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あやかし金継ぎ工房 ~つくも神、繕います~  作者: 森 湖春
二章 ティーボウルを繕う
20/33

第20話 マスターと真理子さん

 喫茶マリーの店内はガランとしていた。

 お客さんがいない時間を狙って来たのだから当然と言えば当然なのだけれど、不思議な感じがする。


「お好きな席へどうぞ」

 

 落ち着いた声に促されて、一歩前に踏み出す。

 いつもだったらテーブル席へ向かうところだけれど、マスターの目の前――カウンター席に座った。

 

 カウンター席の椅子は背もたれが低くて、落ち着かない。

 なるほど、だからこの席に座る人は長居しないんだ。

 

 余計なことを考えてしまうのは、きっと緊張しているせい。

 自分とマスターを重ね合わせて、余計なお世話になるかもしれないことをしようとしているから。


 ソワソワするわたしに、しかしマスターはいつも通りだった。

 

「ご注文はお決まりですか?」

 

「あっ。カフェオレをお願いします」

 

「僕はブレンドをお願いします」

 

「かしこまりました」

 

 マスターはおしゃべりなたちじゃない。

 かといって人見知りというわけでもなく、話しかければ答えてくれるし、相談事があれば乗ってくれる。

 

 マスターは無口ではなく、寡黙なのだ。

 人の話を聞き、よく考えて話をする人なのかもしれない。

 

 彼が不用意な発言をしているところを見たことがなかった。

 奥さんは……わりと口が軽いほうだったと思う。

 

「やだ。この話、秘密って言われていたんだったわ」

 

 その台詞(せりふ)を何度聞いたことか。

 でも、悪気があって口を滑らせていたわけじゃない。

 彼女のうっかりによって破局を免れたカップルは決して少なくない。

 

 やがて、香ばしいにおいがカウンターの向こう側から漂ってくる。

 店内に流れる音楽が変わるタイミングで、コーヒーカップが目の前に置かれた。

 

「お待たせいたしました。カフェオレとブレンドです」

 

 さて、どうやって話を切り出そう。

 カップに口を付けながら悩んでいると、ふと視線を感じた。

 顔を上げると、マスターと目が合う。

 

「マスター?」

 

「あの、ティーボウルは……。いえ、失礼いたしました」

 

 思い直すように首を振り、作業へ戻るマスター。

 どう見ても、何でもない様子ではなかった。ソワソワしている。

 

(やっぱり、気になるよね)

 

 その気持ち、よく分かる。

 だって、わたしも()()だったから。

 

 自分のものでもショックだったのだ。

 愛する人のものともなれば、その罪悪感は計り知れない。

 

(モタモタしている場合じゃない! 早く安心させてあげなくちゃ)

 

 わたしは(かばん)から一枚の写真を取り出すと、カウンターの上に置いた。

 作業の手を止めて、マスターは写真へ目を落とす。

 その手から、はらりと布巾が落ちた。

 

「これは……ティーボウルですか?」

 

 マスターは写真を手に取ると、食い入るように見つめた。

 

「はい。まだ途中なんですけど、ひとまず形にはなったので。マスターに見せようと思って、写真を撮ってきました」

 

「これは、テープでくっつけているのですか?」

 

「いいえ、テープはあくまで補助です。漆でしっかりくっつけたので、安心してください」


「くっついたのですか? あんな……真っ二つになってしまったのに……?」

 

「くっつきますよ。それが、金継ぎですから」

 

「そうですか……そう、ですか……」

 

 マスターは慈しむようなまなざしで写真を見つめ、焦がれるようにティーボウルの輪郭をなぞる。

 見ているだけで恥ずかしくなるような、甘い微笑みを浮かべていた。

 

「よろしければ、次の行程をお教えいただいてもよろしいですか?」

 

「もちろんです! 今回は《麦漆(むぎうるし)》という接着剤でくっつける作業をしたので、次ははみ出た麦漆を削る作業です」

 

「なるほど。くっつけたら金を塗って終わり、というわけではないのですね?」

 

「そうですね。でも、何度も作業を繰り返すことできれいな仕上がりになるんですよ」

 

 繕い手であるわたしにとって、または愛着を持っている人にとって、器は患者さんみたいなものなのだと思う。

 どう繕っていくのか説明する義務があるし、知る権利がある。


 もちろん、相手が望まないのなら押し付けるつもりはない。

 けれど、マスターのように望むのならば、できる限り説明してあげたいと思う。


(意図してやっていたわけではないけれど……。見取り稽古をしていなかったら、きちんと説明できなかっただろうなぁ)

 

 これもまた、繕い手の能力なのだろうか。

 都合が良すぎる気もするけれど、今はありがたく思っておこう。


「何度も……。時間がかかるわけですね」

 

「少し時間はかかりますけど、待っていてください。きれいにおめかしして、お渡ししますから」

 

「おめかしか……。真理子(まりこ)が喜びそうだ」

 

 マスターの顔に、ほろ苦い笑みが広がる。

 

「奥さまですか?」

 

「ええ。井坂(いさか)真理子。それが、妻の名前です」

 

「もしかして、喫茶マリーの名前は……」

 

「ええ、妻から名前をもらいました」


「そうでしたか……。奥さまのこと、大好きなんですね」

 

 きっと今でも好きなのだろう。

 そうでなければ、ティーボウルをしまおうとは思わない。

 

 わたしの言葉に、マスターはクスリと小さく笑んで首肯した。


「ええ。私たちの出会いは見合いでしたが、私が彼女に一目惚れして、猛アタックしました。当時は自由な出会いが難しい時代でしたが、運命の相手に出会えた私は、幸せ者だと思います」

 

 一つ話を引き出せたからだろうか。

 マスターはぽつりぽつりと真理子さんとの思い出話を聞かせてくれた。

 

 結婚式では金の指輪を交換したこと。

 二年後に子宝に恵まれたこと。

 子どもが巣立ったあと、喫茶マリーを始めたこと。

 金婚のお祝いに、ティーボウルをプレゼントしたこと。


 マスターがハッとなって口を噤んだとき、かなり遅い時間になっていた。

 

「ぺらぺらと……お恥ずかしい」

 

 そう言って視線を逸らしたマスターの耳は、赤らんでいた。

 恥ずかしがる渋いおじさま……なんて罪深い。

 つい見入りそうになるわたしに、狐白の物言いたげな視線が突き刺さった。

 

「いいえ。素敵なお話を聞かせてくださり、ありがとうございます」

 

 時間も時間だし、そろそろ帰ったほうがいいだろう。

 会計へ向かうわたしに、マスターは「少し、よろしいでしょうか」と言った。

 

「米川様のお話を聞いて、ふと思ったのですが――」

  

 マスターの提案は、わたしにとって予想外のものだった。

 狐白もキツネに摘ままれたような顔をしている。

 

 そんなこと、できるのかな。

 でも、わたしが知らないだけでできるかもしれない。

 

 ひとまず持ち帰って検討してみますと答えて、わたしたちは喫茶マリーをあとにしたのだった。

 


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