ヒヨクレンリ 2
紅林梨花。
真城の前任の郵便局員で七瀬と親しくしていた。
「取れますけど……」
「聞きたいことがあると伝えてくれ」
真城は俺に背を向けてスマホを取り出す。
そして電話をかけた。
「え!?今から!?そんなムリしなくていいっすよ!?ね!?あれ……切れてる」
真城が振り向いて、情けない笑顔で言う。
「紅林さん……すぐに来るそうです」
「そうか。有難い」
「じゃ、僕はこれで」
そそくさと帰ろうとする真城。
「紅林さんに会わないのか?」
「だって怖いんですもん!あの人!」
「いい人だけどな」
「鐡さんに対してはね!僕に対しては鬼だから!」
「お前がしっかりしないから怒られるんだろう」
「僕しっかり仕事してますよね!?紅林さんに伝えといてください!」
半泣きで真城は帰って行った。
俺はサイドテーブルに置かれた粥を食べる。
食欲はあるから普通の食事でも大丈夫なんだが。
彩が作ってくれたので有難く戴く。
少し薄味だが美味い。
小皿に置かれた梅干しと一緒に食べると丁度いい塩気だ。
食べ終えて少ししたら彩が遠慮がちに顔を出した。
空の食器が乗ったトレイを持つと足早に出て行こうとする。
「彩。もうすぐ来客がある。紅林さんと言う女性だ。来たら通してくれ」
「紅林さん……?」
「真城の前任者だ」
「……分かりました」
彩も彼女に会ったことがあるはずなのだが、幼かったから覚えていないだろうな。
午後3時を少し過ぎた頃。
賑やかな声が聞こえて来た。
ドアを開け入って来た彼女は相変わらず迫力のある美人だった。
「呼び出してすみません。紅林さん」
「いいよ。どうせ暇だし」
「助かります」
紅林さんがベッドの横の椅子に座る。
そして俺の顔をまじまじと見た。
「相変わらず色男だねぇ」
「……そりゃどうも」
「彩も大きくなって。七瀬に似て来た」
「やっぱり似てますか」
俺もそう思っていた。
彩に七瀬が重なって見える。
「身体は小さいのに胸だけ大きいところも似て来た」
「まあ……そうですね」
それは気づかないふりをしていたんだが。
「で。聞きたいことって?」
「七瀬さんのことです。彼女は本当に一人で仕事をしていたんでしょうか」
「そうだったよ」
「彩は俺が居ないと駄目らしくて。俺も、この有様で。それって、彩がまだ不慣れだからでしょうか」
俺の言葉に紅林さんは目を丸くする。
そして何故か豪快に笑い出した。
「……何がおかしいんですか」
「いや……ごめん……あまりに予想外で」
「予想外?」
「そうか……アンタが」
紅林さんが七瀬から聞いていた情報は断片的だった。
だから自分の推測も交えて話してくれた。
「想墨師ってのはね。本来二人一組なんだ。一人は能力を持ち、もう一人は増幅器。アンタは彩の増幅器なんだろうさ」
「増幅器……?俺が?」
「七瀬は特殊だったんだろうよ」
それは、つまり。
俺と彩は離れられないということか?
「二人ともまだ力の加減が分かってない。だから変に体力が削られて寝込んだ」
「……なるほど」
「アンタは七瀬が彩に残した愛だったんだ」
彩を守り育てる為に、俺は居た。
「でもねぇ。彩ももう大人だ。父親が恋しい歳じゃない」
「それは……分かっています」
「本当に?」
「だから、彩を手放すつもりです」
「分かってないねぇ色男。彩はアンタを父親とは思ってない」
「本人にも言われました」
傷を抉られるようで辛くなる。
「父親じゃないってことは他人だ」
「……はい」
「赤の他人のただの男」
「……ですね」
「惚れても仕方ない」
「……は?」
間抜けな返事をする俺の額を紅林さんが拳で小突く。
「あの子を泣かせんじゃないよ」
「……ちょっと待ってください。それじゃ彩が俺のこと好きみたいじゃないですか」
「そうだろ?」
「違うと思います」
「私は彩に聞いてるんだ」
見ればドアが少し開いている。
「どうなんだい。彩」
ゆっくり開いたドア。
来客用のコップをトレイに載せた彩が俯きながら入って来る。
「彩……」
「私……何とも思ってません。紫信さんのこと」
だよな。紅林さんの勘違いだ。
「七瀬に遠慮することない。あの子も分かってる」
「遠慮なんか」
「後悔するよ」
重みのある一言だった。
彩もそれ以上、反論しなかった。
紅林さんは鞄からメモ帳を取り出すと、電話番号を書いて俺に押し付ける。
「何かあったら連絡しな。暇つぶしに来てやる」
そして帰り際、彩に言った。
「紫信に変なことされたら言うんだよ」
……人聞き悪いこと言うな。
彩は紅林さんを見送るために部屋を出て行った。
少ししてコップを回収に来る。
俺の方を見ようとしない。
まさか、本当に俺に惚れてるのか?
「彩」
「分かってます!」
「まだ何も言ってない」
「……ごめんなさい」
何に対する謝罪だ?
「紫信さんがお母さんのこと好きなのは分かってます」
「……そうか」
「でも」
「でも?」
「片思い……させてください」
「……彩?」
「迷惑かけません。ただ、傍に居るだけでいいです。それ以上は望みません。お母さんが帰って来たら、出て行きます。だから」
……嘘だろう?
「ここに居てもいいですか?」
駄目とは言えない。
泣きながら懇願されたら。
「今まで通りに出来るよう努力します。紫信さん、困らせないように。紫信さんも今まで通り。元通りに」
「……出来る訳が無いだろう」
「……ですよね。ごめんなさい」
彩が手の甲で涙を拭う。
そして明るく笑った。
「さよなら、しましょう。それが一番です」
「彩」
「大丈夫です。私、一人でも生きて行けます。なるべく遠くに行きますから。もう二度と会わないように」
そんなことは望んでいない。
「最後まで迷惑かけて……ダメな娘で……すみませんでした」
怠い身体を必死に起こす。
今、ここで彩を手放せば一生、後悔すると思った。
ようやくベッドから立ち上がり彩の小さな身体を抱き締める。
途端に力が漲った。
……そうか。
俺たちは互いに必要としている。
一人では生きて行かれなくなっている。
七瀬は知っていたのだろうか。
俺が自分ではなく、彩と惹かれ合うことに。
「……彩」
「……はい」
「俺はお前を娘だと思って生きて来た。だから、すぐに気持ちを切り替えることは難しい」
「……分かってます」
「でも。いつかお前と……」
「いつか、っていつですか?」
「いつかはいつかだ」
彩は不満そうに唇を尖らせた。
まだまだ子供だな。
少し安心する。
「紫信さん」
「ん?」
「私、そういうことしなくても平気です」
……彩は気づいていないのか。
俺の身体が治っていることに。
治ったと言っても最近のことで、まだ自信は無い。
「したくないのか?」
「セクハラ質問には答えたくないです」
しっかりしているな。最近の娘は。
「私の中で紫信さんはお母さんのもの。それは変わりません。お母さんが帰って来た時に後ろめたいのはイヤです」
……なるほど。真面目な彩らしい答えだ。
「私の片思いでいいです。思うのは自由ですよね?」
「まあ……そうだな」
そう言ったら彩は本当に嬉しそうに笑った。
今まで俺に見せた中で一番、幸せな笑顔だった。
この時の俺たちは。
忍び寄る闇に気づいていなかった。
【続】




