四十七話 誇りと情熱㊀
封印を解き、毒霧から姿を現した幻獣ヒュドラーは、藍色の皮膚をした、八つの首を持つ大蛇だ。
しかし、ガイと十兵衛は、直ぐに敵の異変に気付いた。
「どうなってんだ、こりゃ……!?」
「腐っている……!」
ヒュドラーは、長い封印の所為か肉体が腐敗していた。皮膚は粘液のように垂れ下がり、ドロッとした軟体生物のようだ。
その強烈な腐臭を放つ溶けた体が腐り落ちると、酸のように地面を溶かし、ポッカリ穴を空けた。
「流石の六幻卿も十年の封印は堪えたようだな! つーか、良くこれで生きているモンだぜ!」
「油断するな……身体は再生し続けている。つまり、魂は健在という事だ……!」
ガイの言う通り、通常この状態で生きているのは有り得ない。ヒュドラーの肉体は長い封印で確かに滅んだ。しかし、ドロドロの体は幾ら崩壊しても内から溢れてくる。十兵衛の見立て通り、魂そのものは破壊されていない証だった。
幽世に生きるものにとって、魂さえ健在で在れば肉体の蘇生は可能である。腐り切った身体でも、時を掛ければ、やがて再生する。
ヒュドラーが、ゆっくりと這いずり始める。ガイと十兵衛は、腐臭を感じる事はないが、毒霧はヒュドラーの全身から放たれ続け、滴る体液は大地を汚染し死の空間を広げて行く。
「十兵衛。首は八つ、偶数だ。仲良く半分ずついこーぜ!」
「ああ。文句はない……!」
ガイと十兵衛は、それぞれの刀、炎龍刀と太刀魚を手に、サノヲが託した仕事に取り掛かった。
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「……!」
千里山に引こうとするアスラ軍を追っていたフォンは、山脈の外れから大きな気配を森羅で感じ取り、立ち止まった。方角からして、間違いなくヒュドラー復活の気配である。
「……ガイ……」
フォンは、戦っている男の事を考えた。真と勝志を心配した時とは、また違う感情が働く。
「何よォ? そのまま突っ込んで来ればいいのに!」
その時、高い木の陰から声がした。巨蜘蛛幻獣アラクネーだ。フォンが前方に視線を戻すと、木々の間に無数の蜘蛛の糸が張り巡らされていた。
「そんなあからさまな罠に、のこのこ入って行く訳ないでしょ!」
フォンが、揶揄うように言った。どうやら、要らん感情に助けられたようだ。
「ふ〜ん。……って、アンタこの間の? なんで生きてんのよォ……毒入れたでしょ!」
アラクネーが、一度、戦ったフォンを思い出して驚いている。対するフォンは、またまた強がった。
「毒? ああ、あれねー。あんなの全っ然、効かないわよ! あんた、あれで人を殺せると思ってるの? 弱過ぎて、ちょっと気持ちイイくらいだったわ!」
「ウソ……」
アラクネーは、流石に強がりに気付いたが、殺し損ねたのは事実だった。挑発には乗らず切り替える。
「分かったわよ……。でも、今度は殺してやるわ。アタシはヴリトラ様の一番忠実な僕ですもの。手柄も一番じゃなきゃ!」
アラクネーが木から飛び降り、フォンの前に立ちはだかる。
フォンは、また揶揄うように笑った。しかし、今度は強がりからではない。
「忠実な僕ね……。言う事を素直に聞くなんて、ばかばかしいわ……」
「はぁ……?」
「だって、抗わないと―」
フォンは、鉄扇、孔雀を広げて戦闘態勢に入る。
そして少し頬を染め、不貞腐れたように言った。
「追い掛けて貰えないでしょ?」
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ヒュドラーは、鎌首を擡げると首が二十メートル程の高さになり、それらを束ねる胴と尾を合わせれば、全長は五十メートルを優に超えた。
ガイと十兵衛は、その巨体との間合いを測りつつ、酸のような滴る体液を避けながらヒュドラーを左右から挟む。
「気付いたか十兵衛?」
「ああ。……頭もやられているようだな」
復活したヒュドラーは、頭部も腐り脳すら溶けているようだった。ヒトの気配を感じる万里の方角へと向かいながらも、節穴になった目は視点が定まっていないように見える。
恐らく、森羅で周囲の状況を把握しつつも、殆ど、本能だけで行動しているのだろう。
「知恵の蛇将も形無しだな! この勝負貰ったぜ!!」
ガイと十兵衛は、取り決めを守りつつも、競うように神足でヒュドラーに飛び掛かった。
ヒュドラーは、二人の存在を直ぐに感知し、それぞれに首を向け、身体の中でも、唯一、腐敗しない毒牙を剥いた。そして、人間を簡単に丸呑み出来る程の大きな口を開け、噛み付こうとする。
しかしガイと十兵衛は、鋭い動きでその攻撃を掻い潜った。二人がそれぞれの刀を振ると、ヒュドラーの首が一刀両断される。
二つの首が、体液を撒き散らしながら宙を舞い、地面に落ちて、グロテスクに潰れた。




