カゾクノカタチ 1
終わった。
何もかも。
子供の頃からの夢を叶えたのに。
華々しい舞台には立てなかった。
その程度の人間だったんだ、俺は。
夕暮れの駅。
電車の接近を知らせるアナウンスが遠くに聞こえた。
吸い寄せられるようにホームの縁に立つ。
あと一歩。
踏み出せば楽になれる。
「ねぇ、君」
我に返ると同時にリュックサックが引っ張られた。
目の前を特急列車が通り抜ける。
呆然とする俺の腕に絡む細い指。
押し付けられた柔らかな感触。
「私とイイコトしよう?」
長い栗色の髪の小柄な女性だった。
最初は大きな胸に気を取られたが、目が覚めるような美人だ。
彼女は戸惑う俺の腕を引っ張って駅の改札を出る。
手を振り払うことも出来た。
それでも従ったのは、下心があったからだ。
さっきまで死のうと思っていたのに。
我ながら情けない。
ホテルに直行かと思ったのに、彼女は俺を連れ回した。
カラオケ、ボウリング、ダーツ。
それから居酒屋。
彼女が酔い潰れたらチャンスだ。
そう思って次々と酒を注文する。
なのに俺の方が潰された。
「ちょっと、大丈夫?」
そう言って彼女は涼しい顔で、テーブルに突っ伏した俺の頭を撫でてる。
何であれだけ飲んでも酔わないんだ?
「困ったなぁ。そろそろ迎えに行かないといけないのに」
「……誰の」
「娘」
「娘……?」
まさかの人妻か?
一気に酔いが醒める。
「あ、それは大丈夫。シングルマザー」
俺の心を読んだかのように彼女が答えた。
「タクシー拾うから。ひとりで帰って」
勝手に連れ回しといて放り出すのか?
美人だからって許されると思うなよ。
彼女は全く悪びれる様子も無い。
店を出てタクシーを止め、俺を押し込んだ。
そして、文句を言おうとした俺の唇に指を押し当て言う。
「もう死にたくなくなったでしょ?」
どうして……分かるんだ?
戸惑う俺に微笑んで、彼女は名刺を俺の胸ポケットに入れる。
「辛くなったらいつでも来なさい」
名残惜しかったが、素直に従うことにした。
◆
翌朝。
酷い二日酔いだった。
記憶が無いが自宅に帰り着いていた。
胸ポケットに入っていた名刺。
彼女との出来事が夢では無かったと教えてくれる。
名刺と思ったそれはショップカードだった。
可愛らしいコーヒーカップの絵に【手紙カフェ】の文字。
住所は意外と近い。
そこへ行けば彼女に会える。
いや、でもすぐに行ったら変だよな。
ストーカーだと思われるかもしれない。
小さなアパートの部屋。
引っ越したばかりでまだダンボールが積まれている。
少し前まではデザイナーズマンションに住んでいた。
職業はプロ野球選手だった。
社会人を経てようやく入団出来たのに。
今年、戦力外通告をされた。
同時に、彼女にもフラれて。
プロ野球選手じゃなくなった俺に価値は無いと言われた。
何もかも嫌になった。
で、死のうと思った。
夕方。体調も良くなったのでシャワーを浴びて外出する。
散歩がてら彼女の店に向かった。
店に入らなくても姿くらい見れるかも……と考えて、それって完全にストーカーだよな、と苦笑した。
◆
迷いながら辿り着いた町外れの小さなビル。
一階に彼女のカフェがあった。
木材が多く使われたナチュラルな外観。
観葉植物が青々と茂っている。
しばらく様子を見ていたが、店から出て来るのは若い女性ばかりだ。
場違い感が凄まじい。
「……帰るか」
諦めかけた時、店の中から彼女が姿を見せた。
そして、明らかに俺に向かってにこやかに手招きをしている。
ほとんど姿は見えていないと思うのに。
「……超能力者か?」
見つかってしまったから仕方ない。
そう自分に言い訳して店に向かう。
「来てくれたの?嬉しいなぁ」
カウンター席に座る俺に、彼女は笑顔で水を出した。
礼を言って口を付ける。
ただの水なのに彼女の前だと美味しく感じた。
他の客は居ない。
二人きりの空間。
少し照れくさい。
「えーと。君の名前。昨日、聞くの忘れてた」
「鐡」
「苗字じゃなくて下の名前」
「……紫信」
「しのぶちゃん。いい名前ね」
自分の名前は女みたいで好きじゃない。
しかも【ちゃん】を付けて呼ばないで欲しかった。
「私は七瀬。七瀬さんって呼んで」
「さん?呼び捨てで良いだろ」
「だって私のが歳上だし」
ウソだろ。その顔で?
どう見ても二十歳そこそこだろ。
「何歳だよ」
「それは言えない」
まあ……そうだよな。
女性に年齢を聞くのは失礼だった。
「しのぶくんは素直だねー」
「……どこが」
「全部」
「……バカにしてるだろ」
「してないよ?素敵だって言ってるの」
サラッと人を褒めるんだよな、この人。
だから素直に受け入れられる。
コーヒーを飲みながら他愛ない会話をした。
俺も自分のことを包み隠さず話した。
彼女も大恋愛の末結ばれた旦那さんと死別したこと、ようやく授かった娘が可愛くて仕方ないこと、いろいろ話してくれた。
「再婚する気ないのか?」
さりげなく探りを入れてみる。
これだけ魅力的な女性だ。
狙っている男は多いだろう。
「考えたこと無いなぁ」
「どうして」
「娘がね。物凄い人見知りで。私以外の人に懐かないの」
なるほど。娘が最優先か。
当然だよな。
「あ、しのぶくんなら大丈夫だったりして」
「何で」
「なんとなく?」
「……何だソレ」
娘に気に入られれば彼女と結婚できるってことか?
「しのぶくんは?どうなの」
「何が」
「しばらく女は要らないって言ってたけど」
「……まあ。あんなフラれ方したばっかだし」
「もったいないねー。いい男なのに」
彼女の心が読めない。
一般論で言ってるのか、自分の主観なのか。
「七瀬……さん」
「ん?」
「仕事終わるの待ってていいか?」
「いいけど。すぐに娘を迎えに行かないと」
「俺も一緒に」
どうせバレてるんだろ?俺の下心。
だったら隠す必要も無い。
「仕方ないなぁ」
彼女がカウンターから身を乗り出して俺に囁く。
「かなり溜まってるみたいね」
「っ!!」
直球だな、この人。
「全部出して楽になりたい?」
「……いいのか?」
「しのぶくんならタダでいいよ」
「普段は金取ってんのか!?」
「まあ商売だし」
……信じらんねぇ。
これだけ美人なら高く売れるだろうけど。
娘が居るのにそんなことしてんのか?
「そろそろ閉店だから。奥の個室で待ってて」
しかも店内ですんのかよ。
……どこでも一緒か。
個室の扉を開ける。
そこには無機質なベッドと頑丈そうな木製の椅子が置かれていた。
整骨院とかにありそうなベッドだった。
「……色気なさすぎ」
とりあえず椅子に腰掛けて待つ。
壁に作り付けられた棚には小さな瓶が並べられていた。
どれも空っぽ。
何か意味あんのか?
「お待たせ。じゃ、始めよっか」
軽いな。それだけ抱かれ慣れてるってことか。
ちょっと幻滅した。
「……って、何してる」
「んー?拘束」
彼女が俺の手足を、ベルトで椅子に縛り付ける。
そんなマニアックなのは求めてない。
「そんなことしなくていい。俺は普通に」
「しのぶくん暴れると思うから」
「……どういう意味だ」
「これからね。しのぶくんの中のドス黒い感情を抜き取ります」
何を言ってるんだこの人。
「怖がらなくていいよ。痛くしないから」
その笑顔が逆に怖いんだよ。
「上手く出来たらご褒美あげる」
歯医者に来た子供か俺は。
「何が欲しい?」
「……何でもいいのか?」
「私があげられるものなら何でもいいよ」
「じゃあ……一晩」
「一晩?」
「七瀬さんとの一夜が欲しい」
言ってしまった。
激しく後悔したが一度発した言葉は取り消せない。
「んー。わかった」
「……いいのか?」
「私に最高の色を見せてくれるなら」
「……最高の色?」
「私ね。人の感情が色に見えるの」
信じられる話じゃなかった。
「だから。死の色を纏った君を駅で見かけて声を掛けたの」
「何で……」
「目の前で死なれたら気分悪いから」
なるほど。確かにそうだ。
「少しは元気な色に戻ったけど。まだ辛そうだから。私が抜いてあげる」




