第三景【ケーキ】裏
あと一日の距離感。
「今度の金曜日?」
「そう。仕事帰りにどうかなって」
啓太の言葉に、待ってね、と返してスマホを見る葉子。
「二十三日ね。大丈夫。残業にならないよう気をつけておくわね」
「俺も。じゃあ」
外へ昼食を食べに行く啓太と別れ、弁当を食べるために休憩室へと行く。
誘ってもらえたのは嬉しい。しかし。
「…どうして二十三日なの……」
小声で呟き、溜息をついた。
二ヶ月前、続く残業に疲れ果てていたところを彼に助けられた。
それまではたいして話したこともない相手。迷った末に送ったお礼のメールにも、至って普通の返事が帰ってきた。
週明けに改めてお礼を言い、食事に誘った。お礼に食事でもだなんて、普段の自分なら絶対に言ったりしない。思えばこの時には既に彼のことを知りたいと思っていたのだろう。
戸惑う様子の彼に好きなお酒を聞いてみると、焼酎と返ってきた。
内心喜んでから、顔に出てはいなかったかと慌てる。
自分もそうだと話し、いい店があるからと言うと、ようやく頷いてくれた。
案内したのは焼酎の品揃えがいい飲み屋。若い女性もいないわけではないが、男性八割、といったところだろう。
同じく焼酎好きの友人とよく行っていた店だが、彼女が結婚してしまってからは行く機会がなくなってしまった。
正直引かれるかと心配もしたが、焼酎あってのこの機会。ごまかすのはやめた。
店を見ての反応は、思った通り驚いた様子で。しかし焼酎のリストを見ながら選ぶその様子は楽しそうで。格好をつけずにこの店に連れてきてよかったと安堵した。
「こうして飲むのって久し振りだな」
運ばれてきた焼酎を一口飲んだ彼の口元が少し上がる。
「飲み会だとビールだし。外で焼酎なんてどれくらい振りだろ?」
「そうなの?」
「ビールならまだしも。焼酎となると一緒に飲んでくれる奴がなかなかいなくって」
確かにたいていのお店では、多くても五種類ほどしか置かれていない。選ぶほどの選択肢がないのが普通だ。
「これだけあるなら選び放題だよな」
横目でリストを見ながらのその言葉に、それなら、と葉子は微笑む。
「私も一緒に飲んでくれる人いないから。よければまたご一緒させて」
彼はそれを社交辞令と取らずにいてくれて、その後何度も飲みに行った。
こちらから誘うことも、違う店に誘われることもあった。
ふたりでの食事は楽しい反面、駅での別れは寂しくて。
しかしどうしても、もう少し、と言えなかった。
自分は彼と話したいだけ。だからたとえ食事もお酒もなくても、彼がいればいい。
しかし、彼も同じことを思ってくれているかどうかなど自分にわかるはずもなく。もし本当に飲み友達としか思われていなかったならば、もう少しお茶でもだなどと引き止めようものなら次はないかもしれないのだ。
だから言えなかった。
帰る路線の違う自分たち。駅に着くと、当たり前のように『また会社で』とすぐ別れた。
背を向けて数歩歩き、いつも振り返るのだが、彼が振り返ってくれることはなかった。
それでもそれなりに回数を重ね、食事中に時折じっとこちらを見てくれるようになり。
少しの甘い期待が生まれる。
今年のクリスマスは土日。今まで会社帰りにしか飲みに行ったことはないが、もしかして、その土日に誘ってもらえるなら、と。
しかし一向に声はかからず。いっそのことこちらから誘おうかと思った矢先、二十三日にと誘われた。
退社後、ひとり歩きながら溜息をつく。
二十三日。クリスマスでもクリスマスイヴでもなく。いつも通りの会社帰りの約束。
期待していいのか。
だめなのか。
わからなかった。
そうして当日。いつもよりひとつ多い鞄とともに、葉子は家を出た。
鞄の中には彼へのクリスマスプレゼント。誘われたあの日から何日かかけて店を巡り、ようやく選んだ濃灰チェックのマフラーが入っている。
今日こそは帰りにもう少しと引き止めて、これを渡すことができたなら。
そう思っていた。
定時に仕事を終えて合流する。やはりいつも通りのようでどこに行こうかと相談された。結局はいつもの店となり、ふたり並んで歩き出す。
街を彩るイルミネーション。
華やかに飾られたショーウィンドウに映り込む、自分越しの彼の姿。浮かぶ明かりに照らされる横顔に、少し瞳を細める。
こうして並んで歩けることがとても嬉しく、同時に寂しい。
聖なる夜を祝う飾りは輝く未来の象徴にも見えて。手を繋ぎ歩く恋人たちの幸せそうな顔とすれ違うたび、きらびやかなそれは今の自分たちには過ぎたものに感じられ、胸が痛んだ。
店での彼はいつもとは少しだけ違っていた。
時折考え込むように視線を落とし、小さく息をつく。どこか落ち込むその姿に、そういえば店を決めるときも歯切れが悪かったなと思い出す。
そうは見えなかったが、本当は仕事が立て込んでいたのだろうか。それとも他に何かあったのだろうか。
心配になり尋ねるが、なんでもないと返された。
そこからの彼はいつもと同じ、嬉しそうに銘柄を選び、楽しそうに話してくれたのだが。
ほっとする中で感じる物寂しさ。
様子がおかしいとわかっていても、大丈夫だと言われたらそれ以上聞けない。
楽しそうなこの笑顔の裏でいくら悩んでいても、自分には聞き出せない。
彼と自分はその程度の関係でしかない。
そのことが悲しかった。
気持ちはどうあれ、食事は楽しく取ることができた。ふたりは店を出て、駅までの道を歩き出す。
光を纏う木々が連なり、駅までの道のりを先導するようで。
きれいね、と独りごちる。
気を引くように明滅するライトに視線を上げると、こんな街中でも冷えた空気は澄むようで、木々の星の遥か上にもわずかに光が見えていた。
いつもさり気なく歩幅を合わせてくれる彼を盗み見る。
地上も天上も色とりどりの星に彩られたこの中を並んで歩ける喜びと。
繋ぐ先のない手のもどかしさと。
視線すら合わない寂しさと。
それを伝えることができない自分自身の不甲斐なさ。
ぎゅっと、鞄の持ち手を握りしめる。
今日ここで伝えなければ。
今日これを持ち帰ってしまえば。
きっと、次はない。
一際明るい駅前。着いてしまったと内心思う。
近付くにつれ高鳴る鼓動。
お茶でもどう、と声をかけなければ。
足を止めてもらわなければ。
少し歩みを遅くしてから立ち止まり、彼を見上げた。
同じく足を止めた彼が、慌てた様子で口を開く。
「明日休みだし、もう少し…コーヒーでも飲まない?」
かけなければと思っていた言葉がその口から出たことに、驚きのあまり思わず彼を凝視した。
少し緊張したような面持ちでじっと自分を見返す彼に、そうかと思う。
彼も、自分と同じだったんだ、と。
ここ数日張り詰めていた気持ちがふっと緩んだ。
「ええ。そうね」
気を抜くと涙が滲みそうになる中、どうにかそれだけ口にした。
「み、店、探そっか」
慌てた様子で辺りを見回しだしたその背に、ありがとうと呟いて。
零れた涙は素早く拭い、葉子も店を探し始めた。
駅前のカフェに入り、向かい合って座った。
「……クリスマスだし、ケーキでも食べる?」
メニューをこちらへ向けてくれながらの彼の声に、やはり向こうもクリスマスだと意識してくれていたのだと知る。
ケーキはやめておくと返すと、少し沈んだ声で、そっか、と返ってきた。
おそらく今自分が感じている彼の気持ちは間違いではないだろう。
今日誘われたのも、店で様子がおかしかったのも、彼なりに何か考えていてくれたのかもしれない。
そして今、こうして一歩を踏み出してくれた。
だから次は私の番。
そう思い、クリスマスイヴは明日だからと告げる。
顔を上げた彼の、驚きと期待の混ざった眼差しに。
自然と浮かぶ笑みのまま、続ける。
「だからケーキは明日に、ね?」
途端に真っ赤になってこくこく頷く彼に、約束ね、とつけ足しながら。
持ってきたプレゼントを渡すのはやめておくことに決めた。
今日持ち帰っても、明日渡せる。
それがとても嬉しかった。
読んでいただいてありがとうございます!
表/裏形式のときは、裏のみの後書きです。
今回はケーキ。きれいに飾られたケーキ屋さんやカフェのケーキ、です。
生来の不器用さに加えて、製菓に限らず飾り付けるという能力が皆無の小池にとって、クリームのケーキは買うもの、です。
まず純生クリームをあの固さに泡立てられない。
ケーキ屋さんのケーキ、どうして生クリームがヘタらないのだろう…。36%の純生だよね…。へたすりゃまさかの45%のだよね…。うちだと時間が経つと緩んでしまうのに…。謎すぎる……。
というわけで買うケーキ。クリスマス以外はカットケーキを買います。
ホールケーキは家族で味の好みが分かれるのでなかなか買えません。そして何よりきれいに切れない。ここでも不器用発揮。クリスマスケーキはパン切り包丁とあと載せ苺に助けてもらっています…。チョコの家もかったい砂糖のサンタもいらない………。