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第31話 散蓮華のつくも神

 散蓮華(ちりれんげ)に金を()いた三日後。

 わたしは、JR水戸線の岩瀬(いわせ)駅に降り立っていた。

 

 改札を抜けたところで姿を現したのは狐白(こはく)だ。

 これから一緒に山姥(やまんば)さんのもとを訪ねて、散蓮華を渡す予定である。

 

 気が滅入るようなアブラゼミの合唱を聞きながら、岩瀬駅を出て線路沿いを東へ向かって歩く。

 最初の踏切を渡ってまっすぐ進むと、御嶽山(おんたけさん)登山口に到着した。

 

 登山口前には数台の駐車スペースとお手洗いがある。

 設置してある看板によれば、御嶽山は筑波山系の県北端に位置する標高230メートルの山で、春のヤマザクラとヤマツツジ、秋の紅葉がすばらしいそうだ。


「本当は手をつないで歩きたいのですが……」

 

「いやいや、道が狭いから無理だって」

 

「つらくなったらすぐに教えてくださいね。抱っこします」

 

「抱っこは恥ずかしいから遠慮したいかな」

 

 道が狭くなかったら手をつないで歩きたかったという過保護な狐白をなだめすかして、わたしたちは歩き始めた。

 

「あれ、いきなり分かれ道?」

 

「右は不動の滝を経由していくルートですね」

 

「わたしたちは左?」

 

「ええ、僕たちはこちらです」

 

 緩やかな登山道を、狐白を追いかけながら歩く。

 木々の合間からさす光がとても綺麗だ。

 (オオカミ)に追いかけられた山とは、まるで雰囲気が違う。

 

「山姥さんの家はあやかしの世界にあるんだよね」

 

「はい。今回は、御嶽山の登山道から脇に逸れて入る予定です」

 

「結構歩くの?」

 

「いえ、十五分くらいで到着するはずです。登山道を歩くのは十分ほどでしょうか」

 

 わたしは、事前に調べておいたハイキングマップを思い返した。

 

 登山口から二十分ほど歩くと、御嶽山神社。

 神社を通り過ぎて採石場を迂回(うかい)しつつ尾根道を進み、急な階段を上ると雨引(あまびき)山頂。


 山頂には東屋があり、眺望を楽しみながらひと息入れることができる。

 そこから十分ほど歩くと加波山(かばさん)との分岐になり、右に進むと雨引観音(あまびきかんのん)こと雨引山楽法寺(らくほうじ)

 

 一に安産、二に子育よ、三に桜の楽法寺――と言うそうだが、わたしは紫陽花の時期を推したい。

 境内を埋め尽くす紫陽花は、とても綺麗だ。特に仁王門(におうもん)へと続く磴道(とうどう)の石段は、趣がある。

 

 言っていた通り、十分ほど歩いたところで狐白は道を逸れた。

 狐白は、木と木の間に道があるかのように迷うことなく進む。

 

「ねぇ、狐白。どうやってあやかしの世界へ入るの?」


「人間の世界にはあやかしの世界へと通じるトンネルのようなものがあり、今はそこへ向かっているところです」

 

「なるほど」


「あやかしの世界に入るのは簡単です。ただトンネルを抜ければいい」

 

「出る時は?」

 

「あやかしの案内が必要です」

 

「案内がなければ?」

 

「人間の世界へ戻ることは難しいでしょう」

 

「入るのは簡単なのに出るのは難しいなんて、(ウナギ)の仕掛けみたいだね」

 

「その通り。このトンネルは、人間を迷い込ませてあやかしの世界へ招く(わな)なのです」

 

 軽い気持ちで言ったのに、まさかの正解だった。

 自分で言ったのに、思わずギョッとしてしまう。

 

「え、罠なの?」

 

「昔の話ですよ。今はおいしいものがたくさんありますから、よほどのことがなければ人間を取って食うことはありません」

 

「そ、そっか……」


 安心していいらしいけれど、ちっとも安心できない。

 ソワソワしだすわたしに、狐白はいそいそと両手を広げた。

  

「心配でしたら、抱っこしましょうか?」

 

「それは最終手段に取っておいて!」

 

 抱っこは恥ずかしいので却下だ。万が一の時は、仕方ないけれど。

 

 わたしの不安をよそに、山姥さんの家には予定通り到着した。

 家の前で、狼たちがお行儀良く並んで座っている。

 凜とした姿は、まるで賓客を出迎える軍人のようだ。

 

「よく来たな。ほら、上がれ」

 

 家から出てきた山姥さんに手招かれ、わたしと狐白は彼女の家にお邪魔した。

 ギィギィと(きし)む床を恐る恐る歩いて、この家の最上級のおもてなしであろう二枚重ねの座布団に座る。

 肩からトートバッグを下ろすと、山姥さんが黄色い目をギラギラさせて床に腰を下ろした。

 

「できたか?」

 

「はい。さっそく見ますか?」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 あぐらをかいていた山姥さんが、正座に座り直す。

 彼女は緊張を解すように深呼吸してから、神妙な顔でうなずいた。

 

 トートバッグから帛紗(ふくさ)に包まれた散蓮華を取り出す。

 帛紗を丁寧に広げたあと、わたしはそれを山姥さんに差し出した。

 

「お、おおお……」

 

 皺だらけの痩せこけた手が、震えながら散蓮華に触れる。

 山姥さんの指先がちょんと触れると、散蓮華は笑い声を上げた。

 

「ばぁば、くすぐったいよ」

 

 キャッキャと笑うのは、子どもの姿をしたつくも神だ。

 アサガオのような明るい笑顔がかわいらしい。

 白い着物に青のへこ帯をあわせた幼女は、山姥さんの胸に飛びこんだ。

 

「帰ってきてくれたか……!」

 

「うん! ばぁば、ただいま!」

 

「おかえり」

 

 抱きついて山姥さんを見上げる散蓮華のつくも神。

 山姥さんは泣きそうに鼻をすすった。

 

「おれのせいで……。すまなかったなぁ……」

 

「ばぁばのせいじゃないよ。でも、また会えてうれしい!」

 

 祖母と孫の再会を見ているようだ。

 亡き祖母との思い出が次々に浮かんできて、わたしまで泣きそうになる。

  

 差し出されたハンカチを、わたしはぎゅっと握りしめた。

 狐白の大きな手が、慰めるみたいに頭を撫でてくる。

 

 感傷的になっているからだろうか。

 狐白の慰めが心地良い。

 委ねるように頭を傾けると、嬉しそうに緩む狐白の唇が見えた。

 

 

 

 

 帰り際、散蓮華のつくも神に呼び止められた。

 お礼にと渡された包みを広げたら、中から出てきたのは一粒のラピスラズリ。

 

「もしかして、あの時聞こえていたのかな?」

 

 わたしの質問に狐白は少し間を置いて、穏やかに微笑んだ。

 

「そうだと思いますよ」

 


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