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あやかし金継ぎ工房 ~つくも神、繕います~  作者: 森 湖春
二章 ティーボウルを繕う
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第22話 ティーボウルを繕う ~研削~

「うん。これなら次の作業に進んでいいと思うぞ」


 漆風呂から出したティーボウルを見て、埴安(はにやす)さんは言った。


 麦漆(むぎうるし)でティーボウルを接着してから今日で一週間。

 埴安さんからゴーサインをもらったので、次の作業に移る。


 埴安さんは「俺が言わなくても分かっているくせに」と言うけれど、わたしはまだまだひよっこ。

 師匠のお墨付きがほしい時期なのである。


 ティーボウルにつけていたマスキングテープを外すと、縫合後の傷跡みたいな線が現れた。

 はみ出た麦漆はぷっくりとしていて、ミミズ腫れのようで見ていて痛々しい。


「次は、はみ出た麦漆を削るんですよね?」


「ああ、そうだ。いろいろ道具を用意してみたから、試してみるといい。自分に合った道具でやるのが一番いいからな」


 サンドペーパーとかヘラとかリューターとかいろいろ使わせてもらったけれど、今日もいろいろ用意してくれたみたいだ。


 作業台の上にあるのは、ペンカッター、カミソリの刃、彫刻刀に、刃先が丸まった不思議な形をしたカッター。

 わたしは、最後に目に留まった刃先が丸まったカッターを手に取った。


「埴安さん、このカッターって何ですか? 初めて見るんですけど」


「それは障子用カッターだ」


「障子用カッター……。世の中にはいろいろなカッターがあるんですねぇ」


 荷解き用のカッターとか発砲スチロール用のカッターは使ったことがあるけれど、障子用カッターを見るのは初めてだ。


「障子の張り替えなんて、子どもの頃に少し手伝ったきりだなぁ」


「くるみは障子紙を破る係でしたね。そのあとはお役御免とばかりに僕のところへ来ていました」


 狐白は誇らしげに語るけれど、黒歴史とも呼べる記憶を暴露されたわたしはたまったものではない。


「ちょっと、やめてよ狐白」


「どうしてですか? 僕はとても嬉しかったのに」


 わたしが何を言ってもかわいいのだろう。

 狐白の目は、メロメロと言っても過言でないくらいに甘い。


 だかたこそ、わたしは恥ずかしくてたまらなかった。

 直視できずに顔をうつむけていると、埴安さんののんきなつぶやきが聞こえてくる。


「便利な世の中になったよなぁ」


 しみじみとつぶやく埴安さんは、おじいちゃんみたいだった。

 まるで、障子用カッターがなかった時代を生きてきた人のよう。


「埴安さんっておいくつなんですか?」


「いくつに見える?」


「わたしより年上っぽいので三十代かなって思ってたんですけど……。たまにおじいちゃんみたいなことを言っている時があるから、実はもっと上なのかなと思ったり」


「おじいちゃんて……」


「ごめんなさい! 傷つけるつもりはなくて……」


「や、いいんだけどね。お嬢さんより年上なのは確かだし」


「本当にすみません……」


「若くもないけど、おじいちゃんではないから。枯れてると思って油断してると危ないぞ」


「へ?」


 埴安さんはドヤ顔で決めポーズしていたけれど、彼の言葉はわたしの耳に届かなかった。

 なぜなら、途中で狐白がわたしの耳をふさいでしまったから。


 おそらく、聞かせたくないような内容だったのだろう。

 埴安さんはたまに、小学生男子のような下品な言動をすることがある。


(何を言ったんだか……)


 胡乱(うろん)な目つきで埴安さんを見ると、なぜか満足そうにうなずかれた。

 黙っていれば滅多にお目にかかれないような美形なのに、中身は残念な人である。


「話を戻すが、障子用カッターは刃先が丸まっているから、段差があっても削りやすいんだ」


「段差ですか」


 見る限り、ティーボウルに大きなズレは見当たらない。

 あれだけしっかりくっつけたのだ。ズレていたら困る。


 けれど、触れてみれば分かる。

 しっかりとくっついた接着部分に、かすかな段差を感じた。


 気のせいと言われればそれまでなのだけれど、わたしの勘が訴えている。

 段差があるぞ――と。


 ティーボウルを左手で支えながら、障子用カッターをはみ出た麦漆に向ける。

 彫刻刀で版画を作った時のことを思い出しながら、カッターを動かしてみた。


 かり、こり。かり、こり。

 かすかな音を立てて、カッターが麦漆を削っていく。


 焦らず、ゆっくり。

 時間がかかっても愛情を込めて手間をかければ、器はそれに応えてくれる。

 わたしはそれを、狐白に教えてもらった。


 障子用カッターから彫刻刀に持ち替えて、同じ作業を繰り返す。

 ペンカッター、カミソリの刃と試した結果、わたしは彫刻刀が使いやすいことに気がついた。


「お嬢さんは彫刻刀派か」


「そうみたいです」


 はみ出た麦漆を彫刻刀で削ると、ポロポロと余分な漆が剥がれていく。

 それはまるでスクラッチのようで、面白い。


 外側が終わったら今度は内側を削る作業だ。

 内側は外側より難しい。

 難しい顔をしていると、作業を中断して埴安さんが見に来てくれた。


「内側は削りづらいだろう。刃を立て気味にすると少しはやりやすいはずだ」


「こう、ですか?」


「おう。お嬢さんはやっぱり筋がいいな」


 褒められて、悪い気はしない。

 その後は狐白の応援もあって、なんとか麦漆を削り終えることができた。


 けれど、今日の作業はこれで終わりではない。

 削り終えて改めてティーボウルを見てみると、接着部分に隙間があった。


 このわずかな隙間を埋めるのが、狐白を繕う時にも使った錆漆(さびうるし)だ。

 生漆(きうるし)砥之粉(とのこ)を混ぜて錆漆を作ったら、隙間を埋めるようにヘラで乗せて伸ばしていく。


 麦漆を削る作業は時間をかけても大丈夫だったけれど、錆漆はそうはいかない。

 硬化が早いので手早く作業を進めなくてはならないのだ。


 もたもたしているうちに、錆漆が硬化してくる。

 作り直すためにヘラを置こうとしたら、新しい錆漆を差し出された。


「初めのうちは難しいですよね。追加の錆漆、作っておきました」


 隣を見れば、褒められ待ちの犬のように耳をペタンとさせた狐白が胡散臭い笑みを浮かべている。


「ありがとう、狐白。すごく助かる」


「どういたしまして」


 狐白は笑うと目が細くなって、あやしさに拍車がかかる。

 それをかわいいと思ってしまうあたり、わたしの豆皿愛は相当なものなのだろう。


(狐白のことをとやかく言えないわね)


 誇らしいような、恥ずかしいような。

 複雑な気持ちを胸に、わたしはティーボウルを繕うのだった。



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