第30話 散蓮華を繕う ~補色~
散蓮華に和紙を巻き付けて、漆風呂でねかせること一週間。
柄を補強する和紙は、しっかりと硬化した。
余分な漆や和紙の端をペンカッターで削って整えたあとは、サンドペーパーで表面が平らになるまで水研ぎをする。
和紙の質感を残すのであれば、このあとは中塗り・研ぎだ。
残さない場合は、錆漆で埋めてから中塗り・研ぎに進む。
(山姥さんはどちらが好きだろう?)
散蓮華は、頂き物だと聞いた。
時代は江戸から明治になろうとしている頃。
家に泊めてほしいとやって来た若者が、一宿一飯の礼にとくれたそうだ。
山姥さんは散蓮華を気に入り、若者を襲わなかったらしい。
なんとなく。本当になんとなくだけど。
山姥さんの語り口から、気に入ったのは散蓮華だけではない気がした。
考えた結果、わたしは和紙の質感を残さないことにした。
長く愛用していたのなら、違和感は少ない方がいい。
錆漆で埋めてからまた一週間漆風呂でねかせることになるけれど、そちらの方がいいと思ってしまったのだから仕方がない。
(こういう時の勘は大事にするようにって、埴安さんも宇賀野さんも言っているもんね)
時間はかかるけれど、そのぶんだけ散蓮華は応えてくれるはずだ。
繕い手としての勘が訴えている。
山姥さんはきっと出来栄えに満足してくれるはずだ――と。
粉蒔きは、金を選んだ。
散蓮華に使われている涼やかな青の模様には、高級感のある金が似合うと思ったからだ。
迷わず金を選んだわたしを見て、宇賀野さんは「さすがねぇ」と褒めてくれた。
何がさすがなのかよく分からないけれど、美女から褒められると気持ちが浮き立つ。
繕った部分に弁柄漆を塗って、漆風呂で少しねかせる。
表面が少し乾いたら、息を吹きかけて確認だ。
青息――塗ったところが虹色に反応したら、金粉を蒔くタイミングになる。
真綿に金粉をつけて、サッサッサッと蒔いていく。
金粉の価格が頭をよぎって緊張するけれど、物怖じしてばかりもいられない。
蒔きが足りないと、弁柄漆の赤が出てきてしまうからだ。
余分な金粉は真綿が回収してくれるから、気持ち大胆に蒔いていく。
蒔けていないところがないか矯めつ眇めつしてから、わたしは真綿を置いた。
磨く前の金は、窓から差し込む光を鈍く反射している。
いぶし銀ならぬいぶし金といったところだろうか。
輝きは少ないけれど、それが大人っぽさを醸し出している。
「磨いたらきっと、映えるだろうなぁ」
山姥さんにとって、怪我の功名になるといいのだけれど。
前よりずっと素敵になったって、喜んでもらえたら嬉しい。
「そうね。青と金は、お互いの色を高め合う補色だから」
願いを込めて散蓮華を見つめるわたしに、宇賀野さんはクスッと笑った。
「補色……?」
聞いたことがある言葉だけれど、思い出せない。
たぶん、美術の授業だったと思うんだけど……。
首をかしげるわたしの袖を狐白が引っ張る。
何?とそちらを向くと、言いたくてうずうずしている彼と目が合った。
「狐白は知ってる?」
「ええ、もちろん」
任せてください、と狐白は胸を張った。
「補色とは、色相環において対極に位置する色同士のことです。補色関係にある二色は、お互いの鮮やかさを強調しあいます」
「色相環ってあれだよね。いろんな色が輪になっているやつ。青の補色が黄色だとすると、赤と緑が補色関係になる……のかな?」
「ええ、その通りです。くるみはかしこいですね」
狐白は目を細めた。
まるで、孫の成功を喜ぶ祖父のような目だ。
褒められて嬉しいのに、ふてくされたくなるのはなぜだろう。
「青と金の組み合わせと言えば、パワーストーンのラピスラズリもそうだよな」
埴安さんの声に、ハッと我に返る。
何か答えが浮かびかけていた気がしたのに、もう思い出せなかった。
「青金石。その名の通り、深い青色に散る黄鉄鋼は夜空のような輝きを持っていますね」
狐白は色の知識だけでなく、宝石の知識も持っているらしい。
博識とは、狐白のためにある言葉なのかもしれない。
「ラピスラズリは、持ち主に試練を与えて成長させてくれる石だと言われているわ。手にすることがあれば、良い機会になるかもしれないわね」
「成長か……。今のわたしに必要なことですね」
「あら。では、わたくしが贈ってもよろしくて? 相性の良さそうな子がいるのよ」
子ということは、つくも神なのだろう。
宇賀野さんの言葉に、狐白が聞き捨てならないと尻尾を膨らませた。
(嫉妬深い狐の尻尾、フワフワで最高すぎる!)
まさかこの会話がフラグになるとは、この時のわたしは思いもしないのだった。