第七景【翼】裏
再会を信じて。
その背の白い翼が銀へと変わった。
「ってと」
銀の瞳が怨霊を見据える。
黒い躰から何本も生え出す触手のようなものが、ばたりばたりと虚空を掻く。本数が増えるごとに膨らむ大きさと比例して、内包する悍ましさも増す。
その在り方を手放すことで得られる力。その扉を開けた瞬間、最早輪廻の輪には戻れない。
苦しんでいるようにも見える怨霊を見下ろしたまま、ジェイクは胸の前で軽く右手を開いた。
キィン、とその上で凝縮していく銀色の力。
怨霊の身体から突然幾本も棘のようなものが放たれた。しかし手の内の光球に流れ込む力の奔流に、為す術なく呑み込まれていく。
ふたつ目の結界は慌てて張ったこともあるのだろうが、この身体と怨霊とをぎりぎり範囲に収めるだけの大きさしかない。半球形なので中央に少し高さはあるものの、とても飛ぶほどの余裕はなかった。
生まれついての翼持ちであるジャックとは違い、自分が飛べるようになったのはこの身体を借りられるようになってから。慣れていないせいもあるだろうが。
(ま、必要ねぇわな)
距離を取る必要などない。
叩き潰せばいいだけだ。
先程までの脳を揺さぶるような高音から、リィィィンと澄んだ鈴のような音に変わった。掌の上の光球は変わらぬ大きさではあったが、確実に密度と光量を増していく。銀の光の中、時折ゆらりと青い糸が見えた。
どうやら自分は思っていたより怒っているらしい。
どこまでも冷静に、混ざる己自身の力を見る。ジャックには少々負担をかけてしまうが、立てぬ程ではないだろう。
凪いだ水面のように。僅かな動きも感じ取れるように。
どんな時でも半分は切り離された己であれ。遥か高みからただ見据える目であれと。そう言われ続けてきた。
誰にだったのか。自分に記憶はないのだが。
それでも己が積み上げたのだろう経験は、確実に今の自分の力となっていた。
きゅっと光球を握り込み、払うように怨霊に向け放つ。
ふよりと宙に浮く球に、危険を察したのか、瞬時に怨霊がその触手すべてを向けた。包み込み握り潰すよう取り囲んだその隙間から、一筋、二筋と銀の光が零れる。
刹那、結界内が銀の光に埋め尽くされた。
光の収まった結界の中、立っているのは銀の翼の少年ひとりだった。
跡形もなく消え去った怨霊。それがいた場所を暫し見つめてから踵を返す。
二重の結界の狭間でこちらを見つめるティノンを睨みつけてから、ジェイクはぺたりと結界に手をつけた。直後、砂が崩れるように結界が消えていく。
「ありがとう」
礼を言うティノンを再度睨めつけ、わざとらしく溜息をついてから、ジェイクは何も言わずにその横を通り過ぎた。
―――…ジェイク―――
窘めるようなジャックの声に応えずに、外側の結界にも手を当てる。同じくさらりと崩れていく結界を見上げてから、ティノンがジェイクへと視線を移した。
―――ジェイク!―――
「腹立ってんだよ」
二度目のジャックの声に、ぼそりとジェイクが返す。それからもう一度息をつき、ティノンを振り返った。
「お前だよ、ティノン」
感情の見えないその顔を、まっすぐに見据える。
「いくら囮になるっつっても。もっとマシなやり方があるだろうが」
「あなたたちなら大丈夫でしょう?」
睨まれても全く動じずに、淡々と返すティノン。変わらぬ態度にジェイクも厳しい表情のまま鼻で笑う。
「信頼してくれてんのはありがたいけど。それならきっちり話を通せって」
精霊と自分たちの常識はもしかしたら違うのかもしれないが。それでもこうしてともに立つことがあるのなら、どうしても言っておきたかった。
「自分勝手に命を賭けんのは、結局俺らンこと信用してねぇってことだろうが」
苦々しげに呟かれる声に、透き通る水色の瞳が不思議そうに瞬いた。
「信用はしてる」
「だったら。二度とあんなマネすんじゃねぇぞ」
「わかったわ」
本当にわかっているのか、淡々と返すティノン。
これ以上言っても無駄だということは今までの経験上理解している。
何事にも執着のなさそうなこの精霊は、己の命にさえ無頓着で。
だからこそ、腹が立つのだというのに。
―――…素直じゃないよね―――
(うるせぇ)
言葉の真意を知るジャックの少し笑うような声に、ふてくされて返した。
突然ティノンが動き出した。
「おい?」
「ついてきてもいいわ」
動きに合わせて緩やかに広がる裾を翻し、足を動かす様子もなくまっすぐ洞窟へと進んでいく。すべるように滑らかなその動きは歩くよりも早く、ジェイクは小走りで追いかけた。
薄暗い洞窟内に入るとほんのりとティノンが光っているのがわかる。直前まで怨霊がいたというのに確実に外よりも澄み渡る空気は、ここが本来人の入る領域ではないことを如実に語るようだった。
足元を見るには光量が足りないので灯り代わりに左手に力を集わせたジェイクは、ふと違和感に足を止める。
「なんだ…?」
単に灯りとして集めただけの力が凄まじい勢いで解けていくのを反射的に力を注ぎ込み防ぐ。銀光に浮かぶ岩肌が、その荒々しい表面とは似つかぬ柔らかな光を蓄えだした。
吸われるように引き出される力の量が増していく。自分を起点に銀光が壁を伝い広がっていくのをぼんやり眺めていると。
振り返ったティノンがその左腕に手を触れた。
「…やめて。これ以上は影響が強すぎる」
静かな、しかし強い声。
ジェイクの掌の光球が、するりと解け、消えた。
岩壁は淡く光を湛えたまま。仄明るくなった洞窟をティノンについて歩く。
さほど深くはない最奥でティノンは足を止めた。行き止まりの壁面の前、地中から迫り出すように胸の高さほどの尖った岩がひとつあった。
その前で、ティノンが少しだけ腕を広げて瞳を閉じる。
洞窟を占める清冽なものが大きく揺らいでティノンの周りへと集い出す。壁を染めていた銀光も惹かれるように場を離れ、見えぬ風に色を乗せた。その瞳と同じ、透けるように輝く淡い水色のオーラに銀の風が混ざり、鮮やかな青銀の光が緩やかにティノンの周りを揺蕩った後、細くたなびくように目の前の岩へと伸びて絡みつく。
岩すべてを覆い尽くしたところでふつりと途切れた光の帯は、次の瞬間輝きを増し、その場に青銀の光の柱を立ち上げた。
思わず腕で目をかばいながら、それでも逸らせずにジェイクが見つめるその先で。
光は次第に細くなり、消えた。
無言のままティノンが岩へと近付く。
尖ったその頂点、青銀の光をそのまま固めたような一輪の花が揺れていた。
葉はなく、花も萼も茎も同じ青い硝子のように透けている。ティノンが触れると花が望んだかのように、なんの抵抗もなくその手に収まった。
(……精霊花……)
―――精霊花?―――
聞き慣れぬ言葉を繰り返すジャックには応えず、そういうことかとジェイクは独りごちる。
精霊にしか創り出せない幻の花。
翌朝には跡形もなく消え失せているというそれは、精霊の祝福の証。
「だから今日かよ」
ぼやくジェイクの声に、ティノンは応えなかった。
透き通る青い花を手にしたティノン、続いてジェイクが洞窟を出た。
「戻りましょう」
そう言って進むティノンについていきながら、ジェイクがそうそう、とジャックに話しかける。
(戻ってから代わるから)
わかった、と普通に返すジャックに、暫しためらってから。
(たいしたことねぇとは思うけど…)
続けられた声音はどこか歯切れ悪く。らしからぬその様子に、ジャックはまさかと呟き返す。
―――ジェイク、それって…―――
(悪ぃ。気付いたら混ざってて)
うわずるジャックの声に、さすがにジェイクの応えも申し訳なさそうな響きを含んだ。
術師の力はオーラを基にする。
銀のオーラのジャックの身体に青いオーラのジェイクが同居する今の状態。実力に差があることもあり、ジェイク自身の力を使うとジャックの身体に多大な負担がかかってしまうのだ。
―――勘弁してよ…―――
(ほんっとごめん。動ける程度だとは思うから)
―――痛いもんは痛いんだよっ―――
ぼやくしかないジャックに謝りながら。
それでもこうして話せることが嬉しかった。
ジャックが術師の世界に身を置く決意をしてくれたからこそ、自分はこうして存在できる。
その感謝と。そして何より、自分がともにいるのがジャックであるという喜びを胸に。
もちろん、言うつもりはないけれど。
(悪かったって)
―――本気で言ってる??―――
(当たり前だろ?)
笑って言うな、とふてくされる声に更に笑い。
ジェイクは前を向き、足を早めた。
その夜。
痛む身体に力を使える状態を保てず、白い翼に本来の色である亜麻色の髪と翡翠の瞳の姿のジャックと。
悪かったと軽く笑いながら、あとで食うよと告げたジェイクと。
誤魔化すどころかふたりにきっちり白状させられたラシーヌと。
誰よりも上手の、嬉しそうなダスティーとエリファーナ。
五人分の食事の並べられたテーブルの真ん中に。
ほのかな光を振りまきながら、透き通る青い花が揺れていた。
今回は【翼】です。
特に天使が好きというわけではなく。強いて言うなら翼そのもの、でしょうか。
キャラクターとしての有翼種も好きです。羽根がわさわさしてる感じ。モフりたいけど多分そんなに柔らかくないんだろうな…。
有翼種は翼を動かすための筋肉がいるので普通の体型ではありえない、と考える方もおられるようですが。創作の世界なので細かいことは抜きにして。寝る時邪魔そう、とは思いますけど。…うつ伏せ?
飛ぶ、ということに憧れもあるのかもしれません。
夢でもいいから飛んでみたいなぁとか。思ったものです。
覚えている限りでは一度だけ飛んでる夢を見ましたが、せっかくなのに結構低空飛行でした…。
鳥も好きです。これはまた後日。




