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第9話 金継ぎ師の誘い

「漆風呂で寝かせて、明日は二回目の研ぎと中塗りだな」

 

「中塗りってことは、まだ終わりじゃないんですか?」

 

「ああ。二回目の中塗りを終えたら、いよいよ仕上げだ」

 

 埴安(はにやす)さんお気に入りの店でおすすめのカレーを食べた帰り道。

 わたしは埴安さんから次の作業について話を聞いていた。

 

「中塗りが終わったら漆風呂で寝かせて、明後日に仕上げをする感じでしょうか」

 

「いや、漆風呂は挟まない。中塗りが終わったら、仕上げだ。お嬢さんの選択で狐白(こはく)がどんな変化を遂げるのか、想像するだけでワクワクするよ」

 

 楽しげに語る埴安さん。

 けれどわたしは、ちっとも楽しい気持ちになれなかった。

 

 笠間稲荷神社で宇賀野(うかの)さんに声を掛けられて、工房に案内されたのは三日前。

 なのにわたしはすっかり、工房を自分の場所のように思っていた。

 

 工房に通う三日間、わたしは理想の日だまりを見つけた猫のように幸せだった。

 宇賀野さんと埴安さんに見守られながら狐白を繕う時間は、何物にも代えがたい。

 自分の居場所を失い孤独を抱えていたわたしにとって、工房は心の拠り所になっていたのだ。


 わたしは何の根拠もなくこの時間が続くと錯覚して、だから埴安さんの言葉に驚いてしまったのだろう。

 笑ってしまう。だって埴安さんは、一週間もあれば狐白を治せると言っていたのに。

 

 自分自身に呆れかえってため息を吐くと、数歩前を歩いていた埴安さんが振り返った。

 

「どうした?」

 

 知らず、歩みが遅くなっていたらしい。

 わたしは埴安さんの隣へ駆け寄り、苦笑いした。

 

「工房で過ごした時間が充実していたから、もうすぐ終わるって聞いて寂しくなっちゃいました」

 

「作業が終わっても来ればいい。工房の場所はもう覚えただろう?」

 

「覚えましたけど……。でも、仕事場へ遊びに来られたら迷惑じゃありませんか?」

 

「迷惑なもんか。気が咎めるっていうなら、菓子でも持ってくればいい。金継ぎに興味があるなら、引き続き教えるのもありだな。お嬢さんは筋がいいから、教え甲斐がある」

 

 埴安さんは落ち着いた声で「考えておいてくれ」と言った。

 軽い口調で話す彼の低い声にどきりとして、わたしは誤魔化すように俯く。

 

 駅に向かって歩きながら、ふと埴安さんがつぶやいた。


「この辺に越してこられるなら弟子にできるのになぁ」

 

「弟子、ですか?」


 まさかそこまで目を掛けてもらえているとは思わず、間抜けな声が出た。

 びっくりした顔のまま埴安さんを見ると、彼はむーんと難しい顔をしている。

 

「そう、弟子。いい加減、俺一人でやるのも限界なんだ。工房の中にある食器、見ただろ?」

 

 工房の様子を思い出し、わたしはこくりと頷いた。

 埴安さんが言う通り、工房の中には繕い待ちの食器がいくつも置かれている。

 

 見る限り、ずっと置いてあるわけではない。

 一つなくなってはまた一つ追加されてと、日々入れ替わっていた。

 

 思い返せば、初めて工房を訪れた時も埴安さんは作業中だった。

 ワークショップ中にしていた作業も仕事だったようだし、金継ぎ師というのはわたしが思う以上に頼られる仕事のようだ。

 

「わたしなんかにできるでしょうか」

 

「お嬢さんは筋がいいって何度も言ってるだろ」

 

「埴安さんは褒めて伸ばすタイプなのかと……」

 

「おべんちゃらだと思われてたわけか」

 

 確かにその通りで、言い返せない。

 それにしても「おべんちゃら」ってなかなか使わないのでは?

 軽い口調に古い言葉があべこべで、つい笑ってしまう。

 

「なんで笑ってるんだよ」

 

 むくれる埴安さんはそれはそれでかっこいいけれど、申し訳ない気持ちになる。

 だからわたしは少しだけ、彼が喜びそうな情報を教えてあげることにした。少しだけ、打算も込めて。

 

「わたしは今、実家に住んでいるんですけど……。そろそろ家を出て、一人暮らしをしようと考えていたところなんですよね」

 

 わたしの言葉に、埴安さんがぴくりと反応する。

 期待するような視線を向けられて、まんざらでもなく思う。

 

「引っ越し先は決まってないのか?」

 

「はい、まだ決めていません」


「わざわざ言うってことは、この辺りに越してきてもいいってことか?」

 

「そうですね。今は、工房の近くで家探しするのも有りかなって思っています。仕事があるので弟子にはなれないですけど……。今くらいのペースで工房に通うことはできると思います」

 

 今くらいのペース。つまり、毎日だ。

 あいにく仕事は兼業不可なので弟子は難しいけれど、ワークショップなら問題ない。

 

「そうか」

 

 じわじわと緩む顔を隠すように、埴安さんは手で口を覆った。

 けれど、目は如実に語っている。嬉しいって。

 わたしも嬉しくなってふにゃりと笑うと、埴安さんがフハッと吹き出した。

 

「宇賀野に話しておけば、良さそうな家を探してくれるはずだ」

 

「宇賀野さんが?」


「工房も宇賀野が用意してくれたんだ。お嬢さんが住む家くらい、すぐ見つけてくれるさ」


 初めてこの工房を見た時、素敵だと思った。

 それを口にした時、宇賀野さんも嬉しそうにしていたことを思い出す。


「なるほど、それで宇賀野さんはあんな風に……」

 

「何かあったのか?」

 

「工房を案内された時に、少し」


 あの時の宇賀野さんはどこかそっけなくも見えたけれど、もしかしたら照れ隠しだったのかもしれない。

 意味深に言葉を濁すわたしに、埴安さんは「俺にも教えろよ」と唇を尖らせた。


 そのしぐさ一つで、何人の女性が卒倒するだろう。

 埴安さんは自身の顔の良さを自覚するべきだと思う。



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