第二景【ぬいぐるみ】
教えてあげられたらいいのにね。
「パンパン〜〜!!!」
部屋に飛び込んできたご主人、そう言ってわたしを両手で包んだ。
また制服のまんま! 手は洗ってくれてるの?
「聞いてよパンパン! 今日ね、今日ね、しおりが貫田くんにぃ〜!!」
ご主人ったら。泣きそうな顔でわたしに訴えてくる。
もう! またしおりが好き勝手するのを黙って眺めてたのね? しょうがないご主人なんだから!
「貫田くん、しおりのこと好きなのかな…。嫌がってるように見えないもん…」
しょんぼり下を向いて呟くご主人。
ばかな心配ばっかりしてないで動かなきゃ、って言ってあげたいけど。わたしにはどうしようもないじゃない。
わたしの中に込められた想い。
伝える術がないんだから。
わたし、手乗りサイズのパンダのぬいぐるみ。ご主人にはパンパンって呼ばれてる。
パンパンって名前、ぎっちぎちに綿を詰められてるみたいであんまり好きな響きじゃないんだけど。ご主人がつけてくれたから、まぁ文句はないかな。
わたしのほかも、ワンスケ、ネコタ、ギョッピー、なんて。ホント、ご主人の名付けセンスはイマイチね。
ワンスケたちはご主人が連れて帰ってきたんだけど、わたしは違う。
だからこそ、ご主人にとってわたしは特別で。
だからこそ、こうやって泣きついてくるのよね。
わたしは遠いところにいた。
いろんなぬいぐるみがたくさんいるところに、わたしと同じ格好の子たちと並んでた。
その日はご主人と同じ制服の女の子と、制服の男の子がたくさん来てて、とってもにぎやかだったのを覚えてる。
わたしに興味を示してくれる子もいたけれど、連れて帰ろうとしてくれる子はいなかった。
今日もないかな。
そう思ったところを、そっと包みあげられる。
何、と思ったときには、じっとわたしを覗き込む瞳が目の前にあった。
「かわいい……」
人差し指でくすぐるように撫でてくる女の子。
わたしとご主人との出会いだった。
「それも買うの?」
うしろから同じ制服の子にそう聞かれた女の子、見るからに落ち込んだ顔になって首を振る。
「ううん。もう自分の分買うお金ないもん」
名残惜しそうにわたしを戻して、ちょっと未練たらしい顔をして、女の子は離れていった。
いい人そうだったのに、残念。
そんなふうに思ってから、やっぱり今日もなかったか、なんて考えてたら。
横から伸びてきた手が、急にわたしをわしっと掴んだ。
何? 何が起こったの?
そう思うけど握り込まれて何も見えない。
やっと放してもらえたときには、わたしはかごの中で。
ほかの大きな箱と一緒に見慣れた服のお姉さんにピッてされて。小分けにしますか、なんて言われて小さな紙の袋に入れられた。
袋に入れられる前に見えたのは、制服姿の男の子だった。
わたしは多分その男の子に連れてこられたんだと思う。
なんで多分かっていうと、それからご主人が開けてくれるまで、わたしはずっと袋の中だったから。
買われるときはびっくりするくらい乱暴に握られたけど、それからはワレモノみたいに丁寧に扱われて。でも袋から出してもらえずに、しばらくが経った。
「…あーもう、いつ渡そう……」
あの男の子なのか、時々そんな声が聞こえた。
あるとき突然持ち上げられて。
「一回開けとかなきゃだよな…」
袋を開けたみたいだけど、出してはもらえずにまたすぐ閉められる。
「…受け取ってくれるかな…」
そんな呟きが聞こえて、ゴソゴソとどこかに入れられる。
またどこかに連れていかれてるんだとわかった。
「おはよう、糸川」
「お、おはよう」
そんな声が聞こえた。
わたしを連れて帰った男の子と、女の子の声。
「ちょうどよかった。これもらって?」
急に引っ張り上げられる。
「えっ?」
「修学旅行で妹に買ったんだけどさ、趣味じゃないって言われて」
ぽふん、とどこかに置かれた感じがした。
「だから、よかったら」
「えっ? でも、貫田くん、いいの?」
「いいのいいの。うちにあっても仕方ないし」
じゃ、と言った男の子の声は、さっきより少し遠くて。
「あっ、ありがとう!」
慌てた様子で、でも嬉しそうに返す女の子の声が、すぐ傍で聞こえた。
そのあと、すぐに袋は開けられて。
「えっ……」
小さな声が聞こえて、ゆっくりと袋から掬い出される。
「…これ…」
ものすごく驚いてわたしを見る女の子。
あのとき名残惜しそうにわたしを置いていった女の子が、目の前にいた。
そうしてわたしはご主人のところへやってきた。
あれからもう一度袋に戻されたけど、次に出してもらえたときはご主人の部屋で。
ご主人ったら、泣きそうな顔でわたしを見て、両手で包んでぎゅっと抱きしめる。
「……どうしよう…嬉しすぎる…」
あら、そんなにわたしがほしかったの? なんて思ったのは最初だけ。
どうやらわたしを連れてきた男の子のことを、ご主人は好きなんだって気付いた。
わたしを元いた場所から連れて帰った男の子は、貫田くんといって。
ご主人ったら、わたしを見る度に貫田くん貫田くん貫田くんって。わたしってばすっかりご主人から貫田くんの話を聞く係になっちゃった。
ご主人は貫田くんのことが大好きだけど、あんまり積極的に話かけられないみたい。わたしにしてくれる話も、ほとんど遠くから見てた話だもんね。
「でも。ホント貫田くんの妹さんには感謝だよね」
指でわたしをつんつんしながら、ご主人がえへへ、と笑う。
「趣味じゃないって言ってくれなかったら、パンパンは私のところに来てないもんね」
ご主人は貫田くんの言ってたことを信じ込んでそう言ってるけど。
貫田くん、わたしのことを誰にも見せてないんだけど。
今になって思えば、きっと初めからご主人に渡すつもりだったのね。
大丈夫って伝えてあげたくても、ぬいぐるみのわたしには伝えられない。
貫田くんのことで泣いたり笑ったりするご主人に、本当のことを教えてあげたくてもできない。
わたしがどんなふうにここへ来たのか。
わたしを連れて帰ってから、貫田くんが何を言ってたのか。
どんなにご主人に聞かせてあげたくっても、わたしにはできない。
だけどね、ご主人。
わたしにも、聞くだけならできるから。
ご主人の嬉しいも悲しいも、聞くことだけはできるから。
だからたくさん話してね?
嬉しかったことを話してもっと幸せを感じたり。
つらかったことを口に出して少し楽になったり。
貫田くんにわたしを渡された日のことを思い出して、やっぱり好きって確認したり。
そんな相手になら、わたしにだってなれるから。
ご主人の役に立てるから。
だからこれからも。
嬉しそうに笑って。たまには泣いてもいいから。
わたしにたくさん話してね。
それからもご主人は、わたしに貫田くんのことを話してくれた。
遠くから見てる話が多かったのに、少しずつ、話しかけてくれた、とか、朝途中から一緒に行った、とかになって。
そのうち、今日は自分から話しかけられたよって、頑張ったよって、話してくれる日が増えて。
こうしてるのを見た、じゃなくて。
こうしてくれたって。
そう話してくれるご主人はもう本当に嬉しそうに笑ってて。
ご主人から聞く貫田くんの話が、趣味とか、好きなものとか、そんな話になってから暫く。
その日、ご主人は部屋に駆け込んできて。
わたしに手を伸ばしたときには、もう涙が溢れてた。
わたしをぎゅうっと抱きしめたご主人は何も言わずにずっと泣いてた。
黙ったまま、ずっと、ずっと。
涙でぐしょぐしょのご主人。なんにも話してくれないけど。
わたしだって、ここへ来てからはご主人のことずっと見てたからね。
嬉しそうなその顔を見たらわかるから。
だから今日は何も話さなくていいからね。
わたしも何も聞けないけど。ここにいるだけでいいよね?
そうだよね、ご主人!
ぬいぐるみ。さすがに自分のために買うことはなくなりましたが、増える一方ですね…。
顔付きもですが、重要なのはなんと言っても手触り! 触り心地がいいというのは至福です。
少し心情を吐露することで楽になることだってありますよね。口の固さはお墨付き。安心の相手です。
ただ、その場を人に見られると少し恥ずかしい…。