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第40話 豆皿を繕う ~呼び継ぎ~

「くるみさん。……俺、最低なことをした。あんたの大事なものを、自分の勝手な思い込みで、俺が……」


 小椋(おぐら)くんの声は震え、途切れ途切れだった。

 彼は、わたしの前に古びた布を置いた。


「これは、俺がガキの頃から、ずっと捨てられずに持っていたものだ。俺の家族がバラバラになったあの日、唯一拾い上げた……思い出の欠片だ」


 布の中にあったのは、狐白(こはく)の豆皿とは全く異なる、青みを帯びた白磁の破片。


宇賀野(うかの)さんに言われたんだ。……これで、償いになるなんて思ってない。でも、俺にはこれしか……。くるみさん、俺のこの欠片を使ってくれ」


「……小椋くんの、大事なもの」


 吸い寄せられるように、わたしがその欠片に触れた――その瞬間だった。


(……っ⁉︎)


 わたしの意識は、静かな、けれど深い記憶の底へと沈んだ。


 そこでは、わたしはお皿だった。ある家族に、遠出した記念に買われたお皿。

 使われるのを楽しみにしていたのに――使われることなく、砕けた。


 冷たい床の上、散らばった破片は誰にも顧みられない。

 幸せを運ぶはずだった自分は、ただの壊れたゴミになってしまった。

 寂しくて、切なくて、凍えてしまいそうな孤独。


 その時だった。

 わたしの体に、小さくて、とてもあたたかい熱が触れた。

 涙で()れた顔をした、小さな男の子。


「……ごめんね、ごめんね……」


 震える声で謝りながら、彼はわたしの欠片を、そっと宝物のように拾い上げた。

 その手のひらの熱が、砕けてしまったわたしの意識を、優しく、ぎゅっと抱きしめてくれる。


(ああ……小椋くん。あなたは、あの日からずっと……)


 意識がふわりと浮き上がり、指先に伝わる磁器の感触に戻ってくる。


「……っ、ふぅ……」


 現実に戻ったわたしの目からは、いつの間にか涙があふれていた。

 目の前にいる、幽霊のように青ざめた今の小椋くんと、さっき見えた子どもの面影が重なる。


 小椋くんがずっと一人で抱えてきた、誰にも見せられなかった宝物と消えない痛み。

 それを、わたしは今、欠片を通して受け取ってしまった。


 戸惑うわたしに、背後から埴安(はにやす)さんの声が響いた。


「《呼び継ぎ》だ」


「よびつぎ……?」


「金継ぎには、違う器の破片を使って繕う、《呼び継ぎ》という技法がある。本来交わるはずのなかった二つの器が、金継ぎによって一つの命になる。元通りに戻すよりずっと難しくて、……だが、ずっと強い」


 埴安さんは、小椋くんが差し出したの欠片を、まるで慈しむように見つめた。


「その男が持ってきた欠片には、その男の執念と後悔、そして救いたいという祈りが詰まっている。それが、狐白の欠けた部分を埋める新たな血肉となるだろう」


「狐白の……」


「繕い手なら、この男の罪もまるごと飲み込んで、つないでやれ……狐白を、もう一度繕い直せるのは、世界でおまえ一人だけだ。夜明けまで、あとわずか。これ以上(とき)をこぼせば、おまえたちの絆は砂となって消えてしまう」


 埴安さんの静かな、けれど確かな信頼がこもった言葉に、わたしはうなずいた。


「……やります。小椋くん、あなたの欠片、もらうね」


 小椋くんの壊れた家族の記憶と、狐白の壊された命――二つの欠片を、わたしの手で一つにする。

 それこそが、今、わたしに課せられた使命なのだと思う。


 わたしは涙を拭い、欠片を手にした。


 夜明けまでは、あとわずか。

 わたしと、小椋くんと、狐白。三人の壊れた世界をつなぎ合わせるための、最後の儀式が始まった。


 小椋くんから受け取った、青みを帯びた白磁の欠片を、狐白の大きな欠損部分にかざす。

 当然、そのままでは形が合わない。


「お嬢さん。まずはその欠片を、狐白の割れ口に合わせるんだ」


 埴安さんの淡々とした、けれど重みのある声に背中を押され、わたしはステンドグラス用のワニ口プライヤーを握りしめた。

 パシッ、パシッと、硬質な音が静まりかえった工房に響く。


 切りすぎてしまえば、もう後戻りはできない。

 小椋くんが大切に持っていた、世界にたった一つの欠片。失敗は許されない。


 大まかな形が決まると、リューターを手に取った。

 キィィィィンと高い回転音が響く。


(もっと……狐白の呼吸に、寄り添うように……)


 微細な粉塵(ふんじん)が舞う中、サンドペーパーで断面を滑らかに削り、時折、狐白の本体に当てては、隙間を確かめる。


「……重なりました」


「当ててみろ……よし。次は麦漆(むぎうるし)だ」


 指示通り、小麦粉と漆を練り合わせた接着剤を断面に塗り、二つの異なる磁器を密着させる。

 マスキングテープで固定したら、埴安さんの特別な漆風呂へ。


 数分後。

 埴安さんが箱を開けると、そこには完全に固着した皿があった。


「はみ出ている余分な麦漆を取り除いたら、次は錆漆(さびうるし)で隙間を埋める」


 隙間がしっかり埋まったら、再び漆風呂へ。そして、中塗りの黒呂色漆に進む。

 一工程ごとに、埴安さんの無駄のない言葉が、わたしの指先に正確な動きを強制していく。


「お嬢さん、次はどうする? このまま漆仕上げにするもいいし、金属粉で仕上げるもいいが……」


 答えはもちろん、決まっている。

 狐白といえば、やっぱり――。


「金粉を()きます」


 まずは《地塗り》――弁柄漆を細く薄く塗る。

 いつもなら漆風呂で十五分から三十分ほど寝かせるところだけれど、埴安さんの特別な漆風呂だと一瞬だ。


「……お願い、狐白。起きて」


 眠る彼に、そっと触れるように息を吹きかける。

 ……虹が見えた。

 漆の表面が光を反射して七色に輝く。それが金粉を蒔いていいっていう、狐白がくれる合図だ。


 用意してもらった金粉を真綿につけて、線の上に蒔いていく。

 全体的に黄色っぽくなったら、再び漆風呂へ。


 次は、蒔いた金を定着させる《粉固め》の作業。

 生漆をテレピン油で希釈し、めん棒で金粉の面に染みこませ、余分な漆をティッシュで優しく押さえて拭き取る。


「……お願い、狐白」


 祈りを込めて拭き上げた豆皿を、漆風呂へ寝かせる。


 金粉と漆が絆を結ぶための数分間。

 その間、わたしと小椋くん、そして埴安さんと宇賀野さんも。工房にいる全員の視線が、一点――漆風呂に集まっていた。


「……よし。お嬢さん、仕上げだ」


 埴安さんが漆風呂の戸を開ける。

 取り出された豆皿の金色の線は、しっとりと落ち着いた、奥深い輝きに変わっていた。


 油を指につけて、ごく少量のみがき粉を取る。

 金粉の粒をつぶすように、キュッキュッと磨く。


 磨くたびに、呼び継ぎの境界線が、まるで最初からそうであったかのような必然性を持って輝きだした。

 狐白の体に、小椋くんの後悔と祈りが宿っていくよう。


「……終わった。狐白、完成だよ」


 最後のひと磨きを終えた瞬間、工房の窓から一筋の光が差し込んだ。

 夜明けだ。


 朝日が、完成したばかりの呼び継ぎの豆皿を直撃する。

 すると、金色の筋が脈打つように淡く発光し、皿の中から、雪のように白い煙が立ち上り始めた。


 その煙はゆっくりと形を成し、作業台のそばに、見慣れた、けれどどこか少し雰囲気の変わった青年の姿を映し出していく。


「……狐白?」


 わたしの震える声に反応するように、青年の長いまつ毛がかすかに揺れた。


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