第二十一景【テーマパーク】表
思いがけない姿。
八月に入って最初の土曜日。駅は親子連れやカップル、友達同士に観光客と、ありとあらゆる組み合わせの人々に溢れていた。
朔は改札を出て、今はまだ空いている券売機の前に立つ。
時刻は待ち合わせ二十分前。少し早すぎるかとも思ったが、相手を待たせるのは絶対に嫌だった。
何か連絡が来ていないかスマホを確認しては、おかしな格好をしていないかと自分の姿を見られる範囲できょろきょろと見て。忘れ物はないかと鞄の中を漁ってから、そんな己の緊張ぶりに気付いて苦笑する。
ばくばくと、既に鼓動がうるさい。
刻一刻と近付く待ち合わせ時間。
今からこんな調子で。ことはが来たら一体自分はどうなるのだろうかと、我が事ながら心配になった。
連絡していいと頷いてくれたことはに、初めてメッセージを送ったのは先週の金曜日のこと。
『本山です』
『いつも辞書を借りているお礼がしたくて。明日、都合はどうですか?』
書いては消して、消しては書いて。たったこれだけの文面を送るのに三十分はかかった。
本当に返信が来るかと、びくびくしながら待つこと数分。既読がついてから十分後に『疋田です』と入った時には嬉しくて仕方なかった。
続けて入ったメッセージの最初に『お礼なんて気にしなくていいのに』『明日は予定があって』と書かれていた時はどうしようかと思ったが、後半にはちゃんと『来週なら』と書かれていた。
『じゃあ来週で』と約束を取り付けてから、ちょうどテーマパークの入場チケットをもらったので一緒にどうか、と誘った。
既読から暫く間が空いて。
『いいの?』と返ってきた時には、嬉しさのあまり椅子から立ち上がってしまった。
ことはをどこに誘うのかは『あしたひま?』と聞く前から決めていた。
映画だと話せない。スポーツ観戦も同じ。大人のように食事には誘えないし、友達同士のようにお店をウロウロするのも違う。ふたりでカラオケはまだハードルが高く、図書館は話せず、公園だと何をすればいいか困る。
思いついたのが、電車で一時間ほどの距離にある大型テーマパーク。
多くのアトラクションに、次々行われるショーやイベント。どこを観に行くかも会話のきっかけとなるし、待ち時間には色々話せるかもしれない。
入場チケットは高校生にとっては高額だが、乗り物毎にチケットがいる遊園地とは違って入りさえすればあとは食事代だけ。チケットはもらったと言い張って誘えば頷いてくれるかもしれない。
付き合っているわけでもないのに引かれるかなと考えもしたが、ほかによさそうなところも思いつかず。もし断られたらことはの意見も聞いて決めればいいかと開き直って提案した。
安堵と浮かれる気持ちを隠しながら、待ち合わせ時間と場所を決めて、やり取りを終えて。
スマホを置いてから、朔はほっと息をつく。
無事行く場所は決まった。
あとは当日どうするか。
ことはを困らせない程度には決めておいた方がいいのかとも思いつつ、とりあえずは隣室の兄を訪れた。
「やめとけ」
お礼と言って昼食代を出したいが、チケットを買うとバイト代がほぼ飛んでしまう。だから少し貸してほしいと言うと、即答で断られた。
「やめとけってどういう意味?」
「どうもこうも。そのままの意味」
呆れた顔で続ける四歳上の兄に、朔はそのままって、とぼやく。
わかってないなとわざとらしく溜息をついてから、兄は座っていた椅子の背をぎしりと軋ませた。
「いくらお前がもらったチケットだって言ったって、向こうにしたらお前からってことに変わりないんだし。付き合ってんならまだしも、そうじゃないならやりすぎだって」
ふんぞり返って上から言われ、ますます腹は立つのだが。言われていることはわかるので、何も言い返せない。
「それとも。朔の好きな子はそれを喜ぶ子なのか?」
「そんなわけっ…」
「だったらやめとけ」
再度きっぱり否定され、朔はぎゅっと唇を引き結んだ。その顔を暫く眺めてから、兄は仕方なさそうに表情を緩める。
「あんまり過ぎると、次、断られるぞ?」
和らいだ声音にちらりと見上げると、見守るような眼差しを向けられていた。
今回だけにするつもりはもちろん朔にもないが、こう見透かされているのもなんだかむず痒く。
高校からの彼女と変わらず仲良くやっている様子の兄にも自分と同じように思い悩んだ日々があったのだろうかと、そんなことをふと思う。
そんなことを思われていると気付いているのかいないのか。
「どうしてもってんなら、お茶くらいにしとけ」
口の端を上げ、諭すようにそう続けた兄は。
「そんくらいなら足りるだろ?」
まぁ頑張れと、からかうような口調でつけ足した。
週明けは終業式、辞書を借りに行くこともなく、ことはとは話せなかった。
隣のクラスの前を通りかかった時、うしろの扉からふと見やった教室の中。自席に座ることはと目が合ったので、小さく手を振ってみた。一瞬驚いた顔をしてから微笑んでいたのは、自分に向けてだと信じたい。
翌日からの夏休み、部活で登校してももちろんことはには会えず。気軽にメッセージを入れられるはずもなく、その日のやり取りを見返しては頬を緩めるだけの日々。
それでも前日くらいは許されるだろうと思い、緊張しながら『明日はよろしく』と送った。
既読から数分、『楽しみにしてます』という返事は、嬉しい反面どこまで本気で取っていいのかとかなり悩んだ。
何度も荷物を確認して。着ていく服を確認して。待ち合わせ場所と時間を確認して。何時の電車に乗ればいいのか確認して。できることをすべてやったつもりでも、それでもまた確認して。
浮かれながら緊張する自分自身がおかしくて、落ち着こうと深く息を吐く。
ことはのことがずっと気になっていた。
でもまさか、単に学校外で会えるというだけでこんなに浮かれたりするほどだとは思っていなかった。
余裕など欠片もない、馬鹿みたいにテンパった自分。
それでも。
焦りと呆れの奥にあるのは、やはり喜びだった。
そして迎えた当日、朔は予定より一本早い電車でテーマパーク最寄りの駅に到着した。もちろんことはにはさっき来たところだと言い張るつもりだ。
今からここにことはが来る。
電車が到着するたびに改札から溢れ出る人々を眺めながら、この浮かれた気持ちにずっと浸っていたいという思いと、ちゃんと来てくれるだろうかという不安とを行ったり来たりすること数分。
改札から出てきたことはの姿に驚いて、すぐに合図を送れなかった。
白いシャツに薄手のデニム地のフレアパンツ姿。初めて見る私服、もちろん似合っていてかわいいのだが―――。
はっと我に返り、慌ててここだと手を挙げる。
気付いたことはの安心したような微笑みが胸の高鳴りに拍車をかける中、来てくれた安堵とこれからの期待と不安は抑え込んで、努めて普通におはようと告げる。
「おはよう。ごめんね、待たせた?」
「さっき来たとこ」
そう返すと、ことはがくすりと笑った。
「今日はありがとう」
「お礼言うのは俺なんだけど」
ドギマギしながらそう返し、ごまかすように先を見る。
「…行こっか」
頷くことはと並んで歩き出した。
入場ゲートまでの間、立ち並ぶ店のウィンドウに映る自分たちの姿。これじゃまるで、と思ってしまい、照れと嬉しさと申し訳なさが込み上げる。
自分としては嬉しい。ただ、ことははどう思っているのかは心配だった。気付いていないだけなのか、それとも嫌がられていないのか。もちろん聞く勇気はない。
駅から流れるように歩く人々は、押し合うほどではないがそれなりに多い。
はぐれないように。
ちらりと脳裏を掠めたものの、隣の手は取れなかった。




