第四景【合唱】
歌うことは紡ぐこと。合わせることは結ぶこと。
マイアは胸の前で両手を握りしめ、青褪めて立ち尽くしていた。
運び込まれた血だらけの男はピクリとも動かない。
柔らかな亜麻色の髪が血濡れて張り付き、きれいな金の瞳は固く閉じたままのその顔は。
昨日も共に過ごした、己の恋人だった。
「……コール…?」
震える声で小さく名を呼ぶ。
足が震える。
「マイアっ!! 早く!」
神父の声に我に返り、息を吸い込もうとするができない。それでもどうにか歌いだそうと息を吐くが、その声は掠れて途切れた。
教会には癒やしの力が満ちている。
そのままでは霧散する土地の持つ癒やしの力を教会という箱で覆い、神父という名の錠をかける。歌うことでそれを紡ぎ力へと変えるのが、マイアたち聖歌隊の役目だった。
神父同様、満ちる癒やしの力が淡い光として見える聖歌隊。揺蕩うそれは見える者が奏でる音に集まり、絡み合うように濃度を上げていく。そして傍目にもわかる程の光となったとき、その力を発揮するのだ。
歌で紡がれた癒やしの力は怪我を癒やした。病そのものを消すことはできないが、痛みを和らげ治療の助けとなることならできた。
その歌にどれだけ癒やしの力を得られるかは歌い手によって異なった。
歌うということ自体の研鑽を積むことはもちろんだが、やはり持って生まれた資質がある。たとえ技巧が劣っても、惹きつける何かを持つ者はいる。
マイアはそんな歌い手だった。
聖歌隊に入って二年の十八歳。明るく柔らかい子どもの声でも、深みと力強さのある成熟した大人の声でもない、どこか儚げな澄んだ声。
その声に惹かれるように、マイアの歌声にはより多くの光が集まった。そしてそれがそのまま癒やしの力の大きさとなる。
この協会で一番癒やしの力の強いマイアの下に、最も状態の悪い怪我人が運び込まれるのは当然のことであった。
しかし、歌い手とて人なのだ。
その身を楽器としながらも、ただ弾けば音を奏でるものではないのだ。
たとえそれが唯一の方法と知りつつも。
瀕死の恋人を前に平然と歌うことは、まだ年若いマイアにはできなかった。
マイアの頬を涙が伝う。
急がなければ。
そう思うのに息が吸えない。
自分の下に彼が運ばれた理由はわかっている。
自分でないと助けられないからだとわかっている。
このままでは命の灯が消えてしまうこともわかっている。
震える手を握りしめ、詰まる喉で音を紡ぐが歌にならない。
歌にならなければ癒やしの力は紡げない。
紡げなければ癒やすことはできない。
泣いている場合ではない。
そう思うのに涙が止まらない。
「マイア! 落ち着いて!」
神父の声にわかっているのだと頷く。
ずっと自分にもそう言い聞かせている。
コールを助けられるのは自分しかいない。
自分が歌わねばコールは―――。
己が想像してしまった未来に、更に焦りが増す。
「…あ……あぁ…」
どんなに口を開けても。
どんなに願っても。
喘ぐような呟きしか出なかった。
慌ただしい足音が近付いてくる。
「マイア!」
声と共に、バンッと静かな教会にあるまじき音量で扉が開いた。
なだれ込んできたのは四人の聖歌隊。コールと同時に運び込まれた怪我人の治療を済ませてきた彼女たちは、棒立ちで泣くマイアにすぐさま状況を把握する。
駆け寄りながらひとりが歌い始めた。ゆらりと光が動き出し、コールの周りが僅かに明るくなる。
驚くマイアを残る三人が囲んだ。
「み…んな…」
「遅くなってごめんね」
謝りながら、その温かさと力強さをわけるように抱きしめられる。
「マイア。あなたじゃないと助けきれない」
「私たちが繋ぐ。ゆっくりでいいから」
順に抱きしめながらそう言い、彼女たちはコールの傍へと立った。
ひとり目の歌が終わったところで、ふたり目が歌い出す。新たに光が紡がれていくが、コールの意識はないままで大きな変化はない。
ふたり目が終え、三人目。
響く歌声の中、胸の前で両手を握りしめて。マイアはゆっくり息を吐く。
皆がくれた温もりと力がその身に満ちていた。
息を吐ききれば自然に吸える。そんなことすら見失っていたことに今更気付いた。
ゆっくりと、しかし確実に、身体の隅々にまで息を回す。己の中に流れを作り整える。背筋が伸び、うつむいていた顔が上がる。
四人目が歌い始めた。
顔付きが変わったことに気付いたのだろう、初めに歌った女性がマイアを迎えに来た。手を取られ、導かれるようにコールの横へと行く。
まだ血の気のないコールの顔に瞳を伏せそうになったマイアの肩を、励ますように抱いて。
「私たちがいるわ」
そう告げる彼女に、マイアは零れる涙はそのままに頷いた。
足元から、頭の先まで。
糸で吊るされるように、ピンと身を張る。
息を吐ききり、吸い込み、とめて。もうすぐ歌い終わる四人目と視線を合わせて。
終わったフレーズを継ぐように、マイアは歌い始めた。
いつもよりか細い声ながら、淀みを流す風のような清らかさは変わらずに。歌声は高い天井へと昇っていく。
惹かれ集まる光が絡み合い、まばゆさを増していく。
歌うこと―――否、歌えたことで落ち着きを取り戻したマイアは、視界に映る光に呼びかけるように音を紡ぐ。部屋の隅々、天井の端まで届くように。祈る気持ちが満ちるように。
さわさわと光が揺れ動き、ゆっくりと集い出した。幾重にも織り合う光は今までで一番の輝きをもってコールの身体を包み込む。
お願い、どうか―――。
曲も終盤、願うマイアの視線の先。
コールは未だ、瞳を閉じたままだった。
まだ足りないのか。それとも手遅れなのか。
動揺に歌声が揺れる。集いかけていた光がふいと軌道を逸れた。
そのことが更に焦りを生み、声色が変わる。目標を失ったかのように光は気ままに揺蕩いだした。紡がれていたはずの光の網が解けだす。
途切れた集中と襲う絶望にマイアの歌声が消えかけた、その時だった。
聖歌隊のひとりがマイアを支えるように歌い始めた。
驚き見やるマイアに、彼女は小さく頷く。
声に集う光を取り合わないように、いつもひとりずつ、歌を重ねるようなことはしない。二本になった歌声にはそれぞれ光が集い、残る光も戸惑うように揺れ動く。
しかしやがて、そのふたつを纒めるように大きく渦を描き出した。
それを見た三人も顔を見合わせ頷き合い、同じように歌い出す。
光の渦は更に大きく、周囲の光を巻き込みながら昇っていく。
歌う四人がマイアを見た。
大丈夫。
声なくとも伝わる気持ちに、マイアも笑みを返す。
皆に任せ、切り替えるように息を吐いた。
次いで取り込む息と共に、身体に満ちる気持ちを表すように。
高らかに声をあげる。
四人の声に支えられ、絡み合い響き合い。五人それぞれの声を合わせたものよりも、明らかに増して聞こえる音の波。
時にはふわりと持ち上げられ、時にはびりびりと共鳴し、それでも決してばらけることなく紡ぎあげられていくその渦は、部屋中の光を巻き込み膨らんでいく。
まばゆくも目を射ることのないその光は、すべての光を巻き込んだところで収縮し始めた。掌程の大きさの光球にまで凝縮したそれは、向き合うマイアたちの中心、コールの真上に浮かぶ。
五人の歌声がひとつに重なり、次第に弱まり、おわりを迎えた。
その残響が消えた瞬間。
弾けるように光が散開した。
光が収まるまで暫くかかった。
へたりとマイアが座り込む。
「……コール…?」
震える声で名を呼んで、恐る恐る手を伸ばす。
頬に赤みが差しているように見えるのは、見間違いではなかろうか。
血ではりつく髪を払うと、その目元が少し動いた。
「コール…?」
もう一度、名を呼ぶ。
今度こそ明らかに眉を顰めてから、ゆっくりと金の瞳が開いた。
「……マイア」
コールの口から零れた己の名に、マイアは涙と共に瞳を細める。
よかった、と、唇が刻んだ言葉は声にならなかった。
その日を境に聖歌隊は声を合わせ歌うようになった。
やがて各教会に広がり、これまで以上に多くの人々を救うこととなる―――。
今回は【合唱】です。
メンタルがヘタレな小池は、たとえ練習といえどもひとりで歌うとド緊張して声が出ませんが、合唱なら平気。ちなみにほとんど行かないカラオケでもマイクなしで歌います。だってあれ外に丸聞こえだし……。
きれいにハモると気持ちいいのはもちろん、一音差でぶつかる不協和音なビリビリ感も堪りません。
ちなみにここでも不器用発揮。巻き舌できないのにドイツ語歌ってた…。
昔、クリスマス時期にドイツマーケットで歌わせてもらったことがあります。夜です。野外です。とにかく寒かった!! 声なんて出ないよ!
終わってから差し入れでもらったグリューワインが美味しかったです(結局またお酒…)。