第八景【柚子】
思い出の香り。
人参にほうれん草、この時期だけ見かける普通の三倍の長さのカニカマ。干し椎茸、干瓢、高野豆腐は昨日のうちに炊いて準備をしておいた。厚焼き玉子はあえて味をつけずに焼いてある。
この時だけは焼き海苔ではなく乾海苔。ご飯は炊飯器で炊ける上限の三合。
もう少し早く気付いていればと思いながら。
実緒は柚子を三つ、横半分に切った。
二月三日、節分。
いわれは色々とあるようだが、なんとなく毎年巻き寿司を作る。
まだ子どもたちが家にいた頃は、多い時では一升の酢飯を用意してサラダ巻きや肉巻きなど変わったものも作ったが、今は夫とふたり分。定番の具で四本も巻けば十分だった。
さほど材料も必要ないからと呑気に構えていた数日前、自分にとっては重要なものを切らしていることに気付いた。
ゆのす―――要するに柚子の酢、だ。
母の郷で使われるそれ。子どもの頃から慣れ親しんだ味だからこそ、こうして今でも使い続けている。
最近ではネットで取り寄せられるので便利になったが、今から注文しても間に合わなかった。
もちろんなくても酢飯はできる。だがやはり物足りないのだ。
仕方なく具の材料のついでに柚子を三つ買ってきた。柚子酢といっても、ただの搾り汁。精々ものにより塩が入る程度なのでこれで代用はできる。尤も、機械で搾るからこその濃さはないが。
柔らかいので手でも十分だが、皮を痛めてしまうのでレモンの絞り器を使って果汁を絞る。成分が沈殿するゆのすとは比べるまでもなく、薄くどこか青臭い果汁。せめてもと、あるだけ使う。
酢を足して、ちりめんじゃこを入れる分塩を控えめに寿司酢を合わせる。みじん切りの生姜を入れるのも母のしていた通りだった。
母の郷には数えるほどしか行ったことがない。
なのでその土地に特に思い出があるわけでもなく、テレビで風景が映し出されても際立って懐かしさを覚えるわけでもない。
それでもやはり母はその土地の人間だったようで。時折百貨店に物産展が来ると、聞き覚えのある土地の言葉に笑みが浮かび、なんとなく覚えある食品に思わず手が伸びる。
そんな中でも身近なものが柚子だった。
ゆのすは知る人ぞ知る、といったものかもしれないが、柚子自体はごくごくありふれたものだ。特産にしている地もここそこにある。
好きといえば好きなのだが、好物とはまた違う。
切らさぬように置くほどでもなく、フレーバー商品を見かける度に買い漁るほどでもない。
それでも己の根底に親しみの情のようなものがあるのだろう。いくつかの選択肢の中からなら、柚子を選ぶことは多いかと思う。
酸味というより、この香り。
柚子湯の実がふやけてきた頃の角が取れたほんわり甘い香りを最たるものとして、生の柚子でも所謂柚子らしい清涼感の他に皮から甘い香りがする。
この香りが味としての甘みと合い、菓子にも酒にも使われるのかもしれない。
今年は柚子酒でも漬けようかと、ついそんなことも考えながら。絞った後の皮から薄皮を剥ぎ、袋に入れて冷凍庫に入れた。少しずつ削って吸口にするためだが、冷凍庫にはまだいくつか残っている。何なら後日、久し振りにジャムを煮てもいいだろう。
コトコトと煮る間もまた、淡い香りに包まれる幸せな時間なのだから。
炊きあがったご飯は本当ならば寿司桶に取らねばならないのだが、たかが三合、昔使っていた寿司桶では大きすぎる。蒸気が溜まるのであまり良くはないのだが、自分たちの分だけだからとボウルに取った。酢に浸かる生姜とちりめんじゃこを先に入れながら量を加減し、酢飯を合わせる。
胡麻を入れ、混ぜながら。
寿司桶いっぱいの酢飯を掌よりも大きなしゃもじで混ぜていた母を思い出す。
自分ももうそれなりの歳になり、子どもたちも自立して。そんな今になって改めて思うことがある。
自分も母のように。子どもたちにとっての母として立つことができていたのだろうか、と。
教えるほどの技もなく。
語るほどの経験もなく。
たとえ懸命にではあったとしても。ただ毎日必死に暮らしてきただけの自分に、子どもたちは母としての姿を見てくれていたのだろうか。
湯気の上がる酢飯を見つめて。
聞けぬ問いを、混ぜ込んだ。
酢飯を冷ます間にと、ゆのすの注文をしようかとスマホを手にする。
少し考え、先に子どもたちへとグループメッセージを送った。
ゆのすを注文するけれど分けてほしいか、と。
少し休憩と思いお茶を飲んでいると、着信音が鳴る。
育児休暇中の長女からの返信。
まずは『ほしい!』と一言。
それから『ないと物足りなくて』と続く。
同じことを考えているのかと、なんだかおかしくなる。
まだ就業中の次女からの返信は夜になるだろうが、なんとなくこちらにも同じことを言われそうな気がした。
こうして同じ味を好み、求めてくれること。
自分にも見せられた背があったのだろうかと。
そう思え、嬉しかった。
食卓の上に冷めた酢飯、具、海苔、大きめのタッパーを置いて。バットの上で巻き簾を広げる。
縦向きに海苔を敷いて酢飯を載せる。ひとり一本食べるのだからとの言い訳の元、ご飯の量はかなり少なめにしておいた。具を並べて手前から巻いていく。
太巻きというよりは中巻きほどの大きさではあるが、自分たちももう若くはない。丸かぶりをするならばこのくらいの方がいいだろう。それに何より、しっかり酢飯も具も入れてしまうと上手く巻ききれず、置いているうちに開いてしまうのだ。今まで何本も巻いてきた割には一向に上達しないので諦めて細めに巻くようになったことは、子どもたちにも内緒のままだ。
同じように四本巻いて。もう一本巻けるだけの酢飯は残っていたが、カニカマは四本入りなので足りなかった。代わりに残っていた材料を足せるだけ足して巻くことにする。
味見をと思い、わざと一口余らせておいた酢飯を少々行儀は悪いが口に放り込むと、まずは柚子の淡い香り。次いでいつもよりはよく言えば柔らかく、悪く言えば頼りない酸味が続いた。
やはり手絞りでは限界があるかと苦笑う。皮ごと機械で搾るからこその苦味と油、それがそのまま風味となるのだろう。
暖房はつけていないので巻き寿司はタッパーに入れたまま食卓に置いておいた。夜に食べなかった分は冷蔵庫に入れることになるが、どうせ明日の朝は焼いて食べるのだから固くなっても構わない。
残った巻き寿司を焼いて食べるのも母がしていたから。
最近の余り物レシピとは違い、ただ焼くだけのこの食べ方。もしかしたら子どもたちも当たり前にしているのかもしれない、と。
そう思い、ひとり笑った。
残ったほうれん草で和え物と、あとは吸い物を作れば今日の夕食は完成。
使った道具の片付けがてら、こんな時くらいと思いきちんと出汁を取ろうと鍋に水を張り昆布を入れておく。
巻き寿司の準備があるからと、鰯は市販のつみれを買ってきた。
吸口には柚子皮を入れて。
まだ少し物足りない分は、食前酒として柚子ワインでも開けることにしようかと考える。
甘ったるいだけではない、きちんと皮の苦味が感じられる柚子ワインはお気に入りの一瓶だ。あまり量を飲めない自分には、開栓してから日持ちがするのもありがたかった。
節分だというのに柚子尽くしな夕食。
つきあわせる夫には少々申し訳ないが、我が家の味ということで諦めてもらう。
受け継いだというには大袈裟な、自分にとっての母の味。
子どもたちにとっても、なんとなく懐かしい味となってくれているのだろうか。
ふとした瞬間に思い出し、我が家の味だったと思ってくれるだろうか。
味の記憶とともに、穏やかな日々を懐かしんでくれるだろうか。
そんな詮ないことを思いながら。
まだ次女の返事は来ていないが、ゆのすは一升瓶で頼んでしまおうと決めた。
節分なのに【柚子】です。小池にとっては寿司繋がり。
柚子、すだち、かぼす、レモン。選べと言われたら迷わず柚子を選びます。おそらく皆様の想像よりふやけた感じの甘い香りが好き。
書いたからにはということで、前日にジャムを煮てみました。柚子では初めて。思っていたより煮ている間は柑橘らしい香りで。水にさらしている間の香りがやっぱり一番好みです。中の種が発芽しかけていたので植えてみようと思います。ポンカンも一m位になるまでに種から五年ほどかかったので、上手く育ってくれたとしても、木らしくなるまで先は長いでしょうけどね。
ゆのす、最近は無塩がほとんどのようで。冷蔵庫で保存できるようになったこともあるのでしょうけど、料理だけでなく割材にも、ということらしいです。ただいくら甘くしても、柚子ジュースと思って飲むには酸味がきついかもしれません。
柚子ワインはゆのすとは別の県のワイナリーのもので。初めて飲んだときは衝撃でした。一緒にいた姉とふたり、即買い。それ以来何度もリピートしています。冬はホットワインにもいいらしいです。




