傷だらけではないか。よく堪えたな」
カレヴィが声をかけると、少年は悔しそうに肩を震わせた。
「『闇鼠』は雑魚って聞いてたから大したことない依頼だと思っていたのに……何もできなかった……」
「そりゃ、お前らが雑魚以下ってだけのことだろ」
イリヤが、ぼそりと呟いた。
「そう厳しいことを言うなって。彼らも、身に染みただろうしさ」
ティボーが少年の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「俺は、命を粗末にする奴が嫌いなんだよ」
そう言うイリヤの顔が、カレヴィには、どこか寂しげに見えた。