三十六話 華国青龍地方の戦い㊁
アスラを砦で迎え撃つ決定をした白兎隊であったが、程なくして敵は、次の一手を打ってきた。
南の小山、千里山に布陣したアスラ軍から、二体の幻獣が、わざわざ砦からも見えるように浮上して離脱し、何処へ向かったのである。真は、その内一体が、甲殻類のような姿の幻獣、カルキノスである事に気付いた。
「何だ!? どこへ向かった?」
「方角からして東は……」
「何がある!?」
隼人が急いで軍の人間に地図を確認させる。
万里周辺の集落に住む民間人の避難は既に完了していたが、発電所などのインフラ施設、軍事施設、港など、人が残っている場所はまだ存在する。二体の幻獣は、そういった場所を攻撃しに向かった可能性があった。
「まさか敵さん。あそこに棲家を変えて、同じことを繰り返す気じゃ?」
ベンが可能性の一つに気付いた。
「罠かもしれない」
隼人は警戒した。迎撃に幽玄者を裂かせた所、本隊で砦を攻める気かもしれない。
しかし、どの道、誰かを迎撃に向かわせなければならない。隼人が判断を迫られていると、真が名乗り出た。
「僕と勝志で行きます。二人減るくらいなら砦の守備には対して影響しない」
「お前らが?」
ベンが驚く。隼人は焦った。
「待て、あの二体はカルキノスとミーゴと言ってかなりの強敵だ」
「ならラッキーじゃないですか? 今度は向こうの主力を本隊から引き離して、やり返してやりましょう」
真が軽い調子で言った。
周囲は驚いている。真の提案は、自分と勝志を、囮にするようなものであるからだ。
「駄目だ。せめてベン……いや、僕が行こう……!」
「私らだって構わないよ!」
隼人が拒んだ。女性だからと遠慮されたと思ったアヤメも、りぼんの隣りで名乗り出た。
しかし隼人は、危険な役回りを他者に任せられないと考えた。
「部隊長が隊を離れてどうする? それに、こうゆうのはガキにお似合いな役なんだよ。やらせよう。意外と上手くやると思うぜ?」
そこへ、皮肉混じりの声が割り込む。幻獣、ヒュドラーが封印された、巨石の見張りに就いていたガイだった。ガイは、アヤメとりぼんの後ろに急に現れると、二人のお尻をポンと叩く。
「ちょっと!」
「何するんですか!?」
「ガイ!? そっちの様子は?」
「おう、それを報告に来た。岩に亀裂が入った。明らかにアスラの進軍に呼応している。奴さん、いつ這い出て来るか分からねぇ。……てな訳で、戦闘が始まろうがオレと十兵衛は張り込み続けるぜ!」
「……っ」
隼人の焦りが更に募る。ヒュドラーを封印している巨石は、十年以上、ヒビ一つ入った事はなかったと聞いている。完全に危険信号だった。
「アスラは、ヤツが目覚めるまで時間稼ぎするつもりかもしれねぇ。睨み合いもその時までだ。オレも十兵衛も動けねぇ。砦の守備も減らせねぇ。最低限の戦力で対処すべきだ、部隊長。つーか、ベンじゃ、あの高さを追えねぇだろ」
ガイが言った。何時になく冷静な口調だ。侮られたベンが「俺だって飛ぼうと思えばな……っ」と赤ら顔になった。
隼人は、まだ判断ミスを恐れているようだったが、敵を追う以上、急がねばならない。
「分かった……! 真、勝志、行け! ……くれぐれも気を付けるんだ。仕留める必要はない……追い払えれば十分だ!」
隼人が決断を下す。まだ悩んでいるように見えたが、真は迷う事無く「謹んでお受けします!」と応じ、勝志は「ありがたきしあわせ!」と応えた。
真と勝志は、それぞれ武器を装備し、白兎隊の羽織りを靡かせ、東側の砦の傍に来た。二体の幻獣は、既に彼方へと消えていたが、不思議とこっちを待ち構えているような気がした。
真は勝志を見た。勝手に「自分と勝志が」と言ったが、この判断は恐らく、自分達の人生の中で、最も無謀な行動に違いない。
強敵に対し、味方の援護がほぼ望めない場所に自ら向かい挑むのだ。二人を見送ったりぼんの表情が、完全に死地へと向かう人を見送るそれだったのが、いい証拠だ。
しかし、勝志は、逆さに手紙を読んでいる時と同じく、何も考えていないような表情をしていた。真は微笑した。肝の据わり方は自分以上だろう。
「勝志……」
「ん?」
「人生は一度きりだけだ」
真も些細な緊張を忘れ、子供の頃、初めて嵐の海へ出ようとした時の気持ちを思い出す。
「だったら……」
あの頃は、未知の世界に挑む事にワクワクしたものだ。そして今は、そんな世界にいる幻獣が、わざわざ自分達を待っている。
「だったら、冒険しよう……!」