第16話 亡き妻のティーボウル
差し入れに買ったくるみ入り稲荷寿司で小腹を満たしたあと、わたしたちは作業台を囲むように座った。
まずは依頼品の確認からという話になったが、わたしは待ったをかけた。
金継ぎの話になる前に、聞いておきたいことがあったからだ。
「聞いてもいいですか?」
「何かしら?」
「どうやってマスターをここに案内したんですか? わたし、今日これから相談するつもりだったんですけど……」
わたしの質問に、埴安さんはしたり顔で答えた。
「狐白から金継ぎチャンス!って連絡をもらってな。ちょうど宇賀野がいたから、喫茶マリーへ行ってもらったんだ」
「ええ。わたくしの話術をもってすれば、ちょちょいのちょいですわ」
魔法使いが杖を振るように、宇賀野さんは人差し指をくるりと回した。
年齢不詳の美貌と相まって、本当の魔女のようだ。
美魔女とつぶやきそうになって、わたしは言葉を飲み込んだ。
「余計なお世話だったかしら?」
「いえ、ちょうど良かったです。きっかけがなければ、まだしばらく見取り稽古をしていたでしょうから」
でも、見るだけの時間は決して無駄ではなかった。
今のわたしは、埴安さんの指示に従うだけのド素人ではない。
湯呑み茶碗の症状が《割れ》だと分かるし、作業に必要な道具だって用意できる。
ドが取れて、素人くらいにはなっているのではないだろうか。
作業台の中央には、二つに割れた湯飲み茶碗が置かれている。
割れているけれど、美しい茶碗だ。
縁の内側と胴の部分には花の絵が描かれ、見込みと呼ばれる茶碗の内側の中央には小さな文様が描かれている。
ぱっと見は洋食器っぽいのに、なぜか東洋の雰囲気も感じられる不思議な茶碗だった。
宇賀野さんは鑑定人のようにしげしげと眺めたあと、少し困ったような顔をしてこう言った。
「それにしても、すごいものがきたわね」
割れた断面をよく見ようと伸ばしていた手を、わたしは慌てて引っ込めた。
だって、あの宇賀野さんがすごいと言う茶碗だ。
もしかしなくても、わたしが想像する以上にすごいものに違いない。
「えっ。そんなに高価なものなんですか? この茶碗……」
逃げ腰になるわたしに苦笑いしながら、埴安さんが言った。
「お嬢さん、これはティーボウルってやつだ」
「ティーボール?」
聞き慣れない言葉を復唱するわたしに、埴安さんは違うんだなぁって顔をする。
「球技じゃないぞ」
「球技?」
茶碗の話をしているのに、どうして球技の話になるのだろう。
訳が分からず首をかしげるわたしに、狐白が助け船を出してくれた。
「ティーボールは、ピッチャーのいないソフトボールに似た球技だったと記憶しています。小学生の頃、体育でやったけど楽しくなかったってくるみが言っていましたよ」
「ええ……覚えてないなぁ」
忘れていたのだから、勘違いのしようもない。
的外れな訂正を入れる埴安さんに、宇賀野さんの教育的指導――デコピンがお見舞いされた。
「いでっ」
「埴安、話を脱線させないでちょうだい」
大して痛くもないのに「イタイヨー」と甘えた声を上げている埴安さんを無視して、宇賀野さんは説明を続ける。
「くるみさん。ティーボウルというのはね、取っ手がない小型の茶碗のことを言うの」
宇賀野さん曰く、マスターが持ち込んだのは陶磁器のティーボウルらしい。
まだ磁器製品を作る技術が発達していなかった時代に、中国や日本より輸入された取っ手のない茶碗を元に、イギリスで製造されたものだ。
今では当たり前に使われているティーカップは、1750年頃に登場したらしい。
なんでも、イギリス人が嗜んでいた高温の紅茶がカップを熱くしすぎて、楽に持てなくなったから取っ手を付けたのだとか。
「つまり、このティーボウルはとても古いものだということですね」
「そう。おそらく、1800年代中期のものだと思うわ」
「そんなに……」
1800年代中期は、江戸時代から明治時代くらい。
狐白と同年代ということになる――かもしれない。
間違いなく、つくも神になっていただろう。
わたしは、ティーボウルのつくも神を想像してみた。
オリエンタルな花柄の陶磁器。
中国や日本の文化を混ぜて西洋文化で割ったような――。
(華ロリのお姉さんとか⁉︎)
豆皿のつくも神が胡散臭いキツネお兄さんなのだ。
ティーボウルのつくも神が優雅な貴族令嬢だったとしても、わたしは驚かない。
華ロリドレス姿のお姉さんがマスターの隣でプリンにクリームを絞る風景を想像して、その時はたと気がついた。
「あれ? でもわたし、喫茶マリーでつくも神を見たことなんてなかったですよ?」
「見たことがなくて当然だ。マスターは割れてから店へ持って行ったそうだから」
「もともと奥さまがコレクションしていたものだそうよ。自宅で飾っていたのだけれど、置いておくと奥さまを思い出して寂しくなるからって……」
「しまおうとしたら手が滑って、割っちまったんだって。かわいそうに、天罰が下ったんだってしょんぼりしていたな」
「……なるほど。つまりこのティーボウルは、奥さまの遺品なんですね」
「そういうことだ」
それならなおさら、わたしが繕うべきだろう。
古株ではないけれど、わたしだって喫茶マリーの常連客なのだ。
まぶたを閉じれば、ぼんやりと思い出す。
カウンターの向こう側で穏やかに笑い合う老夫婦の姿を。
老夫婦に寄り添う可憐なつくも神の姿を想像して、わたしは道具を揃えに席を立った。