船出と偸盗
晴天の下、大きな帆に風を孕ませ、一隻の客船が海原に白波を立てて往く。
魔導具である推進装置を装備した、最新式の船だ。
カレヴィとリーゼルは、大陸にある港町の一つ、自治都市バイーアへ向かっていた。
大きな港町でもあるバイーアからは、魔法都市ルミナスへの直行便が出ているらしい。
それを利用すれば、バイーアを出て二週間ほどでルミナスに到着できるだろうというのが、オットーからの情報だった。
カレヴィたちが乗っている客船の利用者は主に富裕層で、船内は常に清潔に整えられており、治安も保たれている。
水を生成する魔導具や熱を生み出す魔導具を用いた浴室なども完備されており、陸上にいるのと変わらずに過ごせるというのも売りのようだ。
かなり贅沢にも思えるが、女性二人の旅だからとオットーが気遣ってくれたことは、カレヴィも理解していた。
快適な船室の中、カレヴィは一人で寝台に腰掛け、荷物の中から一通の封筒を取り出して眺めた。
封筒の中身は、エリナが書いた紹介状だ。
「ルミナスを統治しているのは魔術師議会というものでね。現在の議長はイグニスという方なんだけど、彼は私が留学していた時にお世話になった方なの。この手紙に、あなたが『呪い』をかけられて困っていること、『呪い』の解析と解除に協力してもらえるよう書いておいたわ。手ぶらで行くのとは、かなり違う筈よ」
紹介状を渡してくれた際のエリナの笑顔を思い出し、カレヴィは胸の中が暖かくなった。
――流された先で、オットーとエリナ夫妻に会えたのは本当に大きな幸運だ……
カレヴィが物思いに耽っていると、リーゼルが船室へ帰ってきた。
「そろそろ食堂へ行かない? 何もしないのに、お腹は空くのって不思議ね」
「空腹を感じるのは健康な証拠だ」
「それもそうね」
リーゼルが、そう言って笑った。
二人は、船内に設けられた食堂で夕食に舌鼓を打ちながら語り合った。
「明日の朝には、バイーアへ到着するって。ここまでの間、嵐も起きなくて幸運だったわね」
「その次は、いよいよルミナス行きの船に乗り換えだな」
カレヴィは、数秒の沈黙を挟んで言った。
「……君は、もしかして大陸で血縁者を探したいと思っているのか?」
以前、リーゼルが自身の生い立ちを話した際のことを、彼は思い出していた。
「それもあるけど……ルミナスに行ってみたかったというのも本当よ。でも、もう一つ……」
「もう一つ?」
「カレヴィと一緒にいたかったの」
頬を染めるリーゼルの姿を見て、カレヴィは心臓を掴まれたような感覚を覚えた。
「そうか。私も、思えば『友人』と言えるほど親しい間柄の相手はいなかった……子供の頃から武術の修練に明け暮れていたからな。だから、君が私にとって初めての『友人』と言える」
「私が、カレヴィの初めての『友人』? 何だか、ちょっと誇らしい気もするな」
――友人、か。ルミナスに着いたら、さすがに本当のこと……私が元は男であると明かさざるを得ないかもしれないが、それでも、彼女は私を「友人」と思ってくれるのだろうか。
嬉しそうに微笑んでいるリーゼルを見て、カレヴィは少し複雑な気持ちになり、手にしていたグラスの葡萄酒を一口飲んだ。
翌日の朝、カレヴィたちを乗せた船は、予定通りバイーアの港へ到着した。
バイーアの港はキュステのそれよりも遥かに大きく、何隻もの客船や貨物船が出入りし、人も物も目まぐるしく行き来しているのが見て取れる。
「ルミナス行きの船は、明後日に出航予定だそうだ。それまで滞在する宿を探そう」
「分かったわ」
カレヴィとリーゼルは、港から市街地へ向かった。
街を貫く大通りは、観光客や商人と思しき人々や荷物を輸送する馬車で、ごった返している。
タイヴァスの帝都に比べると建築物の様式にばらつきが見られるものの、それは、この街が絶えず成長している証なのだと、カレヴィは思った。
「すごい……キュステも賑やかだと思っていたけど、世界は広いのね」
リーゼルは、少し興奮した様子で街を見回している。
ふとカレヴィは、大きな酒瓶らしきものを抱えた若い男が道の反対側から歩いてくるのに気付いた。
そのまま擦れ違うと思われた男が、急によろけるようにしてリーゼルに肩をぶつけた。
同時に、男の抱えていた酒瓶が地面に落ち、粉々に砕けた。
リーゼルも、ぶつかった衝撃と驚きで、持っていた手提げ鞄を地面に落とした。
「リーゼル、怪我はないか」
カレヴィは、慌ててリーゼルに声をかけた。
「ええ……でも、あの人のお酒が……」
リーゼルが、ぶつかってきた男を見やった。
「おいおい、どうしてくれるんだよ。客に頼まれた高価な酒なのに」
男が凄むのを見たカレヴィは、これは詐欺の手口ではないかと考えた。
彼はリーゼルを庇うように、男の前へ出た。
「本当に、そんな高価な酒なのか。そもそも、擦れ違う余裕は十分にあった筈なのに、そちらが故意にぶつかってきたように見えたが?」
言って、カレヴィは男を見据えた。
その迫力に怯んだのか、男は舌打ちして目を逸らした。
「ふ、ふん、今日のところは勘弁してやるよ」
男は、そそくさと走り去り、雑踏の中へ消えた。
相手が思いの外あっさり引き下がった為、カレヴィは若干肩透かしを食った気分だった。
その時、先刻落とした手提げ鞄を手に取ったリーゼルが、小さく声を上げた。
「うそ……お金がない……!」
「何だって?」
「お父様に渡されたお金を入れた財布だけ、なくなってる……どうしよう」
「しまった、さっきの男は囮だ。本命は、この鞄だったのか」
カレヴィは、自らの迂闊さに歯噛みした。
財布を盗んだ者の姿は見ておらず、追いかける術などなかった。
これだけの人混みでは、誰も他人の様子になど構う余裕もないと考えられるゆえ、目撃者の存在も望めないだろう。
「危険分散で、私も路銀の一部を持っているが……これでは二人でルミナスに行くには足りないな」
「ごめんなさい、私が気を付けていれば……」
「いや、私の落ち度でもある。こうしていても仕方ない、この先どうするか考えなくては」
肩を震わせ涙ぐんでいるリーゼルの肩を、そっと抱きつつ、カレヴィは考えを巡らせた。




