二十八話 黄竜山㊁
真は、超が教えてくれた、宝剣が納めらている山、黄竜山の頂を目指した。黄竜山は、青龍地方、朱雀地方、北の玄武地方、西の白虎地方の中央に聳える、世界一標高が高い霊峰だ。
万里から山頂までは、かなりの距離があったが、真は、神足の空中移動で駆け登り、一気に山の中腹までやって来た。しかし、暫くして異変に気付き、山道に着地する。
――変だな……。
入山前は、麓から山頂が見える程、天気は晴れていた。しかし、突然、周囲が霧に覆われ始めたのだ。更に、この霧は視界は勿論、森羅ですら見通す事ができない、不可解なものだった。
――山が生きているっていうのは本当かもね……!
真は、登山前に超が言っていた事を思い出した。
「―頂上までどのぐらい掛かるかな? まぁ、神足で行って帰って来るくらい楽勝か」
「一人で行くのか? おれの分も頼むぜ」
「そんな何本も、宝の剣はないさ。勝志は留守番。敵が何時来るか分からない」
剣の話を聞いた真は、直ぐに黄竜山に向かう事にした。世界一高い山だ、一度くらい登ってもみたい。
「フン、一人欠けた所で万里は落ちぬ。わしが守りに就く以上な。寧ろ心配なのはお主じゃ。気を付けろ、あの山は何人も人を寄せ付けぬ秘境じゃ。生半可な覚悟で登ってはならん」
珍しく真剣な表情の超が、真に警告した。
「大丈夫さ。幽世に入れば登山の装備もいらない」
真は気楽に言った。山道がどんなに険しかろうが、飛べば無関係な上、気温なども、幽世に入れば無視できる為だ。
しかし、そんな安直な考えの真に、超は首を横に振る。
「あの山は唯の山ではない。危険だとか、神聖だとかではなく……生きておるのじゃ。……本来、あの山はこの地に住う仙人……幽玄者の事じゃが、修行の時のみ入山が許さる場所。幻獣ですらあの山には棲み付かん」
「幻獣ですら?」
真が言った。人が入れないような場所は、彼らにとって格好の棲家と成り得る筈だ。
真の疑問に、超はこう言った。
「入れば分かる。敵わぬと感じたら引き返す事じゃ―」
霧は、まるで真の進行を妨げるかのように、あっという間に深くなった。視界は足下が朧げに見える程度になり、森羅で把握できる範囲も、同じくらい狭まる。
既に気温は氷点下を下回り、生身の人間は耐えられないだろう。真、自身も、幽世にいられる時間内に剣を手に入れ、下山しなければ危険である。
しかし、これだけ何も見えないと、自分が何処にいるのかすら分からない感覚に陥った。真は、迂闊に地面から離れるのも危険と判断し、多少時間が掛かっても、足場の悪い山道を登る事にする。
――引き返す? 馬鹿言っちゃいけない……!
真は持ち前の無鉄砲さで、濃霧の中を突き進んだ。
「なぁなぁ、爺さん。真だけずるいぜ。本返してやったんだろ? おれにも何かくれよー」
真が山に入るのを見送った後、超と共に帰りを待つ勝志は、自分も特別な物をねだった。
「なんじゃ! お主は我慢せい。大体、盗んだ物を返しただけで、何でこっちが礼をせなならん! ん? 本は壺に入ってた物……じゃなくてお主のじゃった……お主は返したんじゃなくて交換じゃろ!? 嘘を貫け! ……ああー面倒くさい! エロ本は元からわしのものじゃー!!」
超は白状した。しかし、既に真にはお宝を手にするチャンスを与えた。勝志に何もないのは、確かにちょっと不公平だった。
「一冊譲ってくれてもいいんだぜ」
「ぬ? これはだけはやれん!」
超は、エロ本だけは渡さないとばかりに、勝志から遠ざかる。しかし、本の中の、官能的な姿の翠の所為か、超の機嫌は普段より穏やかだった。懐に本を仕舞うと、代わりに鈍色をした防具を取り出す。
「まぁ、実はお主にも用意はあるわい。ホレ、コレじゃ」
「おぉ! 何だコレ?」
「グローブじゃ。大した物ではないが、タダでやるのじゃから文句は言わせんぞ?」
超は偉そうにしながらも、懐の広さを見せた。
勝志は、早速、両手にグローブを装着した。指の付け根から第二関節までと、手の甲を二つの平たいパーツが覆う。鉄拳と手甲を合わせたような作りだ。
「そのくらい体に密着していれば、特別意識せず道連れにできるじゃろう?」
「なるほど、コレでパンチすれば良いのか!」
「威力が上がる補償はない。じゃが、攻めるにも守るにも、それがあれば不用なダメージを受けずに済む筈じゃ」
勝志は、新たな装備を嵌めたままパンチを繰り出した。これなら特殊な技術がなくとも使い熟せそうだ。
「いいな! ありがとう爺さん! 超・破壊って名付けるぜ!」
勝志はそう言って、超にパンチを放つ。
「ぬわぁああ! わしを破壊するなぁ!」
お気楽な勝志は、超が言ったにも関わらず、これだけでパワーアップした気分になっていた。
不意に転がって来た岩を、真は回避した。しかし、今度は足場が崩れ、体勢を崩す。神足を使えば滑落する心配がないとはいえ、油断は禁物だった。真は、より集中して山頂を目指した。
森羅が効かないこの山は、他にも不思議な事があった。山肌を形成する岩や岩壁が、空蝉を持ってしても破壊できないのである。しかし、そうにも関わらず、先ほどのような落石や崩落は発生した。
この山の事象は、あくまでも山の意志で起こるのである。
――全く、面倒な所に……!
剣を納めた人を恨みながらも、真は楽しい気分だった。
この山は、まるで巨大な幻獣だ。幽世の中にいる為、感知できず、干渉を許さない。登山者を返り討ちにしようとする難敵である。
真は、この強敵に打ち勝つ。そんな気持ちで一歩一歩を進んだ。
気温が益々、下がり、酸素が薄くなる。標高八千メートルを超えると、まるで、地上から隔離された空間のようだった。こここそ、幽世の深部といったところだろう。
真の精神が、剣を求める野心と、無心に山を登る、相反した境地に達する頃、山道が緩やかになり、やがて山頂に辿り着く。
登る。という行為が必要なくなった時、突如、濃霧が消え去り、視界が晴れ渡った。頭上に満天の星空が広がる。
真は何時もよりも、遥かに星空に近い世界にいた。手を伸ばせば、星や月に手が届くかのようだった。眼下は、不思議な事に、広がる大地がどこまでも見渡せる。小さく見える万里に異変はなく、至って平和な様子に彼は安堵した。
真がこの光景に目を奪われていると、ふと、岩壁から続く小道の先が気になった。霧がなくなったとは言え、森羅はまだ効かない。真は剣の正確な在り処を聞いていない為、山頂を地道に探すつもりでいた。その為、これはまるで、あちらが真に呼び掛けたかのようだった。
山頂から続く岩塊の天辺。
そこに、月明かりを反射して煌めく、宝剣が刺さっていた。