六話 ウィーグル・アルタイル㊀
ウィーグルによって齎された「新たな戦争を起こそうと企む幻獣達が、カーネル諸島を襲撃する」という情報は、アマリ島全住民に伝えられた。
翌朝、軍の指示に従い、島民全ての避難が開始された。皆、慌てて荷物を纏め、自分達の漁船や用意された連絡船に乗り込む。
サンゴの家の子供達も例外ではない。
「荷物は僕と勝志が持った。年上の子は年下の子とペアになるんだ」
「二列で港に行くぞー! 真が先頭でおれが一番後ろだ」
孤児達の中で最年長の真と勝志が、責任を持って子供達を引率し、連絡船へ向かう。荷物を引き受け、点呼を取り、泣く子を黙らせ、仲良しの弟分ビットと妹分リルを引き離し、年少の子と手を繋がせた。
その姿を見て、二人を知る者達は、十五になり、大人としての自覚に目覚めた問題児の成長を感じていた。
「じゃ、院長。おれら先に乗るぜ!」
「ええ、みんなをお願いね」
子供達の荷物が纏めて入った、巨大なリュックを軽々、担ぎ、勝志が院長に言った。院長は、連絡船の入り口で乗船者の確認を行う軍に、名簿を提出していた。
真は船に乗ると、直ぐに問題児に戻った。脱走の為に船の間取りや乗組員の位置を、事前に確認する。
真は、これから大事が起ころうとしているこの島に、留まらないのは有り得ないと考えていた。そして、何よりウィーグルを残して去る事など、到底出来ない。
その為の準備は万全であり、率先して避難の手伝いをする事で、家庭を持つ職員が家族と行動できるゆとりを作ってあげ、監視の目を緩くした。
更に、自分達がいなくなった後の事を考え、孤児達とも交流があるカレンに、面倒を見るのを手伝ってほしいと頼んでおいた。
「もぉ! こんなに沢山の荷物一緒にしちゃ、誰のか分からなくなっちゃうじゃん」
カレンは、快く引き受けてくれたが、勝志の持ってきた巨大リュックに不平を言った。
「僕らは服が誰の物とか、別に決まってないから」
「そんなはずないでしょ?」
真が適当な言い訳をする。孤児といっても見窄らしい服を着ているのは、直ぐにボロボロにしてしまう、真と勝志くらいである。
一方、カレンは普段とは違う、他所行きの可愛らしい服を着ていた。
「お前、そんな服持ってるんだな」
何時もランニングシャツ姿が多いので、勝志が珍しがる。
「透けなくて残念でしょーね!」
まだ根に持っているらしいカレンは、口を尖らせた。
「カレンだー」
「カレンお姉ちゃん一緒なの?」
小さな子達が、カレンに気付いて「遊んでー!」とせがみ始めた。非常時でも子供は元気いっぱいだ。
真は」ひょっとしたら勝志は船に残りたいのでは?」と思っていたが、本心を尋ねると―
「おれだって心配なんだぜ!」
―と勝志は答えた。
真は、ウィーグルを想う気持ちは、自分も勝志も同じだと感じた。
二人が様子を伺っていると、いたずら好きの男の子が、カレンの後ろに回り込み、ミニスカートをめくった。何時か見た、ブラジャーと同じ色のピンクのパンツが見える。
男の子を叱るカレンは、すっかり子供の面倒に気を取られている。
避難者が全員乗り込み、船が出港した。真と勝志は、院長やカレン、子供達から離れ、デッキへ出た。
そして、誰にも見られていない事を確認し、海へ飛び込んだ。
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島育ちの真と勝志は、沖へ出た船から、アマリ島までの距離を、楽々、泳いで戻った。港には、まだ軍の船が残っているので、少し離れた岩礁地帯に上陸する。
そこにある小さな洞窟には、事前に自分達の荷物を隠してあった。二人は濡れた服を着替えると、小さくなっていく連絡船を見送った。
真は、ウィーグルと合流する前に、軍隊の様子を観察した。幻獣の襲来に対し、彼らがどんな風に対応するのか興味があったからだ。
しかし、彼らは、アマリ島で防衛戦をする気はないらしく、日が暮れる頃になると、呆気なくアキナ島の本隊に合流する為、島を去って行った。
真と勝志は、島民がいなくなった集落を眺めていた。あれ程出て行きたいと思っていた小さな島に、自分達が最後に残っているのは、可笑しな気分だった。
「ウィーグルだ!」
人のいなくなった島の上空を、ウィーグルが、文字通り羽を伸ばして飛んでる。
途中、真と勝志に気付き、二人の上空を旋回した後、森の中のツリーハウスがある方へ飛んで行く。二人も顔を見合わせると、解放感を味わいながら幻獣の後を追った。
「軍隊は君を見逃してくれたの?」
ツリーハウスに着いた真は、何時もの止まり木に座ったウィーグルに聞いた。
「そういう取引きをしたのだ。ここを狙う幻獣達の情報を教える代わりにな」
ウィーグルの目的は、始めからそこにあったらしい。
ウィーグルは、人間にわざと見つかった上で、この海域にやって来たのだ。そうする事で軍隊を誘導し、戦争回避を狙う。
物静かな性格にしては、やる事が大胆だと、真は思った。
「あの道着の人と取引きを……。何者なの?」
「彼は……そうだな、幻獣と戦う専門家と言った所か」
――槍を持ったあの男が?
真は意外に思ったが、どんな技能を持っていようと、その男もこの島を見捨ててしまった。後は、自分達とウィーグルとで、どうにかするしかない。
「幻獣はどれ位の数が来るの?」
「ウィーグルは戦うのか?」
真と勝志が聞く。
「最終的な数は分からないが、戦うつもりは無い。彼らを率いている、ラウインという幻獣を説得する」
真はグリムという名の幻獣が、かなり好戦的だった事から、戦いが起こらない補償はないと思った。何といっても彼らは、人間相手に戦争を仕掛けようとしているのだ。
「僕らに何か出来る事はない?」
真は、少しでも力になる方法はないかと考えていた。しかし、ウィーグルは穏やかな表情で答えた。
「いや、心配するな。仮に戦いになっても私は負けない……!」
その夜、真と勝志は、ウィーグルの背に乗って、待望の空中遊泳を楽しんだ。重力などないように、自由自在に空を飛ぶウィーグルの背に乗っていると、胸が高鳴った。
ウィーグルは、幻獣の不思議な力については、自分でも説明が出来ないものだと言う。しかし、それこそが、幻獣が幻獣たらしめる要因なのだろう話した。
真は、少し納得がいかなかったが、勝志は、女子のカップサイズを見抜く自らの特技と、似たような力かも知れないと、謎の解釈をしていた。
二人と一体は、夕食の魚を釣り、焚き火を囲ってそれを食べ、満天の星と美しい月々を見ながら、談笑した。
故郷の島から一歩も出ていないにも関わらず、真は別世界にやって来たような、不思議な気分に浸った。
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カーネル諸島の一番外側にある無人島に、突如、複数の影が飛来する。月影がその姿を照らし出すと、どれも既存の生物とは違う、特異な姿をしているのが分かった。
幻獣の軍勢が、島の海岸に降り立った。
「ラウイン。……待っていたぞ……!」
先に島にいた幻獣グリムが、出迎えるように現れた。
「ニンゲン共はアキナ島を残し、退避したようだな」
ラウインと呼ばれた幻獣が、遥か先にある他の島々が見えているかのように、海の彼方に目を向けながら言った。
この幻獣は、伝説上の獅子に酷似している。
鬣を始めとした全身の毛が、太陽を連想させる黄金色で、眉間の辺りを横切るように、三本の傷跡があった。威厳のある声をしており、飛来してきた幻獣達は、皆、彼に従っているようだ。
「ウィーグル・アルタイルが余計な事をしたのだ」
「構わん。我らの目的は中央に入る事だ」
グリムが憎々しげ報告するが、ラウインは意に返さなかった。
ラウインが、率いてきた幻獣達に告げる。
「夜明けと共に進軍を開始する!」
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空が白み始め、真は目を覚ました。
ウィーグルは既に、港の反対側の岸にいて、海の方を眺めていた。ここから見える海は、カーネル海を抜け、その先の大海へと続いている。
太陽の光で、星や月が朧になるのに連れて、真は現実に引き戻されるような、嫌な感覚がした。
避難船は、とっくにアキナ島に着いただろう。真と勝志がいない事に気付いた院長達は、大慌てになったに違いない。
しかし、真は今更、後戻りはしたくなかった。
だからこそ、改めてウィーグルに聞いた。
「戦争になるのを阻止できたら、今度こそ一緒に島を出てくれるよね?」
真はウィーグルを見た。
しかし、ウィーグルは、真の方を見ないまま答えた。
「真、私に翼があるように、君にも翼がきっとある。私の事は構わず、君は君の力で羽ばたき広い世界を見るといい」
ウィーグルはそう告げると、大きな翼を広げ、昇る太陽に向かって海へと飛び立った。