シッソウジケン 1
最寄りの警察署は徒歩で十分程の距離にある。
二階建ての、それほど大きくない建物。
道中、俺と彩は一言も交わさなかった。
会話が出来る雰囲気ではなかった。
彩を少しでも安心させたくて小さな手を握る。
酷く冷たい手。彼女の緊張と不安が伝わった。
ここへ来るのは十年ぶりだ。
七瀬が失踪した直後、疑われた俺は勾留された。
嫌な思い出が甦る。
正面玄関の前で歩みを止めた。
「……紫信さん」
「どうした」
「大丈夫ですか?」
逆に心配されてしまった。
「大丈夫だ。行こう」
「……はい」
自動ドアを通り受付で事情を話す。
少しして、若い男性警察官と女性警察官が一人ずつやって来た。
「鐡さんですね。お待ちしてました。こちらへ」
男性警察官に案内された方へ二人で向かおうとすると、女性警察官が引き止める。
「娘さんは、こちらへ」
……何で別々なんだ。
彩も困ったように俺と女性警察官を交互に見ている。
すると男性警察官が小声で言った。
「話の内容が内容なので……ご理解ください」
……なるほど。彩には聞かせたくない話か。
「彩。大丈夫だ。お前は彼女と待っていてくれ」
「……はい」
消え入りそうな声で彩が返事をする。
後ろ髪を引かれる思いで俺は背を向けた。
◆
若い警察官に連れて行かれたのは小さな会議室だった。
広さは四畳半程だろうか。
窓から明るい日差しが入る部屋の中央に机と椅子が二脚置かれている。
「どうぞ、お掛けください」
促されて腰掛ける。
「担当の者が来るまで少しお待ちください」
「担当の者?」
「はい。事件の担当者です」
……あの感じの悪い中年男か。
十年前に俺を犯人扱いして取り調べた。
会いたくないが仕方ない。
七瀬の情報を得る為だ。
若い警察官が部屋を出て、一時間が経っても担当者は現れない。
「……忘れられてるのか?ふざけやがって」
痺れを切らせて部屋を出ようとしたら外からドアが開いた。
「いやー、すみませんね。他の件で忙しくて」
七瀬の件は後回しか。
相変わらず感じの悪い野郎だ。
「……お忙しいところ申し訳ない。手短に頼みます」
「はいはい。えーと、奥様の件ね。そちらに何か連絡ありましたか」
「……いえ。何も」
手紙の件は伏せておきたい。
俺は警察の情報を貰いに来た。
「こちらも手は尽くしているんですけどねー。何も手掛かりが無くて」
「手掛かりが無い……?」
では何の為に呼び出されたんだ。
「話が違いませんか。俺は手掛かりが見つかったと聞いて来たんです」
「誰がそんなことを?」
「ここの署の警察官が」
「そうですか?おかしいなー。私は何も聞いてなくて」
……どういうことだ。
「鐡さんの方に彼女から何か連絡があった、とは聞いたんですけどね」
「誰がそんなことを……」
「うちの若いのが」
おかしい。話が食い違っている。
「そういうことなら帰ります」
「待ってくださいよ鐡さん」
「娘は何処に居ますか」
「娘さん?一緒だったんですか?」
「受付で別れたんですが。若い女性警察官と一緒に居ると思います」
「そうですか。じゃあ受付でお待ちください」
感じの悪い男に一応、頭を下げて部屋を出る。
受付で少し待ったが彩は来ない。
イライラしていたら先程、彩を呼び止めた女性警察官が廊下を歩いているのを見つけた。
「あの、すみません。娘は何処に居ますか」
「娘さんなら先に帰られましたよ」
「……帰った?」
「はい」
あんなに不安そうだった彩が?
女性警察官に礼を言って署を出る。
そしてすぐ、彩のスマホに電話をかけた。
「……何で出ない」
何度かけても彩は出ない。
今度は紅林さんに電話をかける。
彩は家に戻っていなかった。
寄り道が出来るような精神状態では無いはずだ。
俺はもう一度、署内に入り隈無く探す。
すれ違う人間、全員に彩を見ていないか聞いた。
彩は見つからなかった。
帰り道でも会わず、家にも帰っていなかった。
青い顔で帰宅した俺を出迎えた真城。
郵便局員のネットワークで彩を探してくれているらしい。
紅林さんには叱られた。
何で彩の手を離したのか。
俺は何も言えなかった。
あちこち探し回った。夜になっても彩は見つからなかった。
明日の朝まで戻らなければ、警察に捜索願いを出す。
七瀬に続き彩も姿を消した。
守ることが出来なかった。
真っ暗な自室のベッドに倒れ込む。
情けなくて泣けて来た。
両手が軽く痺れ始めていた。
彩が居なければ、また動けなくなるかもしれない。
そうなったら彩を探すことも難しくなる。
「……どうしたらいい。七瀬さん」
枕元に置いてあったスマホが鳴る。
彩からかもしれないと慌てて見た画面には知らない電話番号が表示されていた。
間違い電話か。
でも俺は緑色のボタンをタップする。
「……はい。鐡です」
『……しのぶくん?』
それは十年ぶりに聞く、七瀬の声だった。
◆
「……七瀬さん。何処に居る」
『ごめん……言えない』
だよな。居場所を言えるなら帰って来てる。
『手紙、届いたよね』
「あぁ。昨日受け取った」
『彩は。元気?』
「彩は……」
俺は彩が居なくなったことを話した。
七瀬に心配かけたくなかったが、彼女は何か知っている気がした。
叱られると思った。彩を守れなかったこと。
なのに七瀬は落ち着いていた。
まるでこうなることが分かっていたかのように。
『彩は無事だと思う』
「どうしてそう思う」
『母親のカン。それより、しのぶくんが心配』
「俺は大丈夫だ」
『うそ。身体、しんどいでしょ』
全部お見通しか。
「あぁ。彩が居ないと駄目だ」
『やっぱり。まだしてなかったんだ』
「何を」
『しのぶくん。もう治ってるよね』
「だから何の話だ」
『彩のこと好きなんでしょ。あの子も大人になったし、男女の仲になってると思ってた』
……やっぱりな。
七瀬は全部分かってる。
「彩は真面目だからな。俺が七瀬さんと別れるまでお預けされてる」
『そう。もっと早く送れば良かったね。離婚届』
「最初から俺と彩をくっつけるつもりだったのか」
『うん。しのぶくんなら彩も気に入ると思ったから』
「俺も彩に惚れるって?」
『計画通りでしょ』
七瀬の手のひらで踊らされてたのか、俺は。
『うちはね。母親が娘の結婚相手……番となる人を決めるの。私の母親が私に与えたのは、最低な男だった』
「結婚相手……って、町医者の?」
『違う違う。あの人は私を助けてくれた恩人。行き場のない私と、お腹にいた彩を家族として迎えてくれたの』
……待て。その言い方だと彩の父親は別に居るのか?
『私の番は冷たい男だった。苦手だったけど、その人が私の増幅器だったから仕方なく一緒に居たの』
「……増幅器」
やはり七瀬にも居たのか。
「でも俺と出会った頃の七瀬さんは、そいつ無しで仕事をしていたよな」
『あ、うん。それは。私が彼と契りを結んだから』
「契り……?」