八話 白兎隊
カーネル海にある広大な海底洞窟は、海域内の多数の島々から、内部に進入できる。しかし、光の届かない洞窟内でも不自由なく行動できるのは、幻獣など一部の存在に限られた。
ラウインが率いてきた幻獣達は、各入口と内部に異常が無いかを確認した後、一つの空間に集まっていた。そこは、自然にできた場所にしては精巧な造りで、人が造った場所にしては荒削りな空間だ。
岩壁が擂り鉢状に形成され、円形の床の周囲には海水が流れ込んでいる。闘技場か会議場のように見えるが、どちらにしても、かなりの広さだ。ウィーグルが、真と勝志を乗せて通過した通路は、この空間の外周にあった。
やがて、ラウインが現れる。仲間に視線で合図を送り、彼だけが更に空間の中央へ向かう。何処かで流れている滝の音だけが、この空間に響いている。
ラウインが中央に立つと、彼らが持つ、特殊な力を強める。
その力は、無機質な空間と一体となった。壁や天井の岩が青く発光し、水面が緑の光を放つ。更に床には、中央のラウインから、赤い光で六枚の翼が伸びたような不思議な模様が描かれた。同時に、空間に響いていた滝の音が消え去る。
この不思議な現象に驚いている幻獣は誰もいない。幻獣の力は、この世の真に触れる事ができた。
「我はラウイン・レグルス! 輿地に存在する全ての幻獣よ、我の声を聞け!」
光の中心にいるラウインが語り掛ける。
その声は空間内に響き渡り、洞窟全体、さらに外の海から彼方の大地まで、聴き取る事が出来る者達に届く。
「我はこれより人類に対し、新たな戦争を開始する! 共に戦おうと願う者は中央へ集え!!」
ラウインと共にやって来た幻獣達が、歓喜の雄叫びを上げた。
果たして彼らのように立ち上がる幻獣がどれだけいるのか? ラウインは考えた。身を隠している幻獣。ヒトの監視下にある幻獣。ヒトを脅威としない幻獣。軍隊を持つ幻獣。生まれて間もない幻獣……。ウィーグルのように従わない者も出るだろう。
それでも彼は、戦争を起こす意義はあると考える。どのような形になっても、自分はそれを見届けるつもりだ。
この世の全ての幻獣を見据え、ラウイン・レグルスは答えを求める。
賽は投げられた。
「死祖幻獣軍の名の下に―」
――――――――――――――――――――――
真と勝志は、ずぶ濡れでヘトヘトのまま、打ち上げられた砂浜から、アキナ島の街へ続く、熱帯雨林の森を歩いていた。
森の途中でバキッと音がし、杖代わりにしていた枝が折れ、勝志が転倒する。真は助け起こす余裕がなく、勝志が自力で起き上がるのを待った。
「は、腹が減って歩けねぇ……」
日は完全に昇り、何時も朝食取っている時間は、とっくに過ぎていた。
「頑張れ……。リズ姉の所まで歩け……!」
真が勝志にハッパを掛ける。
リズ姉とは、真と勝志より二つ年上の、サンゴの家出身の女性だった。彼女は中学卒業後、アキナ島にあるバーで働いている。
真は、疲弊してはいたものの、直ぐにアマリ島方向へ取って返し、ウィーグルを探すつもりでいた。その為には、この島にいる例の引退漁師から、再び船を借りる必要がある。
しかし、アキナ島はアマリ島の何倍もの広さがある。簡単には辿り着けない上に、今の身なりで街を歩いたら、警察を呼ばれる可能性もあった。一方、リズ姉の住むアパートは、ここからそう遠くない。体制を立て直す意味でも、二人は一旦そこを目指した。
サンゴの家出身の先輩は他にもいたが、リズ姉は面倒見が良い事に加え、連絡船を飛び出し、勝手な事をしている自分達の秘密を、守ってくれる可能性が高いと真は踏んだ。何故なら以前、彼女の職場を訪ねた時、真と勝志は、そこがオトナのお店だと認識した。しかし、その事を、サンゴの家の人達には秘密にしてあげていた。
勝志がどうにか歩き出したが、今度は自分の腕の傷が痛み、真は苦悶した。傷は、上着を巻き付けて止血していたが、このまま放って置くのは良くないだろう。
「くそっ、あの幻獣め……!」
真が憎々しげに言った。
傷の事を恨んでいるのではない。同じ幻獣でありながらウィーグルを平気で排除した、あのラウインと言う幻獣が許せなかった。
真は、いくらリズ姉でも、こんな怪我を見たら、病院へ連れて行こうとするかもないと思い始めた。
――なら、直接ギンジのじいさんの家に……!
最悪、近場の船を盗む事も考える。
真は、自分が完全に無鉄砲になっている事を頭では分かっていたが、幻獣への言い知れない怒りが、自分を突き動かしていた。
その時だった―
「わっ!? どいて、どいてー!」
―突然、少女の声が、上の方から聞こえた。
真と勝志が見上げると、側面の崖から一人の少女が駆け下りて来る。ピンク色のふわりとした髪の可愛らしい少女だったが、殆ど目に入れる間もなく勝志と衝突した。
「いたた……っ」
少女は勝志を下敷きにした為、無事なようだ。
真は声を出さない勝志が、気絶したのかと思ったが、少女の胸に顔を押し潰されていた所為だった。
「ご、ごめんなさいっ……大丈夫?」
「ああ……おれ、石頭だから平気、平気……!」
慌てて体を起こし謝る少女に、勝志は放心状態のまま無事を伝えた。
少女はミニスカートだった為、四つん這いの姿勢になると、真の位置からパンツが丸見えだった。此方も髪と同じ、流行りのピンク色だ。
「本当にごめんなさい。朝なら誰もいないと思って……」
勝志と一緒に立ち上がった後、少女は首から下げたペンダントらしき物を服の胸元に戻し、乱れた服を整えた。
上から下りてきた所為か、言動も何だかふわふわしている娘だと、真は感じた。顔立ちは幼く、服装も子供っぽいワンピースだ。反面、体つきは大人びており、その所為かミニスカートの丈が足りないように見えた。
一方、少女は少女で二人の身なりを見て「二人ともどうしたの?」と心配した。
「ちょっと、船がひっくり返って……。心配ないよ」
真は嘘を吐き、後ろ手にして腕の怪我を隠した。
「そう……何か困っていたら、グレイス邸に行くといいよ! そこの直ぐ上だから」
少女はそう言って、自分が下りて来た崖の上を指差した。
改めて見ると、可憐な少女が下りるには、やや急斜面に見えた。真は、以外と運動神経がいいのだろう思った。
「それじゃ、ばいばい!」
「じゃあなー!」
笑顔でさよならを言う少女に、勝志も笑顔で答えた。
少女は、短いスカートを危なっかしくはためかせながら、ふわふわ森の奥へと去って行った。
真はその後ろ姿を見ながら、自分を突き動かしていた怒りの感情が、和らいでいる事に気付いた。少女に、毒気を抜かれたような気分だった。
「Cカップくらいかな」
まだ顔に残っている感触を確かめながら、勝志が言った。
冷静になった真は、勝志に笑い掛けながら言う。諦めの笑いだ。
「助けをもらおう」
――――――――――――――――――――――
真と勝志は、崖の上の建物へやって来た。ここは、遥か北西にある国の政治家の屋敷で、グレイス邸と呼ばれている。広い敷地と大きな建物は、さながらホテルのようであった。
建物は、非常事態の為、貸し出されているのであろう、軍服や警備服を着た人、政治家、あるいは記者と思われるスーツ姿の人々が、慌ただしく出入りしていた。
二人は、使用人に小さな部屋へ通された。もごもご事情を説明すると、然るべき所へ連絡を取るので待つように言われ、その間、真は怪我の治療を受け、勝志は食べ物を貰った。
邸内は、かなりバタバタしているようだった。幻獣の侵攻に関しての情報交換が、盛んに行われている。しかし、真が漏れ聞いた範囲では、幻獣の数がマチマチな事に加え、主犯はウィーグル・アルタイルだとか、カーネル諸島に侵攻してくるのは明日以降だとか、かなり間違った情報が流れているようだ。
用意された食事を食べ切って、勝志がおかわりを頼もうかと言い始めた頃、ようやく責任者が来るからと伝えられたが、そこからもかなりの時間を待たされた。
真は責任者とは誰だろうかと考えた。院長か職員、或いは警察か、アマリ島の島民避難を担当した軍人かもしれない。そんな推測していると、ドアが開き、答えとなる人物が現れた。
責任者は、奇妙な格好をした男だ。道着の上に羽織りを着ている……。
「あんたは……!」
三日前の夜、軍人を従えてウィーグルの前に現れたあの男だった。
「お前達が真と勝志だな。……勝手な事をしてくれる」
アマリ島で見た時と同じく、男は非友好的な険しい表情のまま、いきなり言った。
真は、男が幻獣と戦う専門家のような人物であると、ウィーグルが話した事を思い出す。相手の態度の所為もあったが、真は男に文句を言った。
「どうして軍は、アマリ島を守らなかったんですか?」
「幻獣の狙いはアマリ島だけではない。島民が残るこの島を防衛するのが最優先だ」
男が表情を崩さずに言う。
真は時間が経った事で、和らいでいた怒りの感情が、再び沸いていた。
「僕は軍に入隊したいと思います。幻獣から故郷を取り戻したい!」
「国際連合加盟国の軍隊は、中学校を卒業した成人でなければ入隊不可能だ」
男が言うが、真はどうにかして引き返す手段を模索していた。
「……島を乗っ取った幻獣の詳細を知っている。今は正しい情報が欲しい筈だ」
「カーネル諸島に侵攻した幻獣の主犯格は、ラウイン・レグルス。以下、十七体の幻獣を確認している。……無論、この数には情報提供者、ウィーグル・アルタイルは入れていない」
男は、真がアマリ島で見た幻獣軍の詳細を、既に把握していた。事前にウィーグルから警告を受けていたのだから当然だ。
よって真が渡せる情報は、一つだけだった。
「……ウィーグルは死にました……」
「そうか。……軍に入隊したいのは故郷の為ではあるまい。アルタイルの事は残念だ。お前達とどうゆう関係だったかは知らないが、アレはとても取引上手だった」
こちらの狙いを見透かした男が、当て擦りのように言った。
真は口を噤んだ。今は、何も出来ない事を認めるしかない。
「さて、お前達の処遇だが……困った事に、とっくにアマリの避難船はアキナ島から離れた。この島も住民の退去が決まっており留まれず、お前達のような不良を軍は預かってはくれまい……」
男は言っている事に反し、余り困ってはいない様子だった。
そして、意外な事を話し始めた。
「幻獣と戦う意志があるのなら、お前達を雇う所が無い訳ではない」
真と勝志が驚いた顔で男を見た。
「無論、入隊試験に受かり次第だか……」
真は、半ば答えが分かった上で聞く。
「……それはどこですか?」
「俺が所属する対幻獣戦闘組織だ……」
男が羽織りに手を掛けた。よく見ると、胸の辺りに兎の姿を模った紋章が描かれている。
「名を白兎隊と言う―」