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女帝と剣士

 剣士カレヴィは、帝都で最も華やかと言われる通りを歩いていた。

 端正な面立ちと屈強な体躯(たいく)の彼が、首の後ろで緩く束ねた黒髪をなびかせて歩む様に、思わず振り向く者は少なくない。

 遠目には白亜の建造物が立ち並び、石畳の整備された道路で構成された街並みには、古くからの豊かな大国と呼ばれた名残が見て取れる。

 しかし、漂う空気は、どこか淀んでおり、薄らと腐臭すら混じっている。

 行き交う人々の表情には活気がなく、彼らの足元では物乞いたちが(うずくま)って施しを求めていた。

 

――明らかに、物乞いの数が増えてきている……亡くなった養父の言った通り、この国は傾きつつあるのだ。あの魔女の所為で。


 欠けた器を差し出す物乞いの少年を目にして、カレヴィは思わず懐の財布に手をかけた。

 だが、そんな施しは本当の解決にはならないのだと、カレヴィは歯を食いしばった。

 やがて彼は、帝都でも最も重要な場所、王宮へ到着した。


「論功行賞の招集と承っています。さすがはカレヴィ様ですね」

「その凛々しいお姿は相変わらずですな」


 衛兵たちが、城門をくぐるカレヴィに敬礼しながら言った。


「カレヴィ様にも、女帝サマのお召しがあるかもしれないよなぁ。モルティス様は、見目麗しく青い瞳の男に目がないって聞いたぜ」

「そういう冗談はよせ、不敬だと難癖つけられて、俺まで首を飛ばされるのは御免だぞ」


 背後から聞こえた衛兵たちの声を耳にして、カレヴィは眉をひそめた。

 

――私が、あの魔女に? 考えるだけで反吐が出そうだ。しかし……万一そのようなことがあれば、女帝モルティスに近付く好機とも言えるのではないか。


 女帝モルティスが待つであろう玉座の間へ歩きながら、カレヴィは拳を握りしめた。


 絢爛な玉座の間に迎えられ、カレヴィは玉座を前に(ひざまず)いた。


「たった一人で百人以上の敵兵を戦闘不能に陥らせるとは、大したものだ」

「『一騎当千のカレヴィ』なら、それくらい朝飯前だろう。敵の指揮官以外は命まで奪わなかったそうだ。なかなかできることではないぞ」


 衛兵たちが時折ひそひそと囁き合っている声が、カレヴィの耳にも入ってくる。


「剣士カレヴィよ、面を上げるがいい」


 豪華な装飾を施した玉座に、ゆったりと腰掛けている美女――女帝モルティスが言った。

 年の頃は、誰が見ても二十代後半というところだ。

 輝く銀色の髪に紫色の瞳、闇をまとっているかのような黒いドレスが相まって、威圧感と神秘性を感じさせる。

 先代の王の死後、モルティスは彼に代わって統治者になると同時に、タイヴァス王国という国名をタイヴァス帝国に改めた。

 以後、彼女は強大な魔力により、かれこれ二十年以上も、この国を支配している。


「……はい」


 モルティスの声に、カレヴィは身を固くしながら顔を上げた。

 周囲に控えている衛兵たちから好奇と羨望を含んだ視線が集中するのを、カレヴィは感じた。

 

此度(こたび)の戦における其方(そなた)の働き、真に見事であった。褒美として報奨金と財宝を与えよう」

「恐悦至極に存じます」


 自分だけが報奨金を貰っていい思いをする訳にはいかない。焼け石に水だろうが、養父がしていたように金は貧しい者たちに分け与えよう――(かしこ)まって答えながら、カレヴィは重苦しい気持ちを抱いた。


 数秒の沈黙の後、モルティスが再び口を開いた。


「私は、この者と二人で話したい。人払いを」


 モルティスの言葉に衛兵たちは一瞬躊躇(ためら)う様子を見せたものの、女帝に逆らえる筈もなく、粛々(しゅくしゅく)と去っていった。

 やがて、玉座の間にはカレヴィとモルティスだけが残された。

 不意に玉座から立ち上がったモルティスが、蠱惑的(こわくてき)な笑みを浮かべながら、ゆっくりとカレヴィに歩み寄ってくる。

 予想外の事態に、カレヴィは跪いたまま動けずにいた。


「立つがよい」


 モルティスに命じられ、カレヴィは立ち上がった。

 傍に並ぶと、カレヴィとモルティスの背丈は頭一つ分ほど違うのが分かる。

 彼女から立ち昇る麝香(じゃこう)に似た甘い匂いに酔い、カレヴィは、たまゆら脳髄の痺れるような感覚を覚えた。

 

其方(そなた)は美しいな。特に、その海のように深く青い瞳……あの人を思い出す」


 モルティスは、白い指先でカレヴィの胸元に軽く触れながら、その顔を見上げた。

 彼女の視線は、カレヴィそのものではなく、記憶の中にある誰かに向けられているようにも思えた。

 突然モルティスに触れられたカレヴィは、初めて間近で見る彼女の美貌に圧倒されながら、背筋に冷たいものを感じた。

 「一騎当千」と呼ばれる彼にして、絶対に敵わない相手を前にしたような感覚だった。


「……お褒めにあずかり光栄にございます」


 自身の心を見透かすようなモルティスの目に気圧(けお)されつつ、カレヴィはやっとのことで言葉を絞り出した。

 ふとカレヴィは、王宮内に飾られている先代国王の肖像画を思い出した。

 先代国王の目は茶色ではなかったか? 「あの人」とは誰なのか――カレヴィは違和感を覚えた。


「其方には、もう一つ『褒美』を与えようと思うてな。……『月の塔』へ参れ。迎えを寄越すゆえ、ここで、しばし待つがいい」


 ため息をつくように(ささや)くと、モルティスは何かの呪文を短く唱えた。

 その全身を光の粒子が覆った次の瞬間、彼女の姿は(かすみ)の如く掻き消えた。


――「月の塔」とは、モルティスが主な生活の場としている場所だ。まさか、衛兵たちの戯言(ざれごと)が真になるのか……? だとすれば……


 カレヴィは、養父ユハンの姿を思い浮かべた。

 ユハンは、身元不明の孤児であったカレヴィを赤子の頃から養育してくれた恩人であり、武術の師匠でもある――二年ほど前に養父が病で亡くなる直前まで、カレヴィは、そう信じていた。

 だが、死の床でユハンはカレヴィが思いもしなかった秘密を明かした。

 その時の、ユハンの苦しげな表情が胸中に甦り、カレヴィは胸が締め付けられた。

 と、玉座の間の扉が開いて、十代前半と思われる小姓が現れた。


「剣士カレヴィ様ですね。モルティス様の命により、『月の塔』へご案内いたします」


 ひだ飾りの付いたシャツや精緻(せいち)刺繍(ししゅう)を施された上着に身を包んだ小姓も、モルティスの好みが反映されたものだろうと、カレヴィは思った。

 小姓の案内で、カレヴィは「月の塔」へと向かった。

 モルティスが即位してから建造された「月の塔」は、外壁に輝く「魔結晶」による装飾が施された、荘厳な塔だ。

 塔の入り口で、カレヴィは腰に下げていた剣を預けるようにと小姓に言われた。


――安全上の問題を考えたなら、致し方ないだろう。やはり、甘くはないか。


 抵抗を感じたものの、やむなく剣を預けたカレヴィは、魔導具の一種である昇降機に乗って、モルティスが待つという最上階へ向かった。


――「月の塔」へ実際に来たのは初めてだが、想像以上に贅沢な代物だ。この昇降機を作る金があれば、どれだけの国民が救われるというのか……


 昇降機から降りてモルティスの居室を前にしたカレヴィは、握りしめた掌が酷く汗ばんでいるのを感じた。

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