第35話 猪突猛進なクマと泰然自若なキツネ
小椋くんと話をする。
そう決めたものの、なかなか実行に移せなかった。
仕事や金継ぎ、引っ越し準備を理由に先延ばしにすること数日。
宇賀野さんと埴安さんから「心配だからできるだけ早く引っ越してほしい」と言われて、わたしはいよいよ焦り始めた。
「そもそも、なんて話しかけたらいいの? 接客は得意なのに、どうして言葉が出てこなくなるのかしら」
「接客だと思えばいいのでは?」
「それは……なんか違うと思う」
ホームセンターのキッチン用品売り場で、わたしは顔をしかめた。
そんなわたしに狐白はやれやれと肩をすくめる。
同じような問答を何度もしているせいか、狐白の反応はだいぶ薄い。
「フライパンはどれにしましょうか? 僕は持ち手を付け替えられるタイプがいいと思うのですが」
「狐白のほうが使う頻度が高くなりそうだし、使いやすいものがいいんじゃないかな」
「では、こちらにします」
そばに置いていたカートにフライパンと持ち手が追加される。
カートの下にもカゴがあり、そちらはすでにいっぱいだ。
「同じシリーズの鍋もあるみたいだよ?」
「そちらも見てみましょう」
引っ越し準備のため、わたしと狐白は大きなホームセンターに来ている。
家具や家電は宇賀野さんがそろえてくれたけれど、こまごまとしたものが足りなかったので買いに来たのだ。
このホームセンターはテレビ番組に取り上げられることもあるからか、土日ともなると人でごった返す。
レジに向かって伸びる長蛇の列に、平日に来れば良かったと後悔した。
「本当は今日、彼と話をするつもりで休みを取ったのでしょう?」
陳列されていた鍋を手に取りながら、狐白は言った。
彼の言う通りだった。
話をするつもりでわざわざ小椋くんの休日に合わせて休みを取ったのに、わたしは人でごった返すホームセンターで買い物をしている。
「何をやっているんだろうね……」
「本当ですよ」
「狐白が優しくしてくれない」
「こういう時のくるみは、甘やかすより発破をかけるべきだと知っていますから」
どう見たってたくらみ顔だけれど、わたしを見つめる狐白の目はとても優しい。
よく見なければ分からない、言い換えればわたしにだけ伝わる狐白の感情にひどくほっとする。
「ねぇ、狐白。小椋くんと話をする時さ、豆皿でいいからそばにいてくれる?」
「ええ、もちろんです」
「……よし! そうと決めたら、さっそく話しに行かないとね。まずは買い物を済ませちゃおう」
「くるみ、走ると危ないですよ。ここは人が多いですから」
小走りで動き出したわたしの腕を狐白が引こうとした時だった。
「おまえっ、くるみさんに何してんだ!」
低く険しい声が聞こえる。
棚の影から現れたのは、小椋くんだった。
「え、なんで小椋くん??」
小椋くんはわたしの疑問に答えることなく、ズンズンと狐白のほうへ歩いて行く。
その瞳は怒りに燃えているというより、冷たく据わっていた。自分のしていることを一点の曇りもなく「正しい」と信じ込んでいる、あのヤンキー時代の、一番厄介な時の目。
小椋くんはぐわしと、狐白の胸ぐらを掴み上げた。
動揺しているわたしと違い、狐白は平静そのものだ。
掴まれたまま、眉一つ動かしていない。
「人が多いので走るのは危ないと注意しただけですが」
「んな言い訳、通用するわけねぇだろ」
「言い訳も何も、その通りなのですがね」
困った困ったと、狐白は頬に手を当てて首をかしげた。
そののんびりしたしぐさに、小椋くんは小馬鹿にされていると思ったようだ。
小椋くんの顔が見る間に凶悪になっていく。
「馬鹿にしてんのか⁉︎」
「しようがありません。あなたのこと、よく知りませんので」
ホームセンターで買い物をしていたら、妹の彼氏が友人に突っかかってきた。
なお、友人も妹の彼氏も初対面。
さて、この状況はなーんだ?
(って、分かるか――!)
まるで、クマ対キツネ。
森の喧嘩祭り、開会――!ってゴングが鳴りそうな雰囲気に、わたしは慌てて狐白と小椋くんの間に入り込んだ。
「ここ、ホームセンターなのよ。目立って恥ずかしいから、今すぐ手を離して」
奥まった場所にいたおかげで騒ぎになっていないが、それも時間の問題だろう。
狐白の胸ぐらを掴む小椋くんの手を、レフェリーよろしくペチペチ叩く。
小椋くんはビクッとして、渋々手を離した。
「狐白、大丈夫?」
まっさきに狐白へ声をかけると、小椋くんは息を呑んだ。
見ると、わたしがそうすることに理解が追いついていないような顔をしている。
「……なんで。なんで、こんなやつの肩を持つんですか」
絞り出すような彼の声には、謝罪の響きなんて微塵もなかった。
あるのは、裏切られたと言わんばかりの身勝手な絶望だけ。
(また謝らないつもり?)
何度狐白を傷つければ気が済むのだろう。
小椋くんは、狐白が豆皿のつくも神であることを知らない。
そのことが頭から抜け落ちてしまうくらいの、強い怒りの感情が沸き上がってくる。
「小椋くんなんて大嫌い! 二度とわたしの前に現れないで!」
狐白の手とカートをひったくるようにして持つ。
ぼうぜんとする小椋くんを置いて、わたしは地団駄を踏むように忙しく足を踏み鳴らしながらレジへ向かった。
背後に残された小椋くんの気配が、まるでおぞましい影のようにどこまでも伸びて、わたしの足首に絡みついているような気がしてならなかった。




