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第11話 豆皿を繕う ~金を蒔く~

「始めるぞ」

 

 まるで埴安(はにやす)さんの言葉を合図にしたかのように、工房に風が吹いた。

 六月とは思えない清涼な空気が、工房を流れていく。

 浄化されるような心地がして、自然と気が引き締まった。


 作業台に並ぶのは、ガラス板、色漆弁柄と書かれたチューブ、細い筆だ。

 埴安さんが言うには、これからする作業は《地塗り》と呼ばれるものらしい。


「この弁柄漆は、金粉を付着するための接着剤の役目を果たす。そうだな……お嬢さんは砂絵ってやったことがあるか?」

 

 弁柄漆をガラス板に出しながら、埴安さんは言った。


「ありますよ。(のり)つきの台紙を少しずつ剥がしながら色のついた砂をまいてくっつけていくやつですよね?」


「そうそう。あとは自分で糊を塗ってその上に砂をくっつけていくやり方もあるんだが……。糊部分が弁柄漆、砂が金粉って想像するとわかりやすいか?」


「すごくわかりやすいです!」


「そりゃ、良かった」

 

「糊の代わりなら、弁柄漆は漆で繕った部分に塗るんですよね?」

 

「そうだ。ほつれの場合は薄く塗ることを意識してくれ。イメージとしては、ラップの十分の一の薄さだ」

 

「かなり薄いんですね」

 

「ああ、薄い。輪郭に沿って塗ったあと、内側を塗りつぶすのがコツだな」


 漆の黒色を、弁柄漆の赤色で覆っていく。

 筆なんて使い慣れていないから、少し気を抜くとはみ出てしまいそうだ。

 自分の吐く息すら煩わしく思いながら、なんとか弁柄漆を塗り終えた。

 

「地塗りが終わったら、十五分から三十分ほど漆風呂で寝かせる」


「どうしてですか? それだと金粉がくっつかないんじゃ……」


 今までの作業で何度も繰り返してきたから、わたしもそれなりに理解しているつもりだ。

 

 ――漆風呂に入れると、漆は乾燥する。


 だけど埴安さんは、あえて乾かそうとしているようだ。

 なぜ?


「少し乾かした方が、金粉のノリが良くなるんだ。塗ってすぐに金粉を()くと、漆の中に金粉が沈んでたくさん必要になる。ほどよく硬化させてから蒔けば、少量でいい感じになるってわけだ」


「なるほど」


「今回使用する金粉は、延粉と呼ばれるものだ。金粉にも種類があって、消粉、延粉、丸粉とある。延粉は初心者向けのものだな」


 工房の漆風呂を借りて、狐白を寝かせる。

 その間に埴安さんは、作業台の上に黒い紙を敷いた。

 

「どうして黒い紙を敷くんですか?」


「黒い紙があると、下に落ちた金粉が見えやすくなるだろう?」

 

「確かに」

 

 武骨な木製の作業台の上では、金粉が落ちても見えづらい。

 宇賀野(うかの)さんは「落ちた金粉は拾い集めて次に使うつもりなのよ。ケチね」と埴安さんを小馬鹿にしたけれど、金粉となればそれなりに値が張るに違いない。

 塵も積もれば山となると言うし、コツコツやることはいいことだ。たぶん。


「値段を聞きたいような、聞きたくないような……」


「くるみさんは聞かない方がいいと思うわ。聞いたら、遠慮して少ししか使わなさそうだもの」


「だから、わざと教えていないんだ。それにな、金粉が少ないと弁柄漆の赤がじわーっと出てきて、結局もう一度蒔くはめになる。遠慮しないで使うのが最適だ」


「じゃ、じゃあ……使わせてもらいますね」


 黒い紙の上で、金粉が入った包みを開く。

 小さな包み紙の中から出てきたのは、とても細かい金の粉。


(わぁ、キラキラ……してないな。黄土色の粉って感じ)


 くしゃみをしようものならあっという間に消し飛んでしまいそうだ。


(気をつけないと)


 真剣な顔でキュッと唇を引き結ぶと、宇賀野さんがおかしそうに笑う。

 埴安さんは包み紙の四隅に粉鎮(おもり)になる陶片を置いていった。


「そろそろか」


 漆風呂に向かった埴安さんが、狐白を持って戻ってくる。


「お嬢さん、漆を塗った部分に息を吹きかけてみてくれ」


 良いものが見られるぞと言われて、わたしは素直に息を吹きかけた。


「ふぅ──……」


 息を吹きかけた、ほんの一瞬。

 漆を塗ったところに虹がかかって、さっと引く。


 気のせいかと思うような、ささやかな変化。

 気をつけていても気づけない人がいるのではないだろうか。


「お、反応したな。お嬢さんは見えたか?」


「うっすら虹が見えました。これはなんですか?」


「青息。金粉を蒔いて良しっていう合図だ」


「へぇぇ……」


「塗り立てに息を吹きかけても反応しないし、逆に乾きすぎていると白く曇るんだ。乾きすぎている場合は、研いで弁柄漆を塗り直す。さて、青息も確認できたし、次の作業に移るぞ」


 そうして渡されたのは、ひとつまみの真綿だった。

 

「次の作業は粉蒔きだ。読んで字の如く、金粉を蒔く」

 

 綿に金粉をつけて付着させていく作業は、指紋採取する鑑識のように見えなくもない。

 埴安さんの「遠慮するな」という言葉に甘えて、少し多めを意識しながら作業をする。


 くるくると円を描いて、うぶ毛をなぞるようにさらさらと。

 漆を塗った部分に金粉を付着させていく。


「余分な金粉は真綿が回収してくれるからな」


「わかりました。この作業……なんだか鑑識の指紋採取みたいですよね」


「そうか?」


「言われてみると似ているわね」


 わたしの感想に同意しない埴安さんと、同意する宇賀野さん。

 こちら側だと思ったのにと悔しそうに、埴安さんは唇を尖らせて宇賀野さんをにらんだ。


「宇賀野はお嬢さんに甘すぎる。心の中では全然違うって思っているくせに。おい、俺にも優しくしろ。たまにでいいから」


「だって、あなたにはかわいらしさがないのだもの。たまにでいいなら、今でなくてもいいってことですわよね」


「ぐぬぅぅ……!」


 ここでの時間は、本当に心地が良い。

 二人の軽口もずっと聞いていたいくらいだ。

 狐白の繕いが終わったらすぐにでも引っ越してこようと、決意するわたしだった。

 


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