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蝶番~アイノイロ~  作者: 穂紬 蓮
09 チョウツガイ (side SHINOBU)
17/20

チョウツガイ 1

 目の前に七瀬(ななせ)が居る。

 その現実を俺は、すぐに受け入れられなかった。


 十年間も姿を消していた彼女。

 それなのに見た目はほとんど変わっていない。


「久しぶり、しのぶくん」

「七瀬さん……」

「しのぶくんオジさんになったねー。十年前はまだ可愛かったのに」

「……十年経てば変わるだろ普通」

「そっか。そうだね」


 七瀬の背後の室内に目をやる。

 (あや)の姿は無い。


「彩を探してる?」

「あぁ。此処に来ている筈だ」

「うん。居るよ」

「会わせてくれ」

「会いたい?」

「当然だ」

「しのぶくん顔色悪い」


 正直、立っているのも辛いくらいだ。

 早く彩に会って抱き締めたい。


「もう少しかな」

「何が」

「しのぶくんが動けなくなるまで」

「……何を言ってる」

「しのぶくん身体が大きいし力もあるし。普通の状態じゃ負けちゃう」

「だから何の話をしている」


 背後に人の気配があった。

 振り向いた瞬間に右の頬を殴られる。


 無様に床に倒れた俺に馬乗りになっていたのは、彩を(さら)った男だった。

 奴は慣れた手つきで俺に手錠をかける。


「すまないね、紫信くん。君を拘束させて貰う」

「……どういうつもりだ。彩は。無事なんだろうな」

「生きているよ。今は、まだ」


 リビングらしき空間に連れて行かれた俺の前に、木製の椅子に座った彩が居た。

 目を閉じて俯き加減で。

 ……意識が無いのか?


 椅子の横。床に置かれた透明な容器に溜まる赤い液体。

 容器の上部から伸びるチューブは彩の右腕に繋がっていた。


 血液を抜かれている。

 このままでは彩が失血死してしまう。


 俺は最後の力を振り絞って男に体当たりして、転びそうになりながら彩の元へ走った。


「彩……彩!目を覚ませ!」


 手錠で繋がれ不自由な両手で彩の頬を叩く。

 彩は薄く目を開けた。


「……しのぶさん?」

「……そうだ。俺だ。助けに来た。一緒に帰ろう」

「ごめんなさい……迷惑かけて……」

「謝らなくていい。今助けるから。待ってろ」


 右腕に刺さる針を抜こうとする俺の手を彩が握る。


「しのぶさん……私……幸せでした……」

「……何を言っている」

「最期まで……ダメな娘で……ごめんなさい……」

「……諦めるな彩。頼むから!」

「……愛してくれて……ありがとう……」


 淡く微笑んだまま、彩は目を閉じる。

 零れた涙が柔らかな頬を伝い落ちた。


「彩……嘘だよな?」


 こんな簡単に終わる訳が無い。

 彩の人生は、これからだ。


「……そうだ。これから恋人になって夫婦になって。違う形で家族になるんだ。俺と彩は」


 それは決まった未来だと思っていた。

 俺は彩を愛して。

 彩は俺を愛してくれて。


 そんな穏やかな生活が待っている筈だったのに。


「……きれい」


 動かなくなった彩の前で泣き崩れる俺の耳に聞こえた七瀬の声。

 目の前で娘が死んだというのに、彼女は恍惚(こうこつ)の表情で言う。


「とてもきれい」

「……七瀬。お前……どういうつもりだ!」

「きれいね。しのぶくんの絶望」

「……俺の……絶望?」

「忘れられなかったの。ずっと。初めて会った時にしのぶくんが(まと)っていた色が」

「まさか……それが見たくて彩を?」

「そう」

「……そんなことの為に娘を殺したのか?」

「彩はいい子だから。私の為に死んでくれたの」


 俺の中で何かが切れた。

 七瀬を床に押し倒し、両手で細い首を締め上げる。


 それでも七瀬は笑っていた。

 ……壊れてる。


 殺してしまいたかった。

 俺から彩を奪った七瀬を。


 だが彩にとっては大切な母親。

 優しい彩は復讐なんて望まないかもしれない。


 それなら俺が選ぶ道は一つしか無かった。


「……殺してくれ」


 俺は泣きながら懇願(こんがん)していた。

 目の前の七瀬に。


 彩の居ない世界に未練は無い。


 彼女は妖しく微笑んだ。

 瞳に狂気を宿して。


「いいよ。殺してあげる。でも、その前に」


 七瀬が耳元で囁く。


「最高の絶望を頂戴(ちょうだい)


 七瀬が立ち上がり祝詞(のりと)を唱え始める。

 俺の身体から抜け出た絶望の色が広い室内に渦巻いた。


 ……これが綺麗?

 笑わせる。


 まるで自我を持たず暴れ回る醜い化け物だ。


 化け物は七瀬の小さな口に吸い込まれた。

 彼女は大量の絶望を飲み干して行く。


 おぞましい光景だった。

 全て腹に収めた七瀬は満足気に唇を舐める。


 手錠が外された。

 奴が俺を始末してくれるらしい。


 俺は無言で頭を下げる。

 彩と一緒に逝けるなら本望だ。


 異変は直後に起きた。

 七瀬の目が大きく見開かれる。


 彼女の身体の中で別の生き物が(うごめ)いているようだった。

 床に倒れ苦しそうにのたうち回る。


 ……何が起きている。


「紫信さん!」


 聞こえたのは彩の声だった。

 そして唇に触れる柔らかな感触。


 目の前に彩の顔があった。

 死んだ筈の彩が俺に口付けをしている。


 信じられなかった。

 でも現実だった。

 身体に力が(みなぎ)る。

 抱擁(ほうよう)の比ではない。


 彩は俺から離れると、紅く色付いた唇で祝詞を唱えた。

 七瀬の身体から引き出される色。

 俺にもはっきりと見える。

 部屋の出口を探して不気味に動き回っているようだ。


「逃がさない!」


 彩が手にした瓶の蓋を開けた。

 禍々(まがまが)しい色が吸い込まれて行く。


 勢いに負け、よろめく彩の肩を抱いた。

 力を得た彩の手の中の瓶が七色に光る。


 初めて見る色だった。

 彩の力が増しているのが分かる。


 (わざわい)の色を封じ込めた瓶の蓋を彩が慎重に閉めた。

 途端に身体から力が抜けたようで俺にもたれかかって来る。


 この柔らかさ。甘い香り。

 確かに彩だ。生きている。


 唇は普段通りの淡い色に戻っていた。

 思わずキスしようとすると、背後から咳払(せきばら)いが聞こえる。


 ……父親の前でする行為ではなかった。反省。


 彩は床に倒れている七瀬に駆け寄って行った。

 息はあるようだった。


 一度は殺そうとした七瀬。

 だが生きていてくれたことが嬉しかった。



 ◆



 奴……(あおい)さんが七瀬を抱き上げゲストルームへ連れて行き、大きなベッドに寝かせる。

 彩は心配だから付き添うと言って残った。


 俺は蒼さんに連れられリビングに戻る。

 蒼さんが温かいコーヒーを出してくれた。

 二人でL字ソファに腰掛ける。


「殴って済まなかったね。大丈夫かい?」

「大丈夫です。手加減してくれましたよね。かなり」


 警察官に本気で殴られたら歯の二、三本折れていたと思う。


「さて。どこから話せばいいかな」

「……七瀬さんが居なくなった辺りから」

「そうだね。十年前、七瀬は失踪した。君から捜索願いが出されたと知って私も皆に探させた。じきに七瀬は見つかった」

「何で俺に知らせてくれなかったんですか」

「その時、既に七瀬は病んでいたんだよ」


 想墨師(そうぼくし)特有の精神疾患(しっかん)

 色に魅入られ、より刺激の強い色を求め彷徨(さまよ)う。


「七瀬も君たちのところへ帰りたがらなかった。一緒に居れば傷つけてしまうからと」


 この十年間。

 蒼さんは七瀬を(かくま)い、騙し騙し適当な色を与えていた。


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