第3話 笠間稲荷神社へ
水戸駅からJR水戸線小山方面行きに飛び乗り、おおよそ四十五分。
笠間稲荷神社の最寄り駅である笠間に到着した。
駅舎は稲荷神社を模した建物で、赤を基調にした和風な雰囲気。
待合室には笠間焼の作品がガラスケースに展示されていて、いかにも焼き物の町らしい。
いつもと違うことをする。
鴨志田さんが期待していたような悪いことではないけれど、確かに気分はいい。
胸が躍る。
「いつもは車だから、駅から歩いて行くのは新鮮だなぁ」
駅から神社までの道のりは、おおよそ見当がついていたとはいえ心細かった。
そんな中、見慣れた場所に出た時の安心感と言ったら!
門前通りに来てあんなにも安心したのは、わたしの人生において初めてのことだったかもしれない。
記憶にある門前通りは、いつだって参拝者でいっぱいだった。
出店が並ぶ初詣ならではの風景、七五三で賑わう境内、菊まつりでごった返す人々。
何でもない普段の門前通りは、車が行き交う普通の道だった。
だけどそれが逆に新鮮で。見慣れない風景を楽しみつつ、硝子越しに見える店内に心惹かれて(帰りに寄ってみようかなぁ)なんて思案しながらゆっくりと神社へ向かった。
諸説あるけれど、笠間稲荷神社は日本三大稲荷のひとつだ。
ご祭神は宇迦之御魂神で、正一位という最高の位をもつ神様。
五穀豊穣、商売繁栄、殖産興業、開運招福、火防の守護神として多くの人々に崇敬されているのだとか。
数えきれないほど何度も来ているのに、わたしは神様の名前すら知らなかった。
(行きの列車で手持ち無沙汰になって、ふと思い立って調べた情報だけれど……前より少し、ありがたみが増した気がするなぁ)
開運招福。
まさに、わたしが求めているものだ。
やがて、鳥居が見えてきた。
これを見ると、必ずと言っていいほど祖母の言葉が頭に浮かぶ。
『よそのおうちへお邪魔する時は、ごめんくださいってあいさつをするでしょう? 神様の時も同じようにするのよ』
手前で衣服を整え、浅く一礼してから境内に入った。
鳥居をくぐると、奥に向かって参道が伸びている。
参道の両脇には仲見世商店街があり、初詣の時は帰りにダルマを買ってもらうのが幼いわたしの楽しみだった。
参道の途中途中に並んだキツネの像は、赤い前掛けをつけてかわいらしい。
時間をかけて変化していったそれぞれの個性的な顔立ちは、見ていて飽きない。
手水舎で手を清めたあと、その先にある朱色の楼門を目指した。
楼門の左右に飾られているのは、随身の像。
矢を背負い、剣を帯びた随身姿の神像が奉安されている。
武装した大きなひな人形──そんな風に見えた。
楼門を過ぎると、その先にあるのが拝殿だ。
右手には立派な藤棚と御神木である胡桃の木、左手には社務所がある。
見慣れたいつも通りの、笠間稲荷神社。
記憶にあるここはいつも人でいっぱいだったけれど、今ここを訪れているのはわたし一人だけだ。
神社の境内という特殊な空間に一人きりというのは、どこか珍しく特別感がある。
ガランガランと鳴らした鈴の音も、いつもより響いているようだ。
なんだか開放的な気分になって、心持ち多めにお賽銭を入れた。
笠間稲荷神社は、二拝二拍手一拝が基本だ。
二度深くお辞儀をして、二回拍手。
あいさつのタイミングは決まっていないと聞いたので、わたしは二拍手のあとにしている。
住所と名前を伝えて、神社に呼んでくれたことを感謝してから、本題に入った。
(神様。ずっと大切にしてきた豆皿がわたしの不注意で欠けてしまいました。どうしても治したいのに、方法が分かりません。瞬間接着剤を使うことも考えたけれど、なんだか嫌がっている気がして……。どうしてでしょうね。でも分かるんです、嫌がっているって。豆皿はわたしにとって、大切な存在です。これからもずっとずっと一緒にいたいから……。だからどうか、お力添えくださいますようお願いいたします)
ひと呼吸置いてから、お辞儀をする。
頭を上げて振り返ると、サラリと風が吹いていった。
厄がそぎ落とされるようで、心地いい。
後ろの人を気にせず丁寧に参拝できたからだろうか。
神様に声が届いたような、不思議な心地がする。
わたしはゆっくりと階段を下り、楼門に向かって歩き出した。
「これで少しは、前向きになれるといいな」
欠けて以来、家に置いておくことができなくて持ち歩くようになった豆皿を、トートバッグ越しに撫でた──と、その時だった。
「そこのあなた」
「えっ?」
顔を上げると、楼門の向こう側に一人の女性が立っていた。
白銀色の髪を上品にまとめて、艶やかな和服に身を包んだ美しい人。
髪の色からして年配の方なのだろうけれど、淡く笑んだ顔は年相応に見えない。若すぎる。
(髪、染めてるのかな?)
目が合うと、おいでおいでと手招ねかれた。
勘違いだったら恥ずかしいので周囲を見回したけれど、こちら側にいるのはわたしだけ。
「わたしですか?」
自分を指差して尋ねるように首をかしげると、女性は小さくうなずいた。
「こちらへいらっしゃい。わたくしが特別に案内してあげる」
再び手招かれて、わたしは急いで駆け寄った。
あの美しい女性を待たせてはいけない──そんな気持ちに急かされて。
楼門をくぐる瞬間、手を取られる。
女性は待ちきれないと言うように、わたしの手を引いて歩き出した。
不思議と、どこへ連れて行かれるのだろうと不安になることはなかった。
昔馴染みのお姉さんに手を引かれて絶対に迷うことがない帰り道のような──そんな安心感に包まれながら、わたしはのこのことあとをついていったのだった。