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第2話 電車に飛び乗って

「なるほどねぇ。それならさ、家を出ちゃってもいいんじゃない?」


 職場からの帰り道。

 帰りたくないなぁと足取りも重く駅へ向かっていたわたしに、事情を聞いた鴨志田(かもしだ)さんはそう言った。


「やっぱりそう思いますか」


 鴨志田さんは、わたしが勤務している雑貨屋『グラン』の同僚だ。

 同じ時期に採用された同僚だけれど、わたしより歳上の三十歳。

 ベリーショートの髪と卵形のフェイスラインは、細長いドングリを連想させる。

 シャツとパンツのシンプルな服装は、スラリとした彼女の長身によく似合っていた。

 

 同じ長女仲間ということもあって、家族の愚痴を聞いてもらうこともしばしば。

 最近は小椋(おぐら)くんについてよく話していた。


「……一人暮らしかぁ」


 考えていないわけではなかった。

 このまま小椋くんが家に居座り続けるなら、そうするしかないだろうとも思っている。

 すぐに行動に移さなかったのは、後ろめたさがあったからだ。

 

 古くさい考えかもしれないけれど、わたしは米川家の跡継ぎだから。

 兼業とはいえ、小さくはない田畑を引き継ぐことを望まれてきた。

 

 あかねと小椋くんは十九歳。

 結婚って歳でもないし、この先結婚するとも限らない。

 けれど現状、恋人すらいないわたしより二人の方が跡継ぎに適任なわけで……。


(居場所がないって思うのに、まだ必要とされているかもしれないって踏ん切りがつかないのよね)

 

 自己肯定力が低い自分に、嫌になる。

 自分に自信がなくて、誰かに求められて応えることで大丈夫なのだと安心しているのだ。


 わかっているのに、変われない。

 どうしたら、自分に自信を持てるようになるのだろう。

 

(鴨志田さんは、その方法を知っているのかな)


 明るくて優しくて、豆皿が割れたくらいでうじうじしているわたしなんかの話を聞いてくれる鴨志田さん。

 自信に満ちあふれ生き生きと働く姿は、わたしの憧れだ。


(聞いてみようか?)


 勇気を出して、口を開きかけたその時だった。


「あ、私こっちだから。くるみちゃんは明日、お休みだよね?」


「えっ? あぁ、はい……」


 ハッとなって顔を上げると、いつの間にか駅の改札を通過していた。

 すぐ先に、各路線のホームへ降りていく階段が見える。


 職場の最寄り、水戸駅。

 わたしが利用しているのはJR常磐線の上野方面行きだけど、鴨志田さんはいわき方面行きだから降りる階段が違う。


 電光掲示板を見ると、いわき方面行きはまもなく発車するようだ。

 共働きで二人の子どもを育てる母である彼女をこれ以上引き止めるのは申し訳ない気がして、わたしは尋ねる言葉を呑み込んで「おつかれさまでした」と告げた。


「そうそう。ストレスがたまっているならさ、いつもと違うことをしてみたらどう? たまの悪いことって、スリリングで気持ちいいよ」


 フフッといたずらに笑って、鴨志田さんは階段を下りていった。

 手を振りながら思う。たまの悪いことってなんだろう。


 普段のわたしを知っている彼女だから、おそらく飲酒だったり喫煙だったり、あるいは背伸びをして大人の女性が行くようなおしゃれなバーへ足を運んでみたら?ということなのだろうけれど……。


「どれもやってみようとは思えないんだよねぇ」


 わたしは、手作りクッキーとカフェオレをお供に読書や刺繍をすることを至福としている。

 背伸びをしてバーへ行ったとしても、入り口で引き返すに違いない。


 諦めるようにため息を一つ。

 持っていたトートバッグを肩に掛け直して、わたしはホームへ降りた。


 ちょうどよくホームに入ってきたのは、JR水戸線の小山方面行きの列車だった。

 JR常磐線上野方面行きのホームは五番線と六番線だけど、五番線はJR水戸線小山行きの列車が入ってくるホームでもある。


 ベンチに腰掛けて、常磐線の列車が来るのを待つ。

 その時ふと、笠間稲荷神社の看板が目に留まった。


「最近、行ってなかったなぁ」


 自営業をしている祖父母の影響で、笠間稲荷神社には幼い頃からお世話になっている。

 お宮参りに七五三、初詣。それに、菊まつり。笠間つつじ公園でつつじを見た帰りに寄ることもあった。


 今年は初売りのためにお正月から出勤していて、初詣に行けなかったことを今更ながらに思い出した。もう六月だっていうのに。

 それまで微塵も感じていなかった罪悪感が、じわりと心を重くする。


「……今から行ってみようか」


 思えば、厄日が続いている。

 参拝して、気持ちをすっきりさせるのも良いかもしれない。


 幸い今日は早番で、少し寄り道をするにはちょうどいい時間帯。

 後押しするように構内に「まもなくドアが閉まります」とアナウンスが流れた。


『行こう』


 どこからか、声がする。

 きっとそれは自分以外の誰かに掛けられた声だろうけれど。

 わたしは導かれるようにベンチから立ち上がり、列車へ乗り込んだ。



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