第23話 河童の禰々子さん
金継ぎ工房埴安は、つくも神を繕う工房である。
そのことを、わたしは甘くみていた。
工房に通うようになって、ひと月と少し。
そのあいだに遭遇した依頼人は、マスターだけ。
だからわたしはすっかり失念していたのだ。
(まさか、人間以外が依頼しに来るなんて……)
金山さんに金粉を依頼するため、宇賀野さんと埴安さんが二人揃って工房を離れて数日。
そのあいだ、工房はしばらくお休みすることになった。
今日はティーボウルの作業を進めるためにたまたま工房を開けたのだけれど……。
タイミングが良いのか悪いのか、依頼者が入ってきてしまったのだ。
「いらっしゃいませ」
心の中は思いきり動揺していたけれど、ほぼ反射的にあいさつしていた。
雑貨屋で培った対人スキルがあって良かった。
そうでなければ、とっさに笑顔を向けることはできなかっただろう。
「いらっしゃいましたぁ!」
今、わたしの前にはあやかしが立っている。
背の高さは子どもくらいで、皮膚は淡い緑色。
背中に亀の甲羅のようなものがあって、手足には水かき。
おかっぱ頭のてっぺんには、お皿がある。
耳に挟んでいる紫の花は、菖蒲の花だろうか。
日本人ならほとんどの人が知っていそうなあやかし。
そう――河童だ。
それも、マツエクをつけたぱっちりお目々のギャル河童。
とっさに椅子から立ち上がっていたけれど、緊張で手も足もガクガクしている。
狐白が前に出てくれていなかったら、腰を抜かしていたかもしれない。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
さりげなくわたしの視界から河童を隠しつつ、狐白はにこやかな声で応対し始めた。
わたしには狐白の背中しか見えなかったから、表情までは分からない。
「あーし、お皿を繕ってもらいたくって来たんだぁ。それより、あんた!」
けれど、河童の注意を逸らすことはできなかったみたい。
河童はひょいと作業台に飛び乗ると、黒々とした目でわたしを見つめてきた。
とっさに悲鳴を飲み込んだわたしは、よく頑張ったと思う。
距離を詰めようとしている河童を、狐白がさりげなく――いや、あからさまにガードしている。
小さな体をバタバタさせながら、河童はキィキィわめいた。
「あんた、繕い手ね⁉︎」
「えっ……ええ、まぁ。ひよっこですけど」
「やだ! あーしってば、運良すぎ! 繕い手がいる工房だって知ってたら、もっと早く来たのに」
「河童様、作業台から下りてください。お行儀が悪いですよ」
「あーしのことは禰々子って呼んで」
「禰々子様、下りてください」
「やーん。繕い手ちゃんは何て名前なのぉ?」
「話、聞いていますか?」
完全に無視されて、狐白は不機嫌そうだ。
不満そうな顔をしながらも河童――禰々子さんを排除しないのは、害意を感じないからだろう。
「……くるみ、です」
「くるみちゃんね! ねぇ、ちょっとこれ見てくんない?」
作業台から下ろそうとする狐白をひらりと躱した禰々子さんは、着地するなり一枚の皿を出してきた。
狐白が宿る豆皿とどことなく近い雰囲気を感じる。
「笠間焼の皿ですね」
さりげなくわたしと禰々子さんを引き離しながら、狐白が言った。
「あーしはおしゃれな河童だから、ときどき違う皿をのせるの」
頭のてっぺんを指差しながら、禰々子さんは言った。
人が服を着るように、あるいは帽子を被るように、禰々子さんは頭にお皿をのせるらしい。
誇らしげな様子から、たぶん禰々子さんだけがやっていることなのだと思う。
「甘そうなお皿でしょ? お気に入りなんだ」
持ち込まれた皿は、チョコレート色をしている。
柿赤釉という釉薬をつかっているからだ。
「気づいたらあちこちほつれててぇ。直そう直そうってずっと思ってたんだけど、ようやく沼を出てここまで来たってわけ」
「……沼」
「うん、そう、沼。あーし、牛久沼に住んでるんだぁ」
牛久沼は、龍ケ崎市にある沼だ。
沼に近い牛久市と同じ名前なのに、龍ケ崎市にある。
茨城観光百景にも選ばれていて、景色がいい。
そして、牛になった僧侶の話とか、河童の話が残されている。
(河童……。 禰々子さんの話かな)
「それよりも。くるみちゃん、これ繕えそ?」
禰々子さんの声に、はたと我に返る。
改めてお皿を見ると、あちこち薄く剥がれてほつれていた。
(ほつれの繕い方は豆皿と同じだから分かるけど……)
その時ふと、わたしの頭の中に何かが浮かんだ。
それは、銀紙に包まれたチョコレート。
このチョコレート色の皿に銀を蒔いたらどんなに素敵だろう。
それを禰々子さんが被ったら?
きっとかわいい。似合う。
どうかな?と不安そうにわたしを見つめる禰々子さん。
依頼を受けるつもりは一ミリもなかったはずなのに、気づけばわたしはこう言っていた。
「今はティーボウルを繕っているので……。そのあとでも、よろしければ」
「やったぁ! あんがとね、くるみちゃん」
感極まったように抱きついてくる禰々子さんは、ほんの少し生臭かった。
後ろで狐白が満足そうにしている気配がする。
もしかして……禰々子さんが入ってきたのは狐白のしわざ?