第17話 ティーボウルを繕う ~面取り~
狐白は《ほつれ》だったけれど、ティーボウルは《割れ》だ。
割れは、ほつれより重いケガ。
だから、手間も暇もかかる。
ほつれの《前処理》は、生漆を塗って拭き取るだけだった。
けれど、割れの前処理には《面取り》という行程が追加される。
「面取りって聞くと、煮物が食べたくなりますね」
面取りとは、角を薄く削ぎ取る作業だ。
大根の下ごしらえとかで聞く言葉だと思う。
「分かる。イカと大根の煮物とかおでんとか」
埴安さんの言葉に同意しながら、大根料理に思いをはせる。
「しみしみの大根……。鶏肉と大根の煮物にぶり大根、豚バラ大根……」
エプロンをつけながら、思い浮かぶ料理に頬を緩ませる。
そこへ、メモ帳を片手に狐白がやってきた。
「くるみはどれが好きですか?」
「わたし? 鶏肉と大根の煮物かなぁ。お酢でサッパリ煮たやつ」
「分かりました。レパートリーに加えておきます」
言いながら、狐白はサラサラとメモ帳に書き付ける。
ちらりと見えた字は、お世辞にも綺麗とは言えない。
なんでもサラッとこなしそうな雰囲気なので、意外だった。
「今の時期にぴったりのお料理ね。狐白くん、とっておきのレシピを教えてあげるわ」
「ありがとうございます、宇賀野様」
狐白は、時間を見つけては宇賀野さんから家事の指導を受けている。
家事が得意なつくも神を紹介されそうになったことで、尽くし系つくも神を自負する彼の心に火がついたらしい。
(そこにいるだけでいいのになぁ)
わたしにとって狐白は、ただそこにあるだけで幸せになれる存在だ。
豆皿の頃から今に至るまで、それは変わらない。
そばにいてくれるだけで落ち着く。
(つくも神だってことは最近知ったんだけどね)
上等な毛布に包まれたような安心感。
豆皿だった時もふわっと感じていたが、今はもっと分かりやすく感じられる。
とはいえ、自分以外のつくも神に取って代わられるものかと一生懸命努力する姿は、見ていて愛おしい。
胸がぽかぽかする。
(気恥ずかしくて言えないけど)
悪巧み顔でせっせとレシピをメモする狐白を横目に、身支度を調える。
アームカバーを引き上げて、むん!と気合いを入れた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
割れたティーボウルの破片を手に取ると、ちょうどいいタイミングで狐白の手からリューターを渡される。
まるで、手術中の医師と看護師のような阿吽の呼吸。
さすが、子どもの頃から見守ってくれていただけはある。
リューターというのは、ペンシル型の電動工具だ。
先端に取り付けられるビットと呼ばれる工具を回転させて、研磨・切断・切削など、さまざまなことができる。
埴安さんが使っているところを初めて見た時は、歯医者さんみたいだと思った。
たぶん、やっていることも似ている――はず。
スイッチを押して電源をオンにすると、先端がぐるんぐるん回り出した。
割れた断面にリューターの先端を当てて、角を削っていく。
機械音も相まって、気分はさながら歯医者さんだ。
痛くないように、なるべく手早く角を滑らかにしていく。
面取りをすると、たくさん漆が入ってくっつきやすくなる。
人によってはやらない人もいるそうだけれど、埴安さんはやる派だ。
丁寧に面取りをしたら、あとはほつれの時と同じ。
ゴム手袋をつけたらガラス板に生漆を少量出して、綿棒で断面に薄く塗っていく。
布の切れ端で余分な漆を拭き取ったら、あとは漆風呂で一晩ねかす。
漆風呂は、工房のものを借りることにした。
狐白と同様に段ボールでやれなくもなかったけれど、特別なつくも神になりたがっている彼にしてみれば、面白いことではないだろうと思って。
迷わず工房の漆風呂に直行するわたしを見て、狐白の尻尾が上機嫌に揺れていたのは言うまでもない。
前処理を終えて片付けるわたしを手伝いながら、埴安さんは「そういえば」と言った。
「うちは漆風呂を使うけど、他では《焼き付け》って方法でやることもあるぞ」
「焼き付け?」
パッと思い浮かんだのは、クレームブリュレだ。
フランスのお菓子で、カスタードの上に砂糖をかけて、グリルやバーナーで焦がして硬いカラメルの層を作ったもの。
スプーンでカラメルを割る瞬間は、ちょっとしたお楽しみである。
たしか、フランス語で「焦がしたクリーム」っていう意味だったはず。
「今、何かおいしそうなものを想像したでしょう?」
いつの間に後ろに来たのか、背を屈めた狐白がささやいてくる。
「教えてください、くるみ。何を想像したのですか?」
尽くし系つくも神と言いつつ、本当は色仕掛け系つくも神なのではないだろうか。
耳をくすぐる声がひどく甘くて、わたしは顔が真っ赤になっていくのを止められない。
「く、クレームブリュレよ」
「クレームブリュレ」
復唱する狐白に宇賀野さんが「あらあら」と困った声を漏らした。
「さすがにわたくしのレパートリーにはありませんわね。知り合いのパティシエに聞いておきましょう」
「ありがとうございます、宇賀野様」
キャッキャとはしゃぐ二人とは打って変わり、話題転換されてしまった埴安さんは頬を膨らませてムスッとしていた。
「それで、ええと……埴安さん? 焼き付けって何でしょうか?」
「お嬢さん、聞いてくれるか……!」
気にかけてもらえて嬉しかったのか、パッと表情を明るくさせる埴安さん。
普段、宇賀野さんからどれだけ塩対応されているのだろう。
機嫌を直すのが早すぎて、少しかわいそうになる。
「百二十度に熱したオーブンで二時間焼いて高温硬化させることを焼き付けって言うんだ」
「なるほど。急いでいる時には良さそうですね」
「急いでいない時だとしても、焼き付けがいいって思う時はそうした方が良い。繕い手は、繕うものの声を聞いて繕っていくものだ。本能で分かるんだよ」
だとすれば、わたしは意識せず狐白の声を聞き、繕い方を選び取ったのだろう。
一つでも違えれば、違う未来になっていた。
つくも神の狐白を知った今となっては、ただの豆皿だった頃には戻れそうにない。
わたしは、つくづく繕い手で良かったと思うのだった。