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ラグナロック~神々の黄昏~

「モリ、こっちに来てください。ようやく着きましたよ」

 アレフは元々細い目を更に細くして、遠くに見える陸地を眺めた。ヨットで旅立ってからもう一カ月近くになるだろうか。波に揺られる船上の生活にもすっかり慣れて、逆に陸地で暮らす感覚を思い出せない程だろう。上下左右に揺れながら近づいてくる陸地には、暑苦しい緑色の熱帯樹林が深々と生い茂っており、南国ならではの生気溢れる出る様を演出していた。

アレフの声に誘われて、モリがヨットの中から出て来る。つい先ほどまでは寝ていたのだろう。片方の手であくびが出そうになる口を押さえながら、もう一方の手で瞼を擦っている。

「随分と長くかかったもんだな」

 久々の陸地に対して感激を覚える事も無く、淡々と目の前を見据えている。彼らしいと言えばそうなのだが。

しばらく切らなかったせいで髪は大分伸びていて、前は両目を完全に覆うほどに、後ろは肩に軽く掛るほどになっている。色白の肌も手伝って、まるで何処かの悪霊のような容姿になっていた。心地よい海の潮風を受けて、モリの髪は「こいのぼり」の様な揺れ方をし始める。何気なく船首の方に向かって歩き出し、そこから海面を覗きこむ。

「何か見えますか?」

「何も」

 他愛の無い会話だ。最も一か月も船の上で男二人の暮らしとなると、このような会話でも、無いよりましと言える。

「あのさ、陸についたら教えてくれるんじゃなかったのか?」

 モリは海面に注いでいた視線をアレフの方に移すと、気になっていた事を問いただした。

「知りたいですか?」

「もちろんだ。俺をあのどでかい牢獄から脱獄させて、今度はヨットに乗せて別の土地に連れて行かせるんだからな。何でそんな大掛かりな事をするのか、気にならないほうが変だろ」

 まあ、このモリでさえ気にすると言うなら、他の誰であってもそうだろう。

「そうですか、ならそろそろ言いましょうか――」

 そう言うとアレフは先の陸地を指さした。

「あなたに、あの大地の王になって頂きたいのです」

「……。えっ?」

 さすがのモリもこれには驚いた。いや、驚愕していた。

「どういう事だ?」

「正確には、指導者と言った所ですが」

 まるで話しの意図がつかめない。

「分かった、質問の要点を言う。何で俺が、どういった理由で、あの土地の王になるんだ?」

「先ほども言い直しましたが、正確には指導者です」

「分かった。けど、それはどうでもいい」 

 よく考えてみればアレフと言う男のする事、為す事は謎だらけだ。いきなり、モリの前に現れてしつこく自己紹介をし出して、それが済んだと思ったらニ、三日後には脱獄の話しを持ちかけて来る。そして脱獄が成功すると、今度はヨットで――。

 とにかく、理解出来ない。彼の考えている事を探る事など不可能なのだ。モリはこのアレフほど、「意味不明」という言葉が似合う人物はいないと、自信を持って言えた。

「ご存知の通り、今世界は我々の前の世代の選択によって核兵器が投下され、世界の八十パーセントは死の大陸となってしまいました。私は戦前から存在するある世界機関の一員でして、その機関の目的を成し得る為に働いているのです」

「つまり、その目的って言うのは?」

「一言で表しますと、『第二のアブラハム』計画です」

 まだ全然、話し見えてこない。

「モリも知っての通り、かつて神は一度人類を滅ぼされました。驕り高ぶり、神を蔑ろにするようになった愚かな人間に対し、神は罰をお与えになったのです。巨大な洪水を起こし、それはありとあらゆる物を飲み込みました。しかし、神は無垢なる人ノアにだけは洪水の事を知らせ、方舟を造り逃れるように言われました。その後、ノアは数少ない人間と動物を船に乗せて四十日間降り続いた大洪水を凌ぎました。ノアは再び陸に降り、人類はもう一度進化の出発点を迎えます。そして神は地上に預言者アブラハムを送り、人類を祝福されました。彼の指導の下、次こそは正しい道を歩む事を切望されて」

「しかし、人類は再び道を誤りました。科学技術の急速な発達により、我らの母なる星地球の環境を破壊し始めました。更には相次ぐ戦乱の果てに、核兵器という悪魔の武器を手にしたのです。人口もかつて無いほどにまで膨れ上がり、人類はまさに過った運命の終着点に着いてしまったのです」

 ようやく、話しが分かって来た。

「つまり、お前らの組織は俺にアブラハムのような指導者になって欲しいって事か?」

 冷静に言うってはみたものの、全く持って冷静で受け止められるような事では無い。

「その通りです」

「まだ一つ分からない。何で俺が選ばれたんだ?」

「我々の機関はそこから一つの結論に辿り着いたのです。何故人類は再び過ちを犯したのか、それは神が送られた預言者の数が少な過ぎたからなのです。神はアブラハムを始めとして、モーセ、キリスト、マホメッドらの預言者を地上に遣わされましたが、その数では我々人類を正しく導くのには不足でした。人類は神がお考えになるよりも、より愚かだったのです」

「そこで我々は十人の指導者を選出し、その者達に人類再出発の舵取りを任せるべきだと考えました。私はファースト・エンジェルという役目を授かっておりまして、十人の指導者の内、その中の最高位に当たる『メタトロン(王冠)』なる人物を探し出し、その者に使命を告げるのです」

 人にエンジェルというコードネームが付くとは。モリは若干の違和感を感じながらも、それは口にせずに。

「つまり、お前が俺を選んだのか?」

「いえ、それは違います。我々の機関では、戦前より、いえそれよりもずっと前からあるDNAの研究をしていたのです。それは、歴史上あらゆる分野における偉人、天才と呼ばれる人物達のDNAサンプルを検出し――」

「……んっ!」

 モリはある事に気付いた。いや、気付いたというよりはひっかかったと言うべきか。

「ちょっと待て。戦前よりずっと前からそんな研究をしてたって、まるで核戦争が起こるのを知ってたような言い方だな」

 そして。次にアレフが放った言葉は予想を超えていた。

「ええ、実際あの戦争は我々の機関が引き起こしたものですから」

 モリはしばらく口を開けなかった。彼が生まれた時、世界は絶望的なほどに荒廃していた。無数に転がる死体や建物の残骸は終戦後も撤収される事は無く、無政府状態の町ではあらゆる種の犯罪が平然と行われる。モリは未だにその光景を鮮明に覚えている。

 その後の人生を牢獄で過ごしていたモリにとって、世界とは戦争による絶望の絵図という定義になっていた。そして今、その世界を創った者達の一人が目の前に。

「お前達はあの戦争の意味を、それが何をもたらしたのかを、理解しているのか?」

 モリは心の奥底から、人の最も深い所から湧き出てくる怒りを感じた。始めてだった。そんな感情を抱くのは。おそらく、これからも無いだろう。

「知っています。世界の人口の九十パーセントが死に、地上の動植物のほとんどが死に耐えました。また当時国際連合に加盟していた二百二カ国の内、二百カ国までの政府が倒壊し、世界の人々の生活水準は平均で五百年後退し、人類の歴史上最大の被害が出ました。それだけの事です」

「それだけ?」

「あのままでは人類は滅亡を免れ得ませんでした。今言った戦争の被害など、人類という種の滅亡を考えれば考慮の必要すら無い被害です」

 アレフの表情には僅かな変すら無い。罪悪感、後悔、悲嘆、それらの微塵も浮かんでいなかった。

「お前達は本気でそれが正しいと?」

「百パーセント、とは言いません。しかしあの時点で、正解に限りなく近い選択だったと言えるでしょう。もし神が遥かなる彼方から見ておられたのなら、我々の選択を褒めていただけると信じています」

「お前もあの世界を見ているだろう」

「ええ、地獄絵図のようでした。そしてそれを見てより強く実感しました。一刻も早く、我々の計画した新しい世界を構築しなければと。そのためにも、あなたの力が必要なのです、モリ。今は振り返る時ではありません、前を向いて新しい世界を一から作り直す時なのです」

 アレフの目には輝きがあった。絶対的な信念の下、自分が信じた道を行く者の証しなのだろうか。

「今の話しを聞いて、俺がお前の言う指導者の役を受けると思うか?」

「モリ。人にはそれぞれの役目があるのです。私はあなたを指導者に導く事、そしてあなたは指導者として人々を導く事。それは運命なのです。私からはそれ以上何も言えません。結局の所、運命を受け入れるか、あるいは拒むかは本人のみが決める事です」

 気が付けば、モリの心の奥底で燃えていた怒りは消えていた。何処に行ってしまったのだろう。いや、それとも周りのものを全て焼き尽くしてしまったのだろうか。爆発的な感情は表面に表れる事無く、それに対しモリは何処か空恐ろしさを感じた。

「少し、休んで来る」

 そう言い残すと、モリは足早に中へと入って行った。


 再びヨットの上はアレフだけとなり、海鳥の鳴き声だけが辺りを駆け回った。気が付けば陸地がかなり大きくなって見える。穏やかに晴れ渡るあの空だけは、彼らの未来を知り得るのだろうか。

  









 

 



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― 新着の感想 ―
[一言] 作品の方、読ませてもらいました。 いくつか思った事を書きますので参考程度にお読みください。 ・各パートについて 冒頭、アレフの台詞から脱獄の理由を語るまで。 この辺りはとてもスムーズです…
[良い点] 宗教の盲目さや、人類の文明を皮肉った内容は興味を引くものであると思います。 短篇の背後に大きな物語を呼び起こさせる壮大さは感じました。 [気になる点] 描きたいと思うものと短篇である事のミ…
[良い点] 興味をひく冒頭部分。それから、船上という閉鎖された空間でなおかつ登場人物を二人に絞ったことによる、わかりやすさ。 [気になる点] 読み手である私は、この作品で初めてモリという人物と出会った…
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