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第5話 豆皿を繕う ~前処理~

 望みを断たれて、泣きそうだ。

 縋るように埴安(はにやす)さんを見上げると、彼はおろおろしながら「違うんだ!」と叫んだ。


「埴安、ちゃんと説明なさい」


 右往左往する埴安さんを宇賀野(うかの)さんが叱咤する。

 叱られた埴安さんは「分かっている!」と言い返して、わたしに向き直った。


「お嬢さん。何を言っているんだって思うかもしれないが、金継ぎっていうのは繕うものの声を聞いて繕っていくものなんだ。分かりやすく言い換えると、器が持つ背景とでも言おうか……」


 宥めるジェスチャーをする埴安さんだけど、彼こそ落ち着くべきだと思う。

 わたしは早口言葉のように紡がれる彼の言葉に耳を傾けながら、理解しようと努めた。


「ええと……。器に合わせた繕い方をするために、その器についてよく学ぶ必要があるということでしょうか?」


「まぁ、そういうことにしておこう」


 なんとなく、説明が面倒でなぁなぁにされた感じがする。

 きっと職人ならではの感性なのだろう。

 

 埴安さんは感覚派の人なのかもしれない。

 そういう人に説明を求めても、ますます分かりづらくなるだけだ。

 わたしはそれ以上を聞くことは諦め、先を促すように埴安さんを見た。


「それで、だ。俺の目には、この豆皿がお嬢さんに繕ってもらいたいと言っているように思えてならない。無視して俺が繕ってもいいんだが……。経験上、お嬢さんが繕った方が万事うまくいく」


 埴安さんがあまりに堂々と言い切るものだから、そういうものなのかもしれないと思いそうになる。

 でも、本当にそうなのかな?


 当然、金継ぎ職人である埴安さんが繕う方がうまくいくに決まっている。

 敢えてわたしにさせる理由はなんだろう。

 

「ええと……。そもそも、わたしなんかができるのでしょうか? その……きん……ええと、かね……?」


「きんつぎ、ですわね」


「ありがとうございます、宇賀野さん」

 

「どういたしまして」


「埴安さん。見ての通りわたしは、金継ぎという言葉もお皿を繕うことができるということも、今知ったばかりなんです。そんなド素人が、できるものなのでしょうか?」


 できるはずがない。

 わたしの顔にはありありと「無理」の二文字が浮かんでいるはずだ。


「できないことはないと思う。最近ではワークショップなんかでやることもあると聞いた」


「と言うと、埴安はやったことがないわけよね? ワークショップ」


 宇賀野さんがチクリと言うと、埴安さんは「うぐっ」と唸った。

 どうやらこの二人、宇賀野さんの方が一枚上手のようだ。


「そうだが……やれないことはないと思う。材料はここにすべてそろっているし、見たところお嬢さんは器用そうだ」


 見た目で判断するのはどうかと思うけれど、確かにわたしは器用な方だ。

 刺繍を趣味にしているだけあって、細かい作業が得意である。


 とはいえ、やるからには完璧に治したい。

 それならやはり、プロである埴安さんに任せるべきだと思う。


 わたしにやらせたい埴安さんと、埴安さんにお願いしたいわたし。

 堂々巡りだ。

 ムムムと考え込んでいると、宇賀野さんがパチンと手を打った。


「まぁまぁ。このまま言い合っていたってどうにもならないわ。まずはくるみさん、あなたがどの程度器用なのか試してみましょう。その上でできそうならやればいいし、無理なら埴安がやればいいだけよ。そうでしょう?」


「そうだ、それがいい! 前処理だけでもしてやってくれ」


 わたしの豆皿に対する気持ちを慮ってか、宇賀野さんの「そうでしょう?」は豆皿に向かって言い聞かせるようでもあった。


(宇賀野さんも埴安さんも、初対面なのにわたしと豆皿の関係に理解を示してくれている)

 

 ここが陶芸の町だからなのか、あるいは他の理由があるからなのかは分からない。

 けれど、長く一緒にいた家族より理解してくれていると思えた。


(二人がここまで言っているのだもの。腕試しに少し触れてみるくらい、いいのでは?)


 それに、これは大事な豆皿(とも)の一大事なのである。

 すべてを他人に任せるというのも、いかがなものか。


『くるみ』


 宇賀野さんと埴安さんに感化されたのか、豆皿から声が聞こえた気がした。

 ひっくり返してキツネの窯印(かまじるし)を見ると、どことなくお願いされているような気持ちになってくる。


「じゃあ、ちょっとだけ……」


 気がつくと、一歩足を前に出していた。

 わたしの決断に、宇賀野さんも埴安さんもホッとした表情を浮かべる。


「よし! じゃあ気が変わらないうちにこっちへ座ってくれ」


「埴安、少しは隠しなさい」


「へいへい。しかし、こんな機会はめったにないからな。浮かれちまうのも仕方がないだろう」


「そうですけれど……」


 せっかくその気になったのだからと、埴安さんは特等席へ案内してくれた。

 開けっぱなしの玄関から、そよそよと風が吹き込んでいる。

 心地よい風に目を細めていると、宇賀野さんが腕カバーとエプロンを持ってきてくれた。


「金継ぎには漆を使うから、かぶれないように腕カバーとエプロンをつけてね」


「ありがとうございます」


 腕カバーとエプロンをつけている間に、埴安さんは手際よくテーブルの上に材料を並べていった。

 生漆(きうるし)と書かれた絵の具チューブのようなもの、めん棒、ガラス板、ゴム手袋、何かを拭うような布の切れ端。

 埴安さんが作業していた場所にはもっとたくさんの道具が並んでいたけれど、今回は腕試しに《前処理》という作業をするそうだから少ないのだろう。


(金継ぎって仰々しい名前に萎縮しちゃったけれど、思っているより気軽にできるものなのかも)


 並べられた道具の中で知らないのは、生漆だけだ。

 その他の道具は見たことがあるものばかりで、拍子抜けしてしまう。


 どういうものか知らないから、悪い想像をしてしまうのだろう。

 何かを始める時、最悪の事態を想定して行動するのはわたしの癖だ。


「さぁ、ゴム手袋をはめてさっそく始めよう。丈夫で綺麗な金継ぎをするためには、最初が肝心だ」

 

「くるみさん、気を楽にして挑戦してみてね」


「はい!」


 埴安さんは、生漆と書かれたチューブの中身をガラス板の上に少し出した。

 めん棒に生漆をとり、どうぞと渡してくれる。

 

「豆皿の欠けた部分に、生漆を薄く塗っていくんだ」

 

 ちょんちょんとめん棒で生漆を塗っていく作業は、まるで傷を消毒しているようだ。

 わたしは無意識に、「いたいのいたいの、飛んでいけ」とつぶやいた。


 転んで怪我をした膝に消毒液を塗るように、優しく丁寧に生漆を塗っていく。

 布で余分な漆を拭き終わったところで、埴安さんが豆皿を覗き込んだ。


「うん、お嬢さんは筋がいいな。豆皿が喜んでいるぞ」


「そうですか? 豆皿が嬉しいと、わたしも嬉しいです」


 まだ、欠けたところに生漆を塗っただけだ。

 けれど埴安さんが言うと、不思議とそうなんじゃないかと思えた。


「このあとは、どうすればいいんですか?」


「あとは、漆風呂で一晩寝かせる」


「えっ。拭き終わったら、終わりってことですか?」


「そう。簡単だっただろう?」


 そう言って、埴安さんはニヤリと笑んだ。

 

 もしかしてわたしは、騙されているんじゃないだろうか。

 疑心暗鬼になって疑いの目を向けたのに、埴安さんは意に介さず言い聞かせるように答えた。


「金継ぎは、ゆっくりゆっくり時間をかけて繕うんだ。お嬢さんが愛情を込めて手間をかけてやれば、それだけ良いものができる」


「ええ、そうね。くるみさん好みの、いい男にしてやりなさい」


「男って……この豆皿、男性だったんですか?」


「そうよ。知らなかった?」


 当然のように言われて、わたしはそれを宇賀野さんの冗談だと思った。

 だってまさか、豆皿に性別があるなんて誰が思うだろう。


 その後は家でもできる漆風呂の作り方を聞いて、宇賀野さんに送ってもらった。

 彼女の話は何を聞いても面白くて、気づくと駅前に着いていた。


(まずい。明日も行くのに、道を覚えてない……)


 焦るわたしに、宇賀野さんは「そうそう」と声を掛けた。


「明日は十時くらいに神社で待ち合わせしましょう?」


「いいんですか?」


「ええ。あの工房へ行くには慣れが必要なの。だから、慣れるまで責任を持って付き合うわ」


「何から何までありがとうございます、宇賀野さん」


「どういたしまして。くるみさん、また明日ね」


「はい。またよろしくお願いします」


 手を振る宇賀野さんにペコリと頭を下げて、わたしは列車へ乗り込んだ。

 揺れる列車の扉にもたれながら、車窓を見つめる。

 映り込んだ自分の顔色は、ずいぶんと良くなっていた。



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