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第1話 お気に入りの豆皿

 好きなものを愛でながら、日々穏やかに過ごしたい。

 丸くて厚みがあって、手にしっとりとなじむくすんだ白色――糠白釉(ぬかじろゆう)の笠間焼の豆皿。

 この小さな皿を愛でる時間が、わたしにとって何より大切だった。

 それなのに──。





「ああ、もうっ!」


 その日、わたし――米川(よねかわ)くるみは我慢の限界を迎えた。


小椋(おぐら)くん、いい加減にして!」


 カーディガンの袖を(つか)んでいた大きな手を、イライラと振り払う。

 けれど、彼は「えっ、なんで?」と言いたげな顔で、グイとわたしの腕ごと自分のほうへ引き寄せた。


 大型犬がじゃれついているつもりなのだろうが、加減を知らない力強さが、今の私には暴力的な圧迫感として突き刺さる。

 それがますます、わたしを苛立たせる。


「くるみさん……でも……」


 その顔、まるでわたしが困らせようとしているみたいだ。

 違う。迷惑しているのはわたしのほうなのに……!


 同じ家、同じ部屋にいるだけでも苦痛なのに、彼はどうして積極的に関わろうとしてくるのだろう。

 ちっとも理解できない。


 ――おねーちゃん。この人、あたしの彼氏。


 妹のあかねが小椋くんを初めて家に連れてきたのは、半年と少し前のことだった。


 小椋(しゅん)、十九才。

 愛嬌(あいきょう)のあるベビーフェイスと大柄な体形は、クマのぬいぐるみを思わせる。

 けれど大きな声でハキハキとあいさつしてくる体育会系の男性が苦手なわたしにとっては、もっとも距離を置きたいタイプだった。


 とはいえ、小椋くんは妹の恋人。

 姉である自分とはさして交流もないだろうと──そう、思っていたのに。

 (ふた)を開けてみれば、それが甘い考えだったと思い知らされた。


 最初は、週に一回泊まる程度だった。

 一回が二回、二回が三回と徐々に増えていって、今では米川家の一員であるかのようにこの家に住み着いている。


 わたしはそれが、気持ち悪くて仕方がなかった。

 まるで、家を乗っ取られたような不快感。

 幼い頃から「うちは兼業農家だから、家を継ぐのは長女であるあなたの役目」と言われてその気でいたから、なおさらだったのかもしれない。


 知らない男性が一つ屋根の下にいる。

 それがどれほどの苦痛を伴うのか、両親も妹も理解できないらしい。


 ――おねーちゃんは女子校出身ってわけでもないのに、どうしてそんなに男が苦手なんだろうね。


 こたつでみかんを剥きながら笑う妹に言ってやりたかった。

 違う。わたしは男が苦手なわけじゃない――と。

 事実、男性を好きになったことがある。お付き合いには、至らなかったけれど。


 子どもではないから、「家に来るな」なんておとなげないことは言わない。

 けれど、付き合いを最小限にすることはできないだろうか。


 遠回しに伝えても、ストレートに伝えてみても、伝わらない。

 小椋くんはわたしとも仲良くなりたいと言って、三人で出かけたがった。


 恋人がいないわたしを不憫(ふびん)に思って男嫌いを克服させようとしているのか、あるいはただみんなで騒ぎたいだけなのか。

 どちらにせよ、一人で過ごす時間を大切にするわたしにとっては大きなお世話である。


 今日は休日で、お菓子を摘まみながら積読の消化に勤しむ予定だった。

 一口サイズのクッキーを焼いてお気に入りの豆皿に盛り付け、「さぁ、これから自室でゆっくり読書をするぞ」と引きこもるところだったのに──これである。


「外が嫌なら、ファミレスでダラダラするのでもいいっすけど……」


「そういうことじゃない。わたしに構わないでって言っているでしょ。お願いだから放っておいて。一人にさせてよ!」


 今度こそ振り切るつもりで勢いよく腕を振ったら、つるりと手から豆皿が落ちた。

 キッチンの床に、パラパラとクッキーが落ちる。次いで、豆皿が。


「あ……っ」


(お皿を持っていること、忘れてた……!)


 床に落ちた豆皿を見て、思わずしゃがみこんだ。

 パラパラと散ったクッキーが、まるで時間まで止めたみたいに見える。


 ひっくり返った豆皿の高台裏には、キツネのようなマークが入っている。

 祖母曰く、このマークは窯印(かまじるし)と呼ばれるもので、作者が誰かわかるようにつけられたものだとか。


 わたしはこのキツネの窯印を気に入っている。

 首の辺りが少しひしゃげていて、優しく尋ねるような表情をしているところが好き。


(どうか無事であって……!)


 慎重に豆皿を持ち上げる。指先に伝わる、嫌な感触。

 無事ではない。そんな直感が、心臓を冷たく()でた。


 早く確認したいけれど、怖い。

 もしも欠けてしまっていたらどうしよう。


 わたしが不安に駆られているせいか、キツネの窯印が怒っているように見える。


 ドッドッドッと心臓が嫌な音を立てていた。

 鎮めるように深呼吸して、豆皿をひっくり返す。


「……っ」


 嫌な予感は的中していた。

 小さな貝がそこから引っ越していったみたいに、青灰かかった白色の縁が削げている。


 つるりとまろやかだった表面の一部がうっすらと欠けて、釉薬(ゆうやく)の下が見えていた。

 指先でそっと触れるとザラリとした感触が伝わってくる。


「…………」


 わたしは声もなく、ぼうぜんと豆皿を見つめた。

 皿を持つ手が、小刻みに震えている。

 落とさないように、震えを押さえつけるようにして両手で豆皿を包み込んだ。


 祖母が大事にしていた、笠間焼の豆皿。

 神棚へお供え物をする時に使われていたものだけれど、わたしが見たがって何度も神棚の下へ椅子を持って行くものだから、七歳の時に七五三のお祝いとして贈ってくれたのだ。


 それ以来、ずっと大切に使ってきた。

 わたしにとって豆皿は、この世で一番大切な()()と言っても過言ではない。

 おいしいものが手に入った時は必ずこの豆皿を使ったし、悲しい時やつらい時はキツネの窯印に語りかけた。


 豆皿に対して執着しすぎかもしれない。

 子どもの頃ならまだしも、社会人になった今もなんて。


 だけど、わたしにとっては唯一無二の親友のような存在だった。

 もしも結婚することがあれば、この豆皿を三献の儀(けっこんしき)で使いたい。それを許してくれないような人とは絶対に結婚しない──と公言するほどに。


「すんません」


 俺は悪くないと言わんばかりの謝罪に、グツグツと頭が煮えるようだ。

 頭の片隅で(すんませんじゃなくてすみませんでしょう⁉︎)とどうでもいいようなことが浮かんで消える。

 そんな中、キッチンへ近づいてきたのはあかねだった。


「しゅん、こんなところで何してんの? あんたでっかいんだから、突っ立ってると邪魔だよ」


「あかね……」


「あれ、おねーちゃん。キッチンでしゃがみこんで何してんの」


 あかねが、リビングから軽快な足取りでやってくる。

 パタパタと小気味いいスリッパの音がして、私の目の前で止まった。


「あっ」


 あかねの足元で、乾いた音がした。


 私が焼き上げた一口サイズのクッキー。

 それを、あかねのスリッパの底が無造作に踏み潰した。


 狐色の破片が粉々になってキッチンの床に散らばる。


「あーごめん。こんなとこに落としたら危ないよ、おねーちゃん。しゅんも、踏む前に片づけてあげなよー」


 あかねは悪びれる様子もなく、粉々になったクッキーをスリッパの先で避けて、冷蔵庫へ向かった。


「……」


 おそらく、両親や妹に訴えたって「たかが豆皿くらい」「クッキーなんてまた焼けばいい」と一笑に付すだろう。

 その光景が容易に想像できるくらい、彼らはわたしが豆皿を愛おしむ様子を笑ってきた。


 ここまで豆皿に執着するわたしがおかしいのだ。

 そう思うけれど、なかったことにできないくらい感情が(たか)ぶっている。


 なんでもない。

 そのただ一言が、出なかった。


 豆皿を大切に思う気持ちは誰にもわかってもらえなくていいと思ってきたけれど、今、すごく撤回したい。


(誰か、助けて)


 もう無理だった。

 頑張って我慢してきたけれど、限界。


 煮えたぎるような怒りがスーッと引いていく。

 あとに残るのは、ここはもう自分の居場所ではないのだという疎外感だけだった。

お読みいただきありがとうございます!


少しでも面白いと思っていただけたら嬉しいです。


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