七話 ウィーグル・アルタイル㊁
「っ……ウィーグル!!」
真は勝志を叩き起こし、急いで海岸近くの、高い木に駆け登った。上着のポケットから双眼鏡を取り出すと、ウィーグルが飛んで行った方向を覗く。薄明かりの海の上に、翼を広げた姿が辛うじて見えた。
「あれは何だ!?」
真に続き、木に登った勝志が言った。ウィーグルが向かう先の海上に、複数の影が見えたからだ。
真は、それらに双眼鏡を向けたが、姿を捉える前に、影の一団はバラバラな方角へ飛び去ってしまった。
「幻獣なのか? あんなにいっぱい……!」
離散する幻獣の影を目で追いながら、勝志が驚いた。しかし、真は、一体がウィーグルの方へ向かっていた為、そちらを注視した。
近付くにつれ、鬣持つ大型の幻獣の姿がハッキリと見えてくる。翼を持っていないにも関わらず、海の上を滑るように飛ぶ姿に、真は我が目を疑った。
「ラウイン……!」
ウィーグルが、自分に向かってくる幻獣を見定め、空中に静止する。同時にラウインは、近くの岩礁に着地した。
両者の間を、荒波が隔てた。
「引け! 無益な争いを起こすな!」
「無益にはならぬ、ウィーグル。我らの価値、存在意義は、戦いの中でこそ見出される!」
「食う為でもなく自衛の為でもない戦いに、どんな価値が、意義がある? 死んだ同胞達の為か!? それともヒトへの復讐か!?」
ウィーグルが語気を強めるが、ラウインは静かに返した。
「それを望む者にはその機会を与える。俺はこれより中央に入り、輿地にいる全ての幻獣に、再び決起を呼び掛ける……!」
ラウインが宣言する。
「死祖幻獣軍は蘇る!」
「……お前が死祖幻獣軍を……!?」
ウィーグルは驚愕した。
「何故だ? お前はヒトとの戦争に何を求める!?」
ラウインは答えない。只、並々ならぬ覚悟がその姿から感じられた。
「我々が戦の灯火を付ける。どこまで広がるかは立ち上がる者しだいだ。……貴様が組みしないのは勝手だが、邪魔立ては許さん!」
「……どうあっても戦争を始める気か……!」
「戦わなければ望みは叶わぬ。貴様も分かっている筈だ!」
「くっ……」
ウィーグルとラウインの周囲の空気が、一気に張り詰めた。
そこへ、キーキー甲高い不快な声が割って入った。
「ウィーグル・アルタイル! 所詮、オマエはニンゲン贔屓なのだ!」
「!」
無人島の方角からグリムが、ウィーグルに噛み付かんとする勢いで飛んできた。ウィーグルは避けるように高度を上げる。
「グリム……!」
「オマエが争いを望まないのは、オマエがニンゲンに興味があるからだ!」
「……!」
グリムの言葉にウィーグルは口を噤む。
グリムが視線を変えた。
「憎むべき敵を庇うお前は、ニンゲンと共に消え失せろ!」
突然、グリムが飛び去って行く。アマリ島の方角だ。
「待て! ……グリム!」
相手の狙いを察したウィーグルが、急いで後を追う。
道を違えた仲間の後ろ姿を、ラウインが見送った。
真はウィーグルと相手の幻獣の様子を、固唾を呑みながら伺っていた。
途中、一昨日の夜、ウィーグルの前に現れたイタチ幻獣、グリムが割り込んで来たのだが、彼が突然動き出したので、そちらに双眼鏡を向けた。
グリムは猛スピードで海上を滑空しながら、真っ直ぐこちらを目指していた。
「まずい! バレてる!」
真と勝志は木の葉に隠れる位置にいたが、迷いのない相手の動きがそう確信させた。
慌ててツルを伝って地面に降り、木々の密集した場所へ駆け込む。その僅かな時間で幻獣は、二人から数十メートルの距離に迫っていた。
「逃げ遅れたニンゲンが……!」
グリムが前腕に生えている鋭い鎌を一閃した。
真は咄嗟に勝志を掴んで地面に伏せる。体の上を高速で鎌鼬が飛んでいき、射線上の木々が切断される。
「……っこの……!」
真は素早く身を起こし、上着から、先端に石が括ってある長いロープを取り出す。それをクルッと回して、今し方、根本を斬られ倒れ掛けた木の幹に引っ掛けた。その木は、丁度、グリムの対角線上にあった。
「勝志!」
それを怪力の勝志と共に引っ張る。
木は倒れる向きを誘導され、グリムの方へと倒れていく。運の良い事に、近くの木にも枝が引っ掛かり纏めて傾いだ。
「!?」
真と勝志は左右に飛び退いて、木の下敷きを免れる。凄まじい轟音が鳴り、土埃が上がった。幾ら強靭な肉体を持つ幻獣でも、大木に潰されては一溜りもないだろう。
しかし、直ぐ真は、自分の考えが甘い事を知る。
グリムが、倒れた木々を前足で持ち上げ、まるで重量を感じていないかのように、軽々振り払った。
「なっ……嘘だろ……!?」
勝志も驚愕する。
「幽玄者ですらないヤツらが……!」
唖然としている二人にグリムが迫った。
その時、棚引く竜巻が襲い掛かり、グリムが飛び退く。ウィーグルが飛来し、再び浮遊したグリムの前に対峙した。
「……ギギ」
両者は睨み合い、やがてグリムが、両腕の鎌をそれぞれ一閃させ先制攻撃を仕掛けた。
ウィーグルがそれを空中で左右にローリングして躱し、嘴から旋風を放って反撃する。
グリムもその攻撃を避けるが、間髪入れずウィーグルが接近して来た。虚をつかれて鎌を振るグリムに対し、ウィーグルは眼前で急上昇し、更に翻弄する。
重力が無いかのように自在な飛行を見せるウィーグルを前に、グリムの動きが止まった。
ウィーグルは直上で旋回し、今度は急降下する。二体の幻獣が擦れ違い様に、それぞれの武器を振るった。
「!」
刹那の差で勝負は決まった。
空を切ったグリムの鎌に対し、ウィーグルの鉤爪は、グリムの大木よりも硬い身体を斬り裂いていた。
「……かッ!」
鮮血が舞うと、グリムの体は突然、支えを失ったかのように海へと落下した。
「ウィーグル!!」
真と勝志が歓声を上げ、舞い戻るウィーグルに駆け寄った。
しかし、ウィーグルは背後から強烈なプレッシャーを感じ、切迫した声で叫ぶ。
「乗れ!」
二人が急いで背に乗り込むや否、ウィーグルが飛び立つ。
二人を乗せたウィーグルは加速し、一旦海上へ出て、島へ反転し岩礁地帯の海面に飛び込んだ。
「うわっ!?」
突然、海中へ入り、真と勝志は慌てて背にしがみ付いた。しかし、飛んでいる時に空気抵抗を感じないのと同じように、海中でも水の抵抗を殆ど受けず、二人がウィーグルから離れる事はなかった。
不可思議な現象を思索する間もなく、ウィーグルが浮上する。そこは岩礁の裂け目から侵入できる、海底洞窟だった。
「アマリにこんな所が……?」
真は驚いた。幼少の頃から島の隅々まで探検して、洞窟の類は全て把握しているつもりだったからだ。
奥へ進むと更に広い場所へ出て、幻獣が十分に通れる程になった。途中、横穴を幾つも通り過ぎたが、僅かなカーブを描きながら、洞窟は何処までも続いている。真は距離的にアマリ島を出て、海の底を進んでいると推測した。
暫くして、ウィーグルが洞窟の天井に空いた縦穴へ上昇し、外へ出た。一瞬、水の中を通ったが、それは海水ではなく滝の裏手に出口があった為だった。
真は、ここがカーネル諸島の無人島の一つで、アキナ島に一番近い島だと分かった。ウィーグルは、他の幻獣達の目を誤魔化して移動する為、海底洞窟を使ったに違いない。
しかし、このルートを使っても、ウィーグルはプレッシャーから逃れていない事に気付く。彼方の海にいた筈のラウインが、弾丸のような速度で此方へ向かっていた。
「ウィーグルよ。力が無ければ望みは叶わぬぞ!」
無人島の海岸で遂にラウインがウィーグルに追い付き、その勢いのまま前足を地面に叩き付けた。
岩盤が砕け、稲妻のように亀裂が走る。
ウィーグルは、ひび割れる地面から逃れるように海に出たが、見えない衝撃が真の左腕を捉えた。まるで、空中にも亀裂が走っていたかのようだった。
「ぐっ……!」
真が左腕を見ると、砕かれた岩盤のひびと同じような形で皮膚が裂けている。
――何だ、これは……!?
痛みに苦悶している暇は無かった。二人を乗せたまま、ウィーグルはアキナ島へ向かって加速するが、瞬く間に背後にラウインが迫る。
「真、勝志……」
ウィーグルが二人に言った。
「私が見送れるのはここまでだ」
真は一瞬、ウィーグルの特徴的な目の奥に、穏やかな眼を見た気がした。
次の瞬間、真は勝志と共に海へと投げ出された。ラウインを振り切れないと悟ったウィーグルは、応戦する為、最初にグリムを退けた時のように反転したのだ。
真は慌てて海面から顔を出した。しかし、彼が見た光景は、以前とは違っていた。
ウィーグルが必殺の旋風を繰り出す間もなく、ラウインの岩盤をも砕く一撃が、ウィーグルの身体を捉えていた。
凄まじい衝撃音と衝撃波が二体の間から放たれ、海面がへこみ吹き飛んだ。
衝撃で起こった波に呑まれるまで、真は幻覚を見ていると思った。
――――――――――――――――――――――
何もない海の上で、一体の幻獣が、宙に足場があるかのように浮いている。
幻獣は、足下の海面を見ていた。
そこには、大型の鳥類のものに見える、羽根が漂っている。羽根は血に塗れ、まるで持ち主が砕け散ったかのような有様だった。
ラウインは、もはや姿のない同胞に問う。
「愚かなウィーグル。貴様こそヒトに何を求めていた……?」
ウィーグルが乗せていたニンゲンの姿は、既に見えない。共に海へ沈んだか、流されたか、どちらにせよ彼は興味がなかった。
見切りを付けるようにラウインは中央へと向かう。
灯火を大火へと変える為に。
――――――――――――――――――――――
波打ち際に二人の少年が倒れている。
波に何度も打たれるその姿は、砂浜にある流木や海藻、貝殻、あるいはゴミなどと同じ、漂流物のような有り様だった。
真と勝志は、ウィーグルから投げ出された沖から、アキナ島の岸まで、どうにか泳ぎ切った。波に呑まれた上に、かなりの距離があったが、得意の波を読む力で、半分、潮の流れに乗って辿り着いた。
真は勝志が無事な事を確認すると、自分達が流されて来た海を見た。昨日、連絡船から抜け出した時に比べると、かなり荒れている。
彼方にアマリ島の姿がうっすら見え、一番近い無人島も見える。しかし、それ以外に目に入るものは何もない。
荒れる海には船の一隻もなく、空に鳥の一羽も飛んでいない。
勝志が起き上がり、同じように海を見つめた。
彼らの中に絶望が渦巻く。
「ウィーグル……っ」
真は姿の見えない幻獣の名を呼んだ。
孤児として疎外感を持っていた真にとって、共感でき、好奇心を満たし、そして、夢を叶える希望の存在だった。
心の痛みの大きさが、少年に失ったものの大切さを痛感させた。