二十一話 門出
「―拒否する。俺は貴様を殺す為に此処まで来た……。交渉の余地は無い!」
「グリムの気配を感じ取っただろう? 我々は動き出したのだ。一幻獣に固執している場合では無い筈だ」
星々の輝きの下、アマリ島の森の中で、緊迫した空気が張り詰めている。
バン・ランジは、悲願であるウィーグル・アルタイル討伐を叶えようしていた。相手は、幻獣同士で諍いを起こしているようだが、そんな事は関係ない。
「お前は覚えていないだろうが、お前は俺の家族の仇だ。復讐を果たす事……。それだけが俺の存在意義!」
ランジは、荒ぶる感情を込めるかのように槍を構えた。今にも攻撃に転じようとする男を、ウィーグルは悲しい目で見つめる。
「そうか、君はあの時、家族を守ろうとした―……。私は君のお陰で己の愚かさに気付けた。……しかし、少し遅かったらしいな……」
ウィーグルは、気持ちを整理するように少し俯いた後、ランジに向き直った。
「いいだろうニンゲン。……ただし、私に猶予をくれ」
「逃げる気か……!?」
「お前がどうしてもこの場で私と戦おうと言うのなら、それも考える。だが、私にも果たさねばならない事がある。それまで生きねばならない」
ランジは、何時も以上に険しい表情のままで動かない。しかし、自分の命を狙う敵を前にしても、臨戦態勢に入らない幻獣に対し、やがて構えを解き、ぶっきらぼうに聞いた。
「……情報とは何だ?」
「戦争の再開を企てている者達がいる。既にラウイン・レグルスが新たな軍隊を組織した」
「ラウイン・レグルスだと!?」
「ああ。細かい戦力を教えよう。……それと、奴らは中央を目指している。お前達はここを放棄し、戦闘を回避しろ」
ランジは、ウィーグルの話を黙って聞いた。
確かにこの話が本当ならば、直ちに手を打たねばならない。しかし、長年追っていた仇を目の前にし、彼は、私怨と立場との間で揺れていた。
「私はこの戦争を止めたい……! 我らとヒトは歩み寄れると信じている……!」
ウィーグルが、確かな意思を感じさせる瞳を向けて、静かに言った。
「事が済めば、私の首はお前にくれてやろう」
「……」
ランジは、鋭い瞳でウィーグルを睨んでいたが、仇の意外な目的を聞き、この場は私怨を捨てる事にした。
「情報提供の代わりに見返りを欲しがっていたな? 何だ?」
ランジが硬い表情のまま聞いた。
「頼みは二つあったが……もはや一つでいい」
ウィーグルは、自分の意志を尊重してくれた相手に敬意を表し、穏やかな口調になった。
「この島にいる少年を二人……名は真と勝志。……彼らを拾ってやって欲しい」
「!?……どういう事だ?」
ランジは、相手の予想外の要求に困惑した。
「幽世の才がある。きっと役に立つだろう」
「幽玄者、二人を……!? それで情報を売るのか? ……お前に何のメリットがある?」
ウィーグルは、ランジの疑問に笑うように答えた。
「私は己の利益で行動するつもりは無いのだ。ただ、少年の冒険の後押しをしてやりたい。……それだけだ」
「……」
ランジが、相手の行動をとても理解できないでいると、幻獣はこう付け加えた。
「あの調子ではこの広い世界で、何時死んでしまうか分からない。私が面倒を見てやってもいいが……生憎、君に命をくれてしまう以上、それは叶わないのでな―」
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「そっちはどうだ?」
「あらかた仕留めた」
嵐が続くアキナ島で、白兎隊のガイが、仲間と合流し状況を確認し合っていた。
「オレはこのまま見張りに就く。ヤツらはしぶてぇぞ! ……念の為、倒れてる幻獣は全て首を刎ねておけ!」
ガイは、頭部の傷から滴った血を拭い、警戒にあたる為、海岸へと飛んで行った。
白兎隊も負傷者を出し、疲弊していた。軍が怪我人を運び、被害状況を確認している。港に近い浜辺で、駆け付けた軍人達が、ランジの亡骸を運んで行く。
真は、呆然とその姿を見送った。
グリムを討ち取った十兵衛が、無線で仲間と通信している。アキナ島に攻め込んだ幻獣は、全て倒すか、撤退に追い込んだようだ。
戦いは終わった。だが、勝利には相応の代償を払った。
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「派兵を感謝するぞ。ケートス」
「何、儂は時勢が動く時、その渦中に居たいのだ」
「既にツァルコアも此方に向かっている。アステリオスも使者を寄越した」
カーネル海の海底洞窟で、ラウイン・レグルスが何者かと話している。円形の洞窟内には、ラウイン以外の姿はないが、空間の中央に座る彼には、会話の相手が見えているようだ。
「しかし、僅かな兵でよくぞ挙兵したものよ」
「彼らは死して英雄となった。戦火は燃え盛る。闇の夜は終わりを迎えるのだ」
ラウインは、アキナ島に攻め込んだ同胞達を讃えた。
最初に中央に集った幻獣は、殆どが斃れた。しかし、彼らは幻獣とヒトとの戦争が、再び始まった事を確かに世界に知らしめた。彼らによって、時は満ちた。
ラウインは軍勢を迎える為、立ち上がった。
カーネル海には、この新たな戦争に参加しようと、数多の幻獣が集結していた。
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嵐の一日が終わり、夜が明けた。
死祖幻獣軍の攻撃を受けたアキナ島は、街が破壊され、森の木々が薙ぎ倒され、景色が一変している。
真は、野戦病院と化したグレイス邸のベッドに横たわっていた。
隣のベッドに運び込まれていた勝志は、朝になると普段通り目を覚まし、今は朝食に食らい付いている。昨日の事は、少し記憶が飛んでるらしいが、医者によれば至って元気との事だ。
真も、打ち付けた背中がまだ痛んだが、伊達に幽玄者となった訳ではない。動こうと思えば、動けるまでに回復していた。
しかし、目の前の事に必死になれた昨日までと違い、今は気分が乗らない。
真は、ぼうっと天井を眺めていた。
――これからどうするか……?
不器用ながらも、自分達を指導してくれたランジが戦死してしまった今、真はウィーグルを失った時と同様、道を閉ざされたような気分だった。
浮かない顔をした自分が映る窓に、真は目を向けた。
外の港には、物々しい数の軍艦が着港している。全て、プロヴィデンスが派遣したものだ。
その中の一隻に、一般市民が次々に乗り込み、最初の避難船が出港しようとしていた。Tシャツにミニスカートといった、サンゴの家にいた頃を思い起こさせる、質素な格好をしたリズの姿が、小さく見える。未だ、此方の事を気に掛けているでのであろうリズは、グレイス邸をチラリと振り返っていた。
リズは、真と勝志が昨日の戦闘に参加した事に対し、大層ご立腹だった。
「結局、あなた達は私の言うことなんて聞かないって訳ね? 小さい頃から少し外に行くだけとか言って、冒険に出てばっか! 挙げ句の果て今後は戦争!?」
真と勝志を、どうしても一緒に避難船に乗せようとするリズに、二人は共に行く気がない事を伝えた。
しかし、リズは引き下がらない。
「確かにもう成人だしっ、幽玄なんちゃらはその、なんちゃら隊に入らないといけならしいけどっ、命の保障がないわ! 全くあの男、そこだけはよく頼んでおいたのに……!」
怒りで、しどろもどろなリズに、真は切り札を出した。
「でも、リズ姉だってカフェで働いてるって、嘘付いてたじゃん」
リズの顔が、怒りとは違う理由で赤くなった。
「うっ……は、初めはカフェで働いたのよ! ……だけど、スカウトされて、あのバーに……。給料良かったし……」
リズが、言い訳するように言った。真と勝志は、透かさずお世辞を言う。
「でも、人気あったんでしょ?」
「リズ姉は美人だしなぁ」
二人の言葉に、リズはうっかり怒りを忘れ「まあね」っと色っぽい顔をした。しかし「やっぱ、変な店なんじゃん」「お陰でリズ姉の胸大きくなったよな」と言う呟きが聞こえてしまい、無為にしてしまった。
結局、リズは納得しなかったが、最後は根負けしたようだった。
「私はこれから院長に合流するわ! きっと苦労している。あなた達のことは、私から伝えます! ……この島に残るって訳じゃないみたいだし……。いいわっ、もう好きにしなさい!」
怒りを通り越して、飽きれた様子のリズは、そう言って部屋から出て行こうとした。
しかし、ドアの前で立ち止まると暫く俯き、顔を向けずに言った。
「……でも、何か困ったことがあったら……また私を頼りなさい。私は……あなた達のお姉ちゃんなんだから……! それと…もう院長を心配させないのよ!」
最後の言葉は、少しくぐもって聞こえた。
リズが最初の避難船に乗れたのは、真が白兎隊を通して融通を効かせた為だ。ガミガミ言われるのが面倒なので、厄介払いでもあったが、真なりの御礼のつもりだった。
リズの乗った避難船が出港した頃、ノックもなく部屋のドアが開き、一人の男が入って来た。白兎隊のガイだ。
「よぉガキ共。入院生活は楽しいかぁ?」
相変わらずガラの悪い男だったが、意外にも、リズの乗る船を融通してくれたのは、この男だった。
「プロヴィデンスからの援軍が来た今、オレらはシマに帰る。別の任務もあるんでな」
ガイは、部屋に入ると腕組みをしたまま、独り言のようにそう言った。ベッド脇に掛かっているランジの羽織りに目を止めて、今度は思い出したかのように言う。
「テメェらで幻獣一体をどうにかしたらしいじゃねぇか。中隊の奴らが言ってたぜ」
羽織りを摘んだガイは、ククッと笑った。
「結局、副長の判断は正解だった訳だ。代わりに女に怒られたが……」
参ったというように言い、羽織りを手放す。袖を通す者がいなくなった羽織りは、微かにはためき黙する。
「あの人はテメェらに自分を重ねていたのかもな」
ガイは、一瞬もの思う顔になったが、直ぐ何時ものヘラヘラした表情になった。
「まぁ、副長がいなくなった今、その推薦のテメェらは行く宛が無くなっちまったって事か。でも、幽玄者は何処の国でも引くて数多だ。好きなトコへ行くといい。……別にウチに来ても構わねぇが。ハッハッハッ。じゃ、艦が一時間後だから、あばよ!」
そんな事を言い残し、ドアも閉めずにガイは去っていった。
残された真と勝志は、顔を見合わせた。二人は急に、大人しくベッドに座っている自分達の姿が可笑しくなった。
居ても立っても居られなくなった二人は、飛び起きる。安静にするように、と言った医者の言葉は、当然、無視だ。
真は、ベッド脇の荷物を肩に掛け、勝志と共に部屋を抜け出した。
カーネル海は、嵐が去っても依然、荒れ模様を描いている。
真と勝志は、激しい波風に晒されている港へやって来た。港には、国際連合軍直属の軍艦が整然と並んでる。
もっとも、これだけの艦隊を揃えても、結局、幻獣と直接渡り合えるのは幽玄者しかいない。住民の避難が完了次第、アキナ島も完全に放棄される事となっていた。それでも真と勝志は、少年心をくすぐられる光景に、クルクル周囲を見回しながら港を歩いた。
二人が、白兎隊が乗り込んでいる艦までやって来ると、ガイが待ち構えていた。
「この艦にガキは乗れないぜ?」
「子供じゃないさ……!」
真は、揶揄うガイの前で、肩に掛けてきた、ランジの羽織りを着て見せた。
「白兎隊の登張真さ!」
「同じく勝志だぜ!」
羽織りを着ていない勝志も、堂々と名乗った。
「ハッ、こんな生意気な仲間いたかな? ……まぁいいか。そのツラの皮がどれだけのモンか、試してやるよ!」
ガイが、意地の悪そうな顔をしながらも、乗艦を許可すると、二人もしたり顔を作った。
真と勝志が、軍艦に乗り込もうとした時、港の入り口から二人を呼ぶ声が聞こえた。
「真! 勝志ー!」
「おっ、見送りが来たぜ。また女かよ。テメェら隅に置けねぇなぁ」
ガイが茶化する。二人が振り返ると、一人の少女がピンクの髪を靡かせながら、此方に向かって駆けて来るのが見えた。
「ラーラ!?」
ラーラは、両手に花束を抱えていた。途中、港に吹く強風に煽られ、パンツはおろか、おへそが見えるまでワンピースのミニスカートがまくれるが、それでも懸命に走って来る。
「はぁはぁ……お部屋に行ったらっ……もう港に行ったって言われて……!」
二人の側まで来たラーラは、息を切らせながら言った。
「悪りぃ。別れの挨拶をするのが辛くてな」
勝志が格好を付けた事を言うが、家出癖のある二人は、コッソリ出て行く予定だった。
「もう会えなくなっちゃうかも知れないのに、ひどいよぉ」
ラーラがしょげる。父親と一緒に母国のガリア国へ向かう船に乗る予定の彼女とも、この島で別れる事になる。
真は、せめてもの慰めとして、自分達の行き先を教えてあげた。
「―そこで僕らは白兎隊に入る。入って幻獣と戦う。……また、何時か会おう」
「うん……」
ラーラは少し俯いたが、何時ものように澄んだ瞳で、二人見つめた。
「……わ、わたしね、二人に逢えて良かった。ずっと自分は、人と違う世界にいる気がしてて、ひとりぼっちだと思ってた。……でも、幽世があったから、わたしは二人と出逢えた……!」
ラーラは、両手で抱えていた花束を二つ、それぞれ真と勝志に差し出した。
「ありがとう。これはそのお礼と……二人の門出を祝って!」
ラーラが頬を赤くする。真と勝志は、渡された花束を、少し照れくさそうに受け取った。
それは、買ったものか摘んできたものかは知らないが、何の変哲もない、カーネル諸島に自生する花だった。ただ、間もなく二人は故郷を離れる。それを踏まえると、特別な贈り物に成り得た。
真と勝志はそこまで深くは考えなかったが、彼女の素直な気持ちを、花束から感じ取った。
「ありがとう」
二人は釣られて、素直に御礼を言った。
「友達がいれば寂しくない。わたしは幻獣と戦う勇気はないけれど、わたしができることを見付けて頑張ってみるよ! パパにはナイショでね!」
ラーラが笑顔で宣言した。
彼女は、全てではなくとも、母を失った寂しさを埋める事ができたようだ。
艦が出航すると、真と勝志は艦尾から港のラーラに手を振った。ラーラも、大きく手を振り返している。
「じゃあな、ラーラ! 元気でなー!」
「ばいばい、二人共。……い、生きて、必ずまた逢おうねー!」
やがてその姿が小さくなると、真は手を振るのを止めた。
ふと、故郷の人達の事を思った。
皆と次に会う日は、何時なるのだろうか? もしかすると、二度と会えない可能性もあった。
そんな事を思いながら、真はアマリ島の方向を見た。アキナ島の影になり、もはやその姿は見えない。
風に乗り、何処からか声が聴こえた気がした。
――真、私に翼があるように、君にも翼がきっとある。私の事は構わず、君は君の力で羽ばたき広い世界を見るといい。
――真……世界は広い……。お前はもっと広い世界を見ろ。そして……自分が如何に小さな存在かを知れ……!
「―勝志……」
真が勝志に声を掛けた。もう視線はアマリ島の方を見ていない。
「冒険だ! まずは艦の中を探索しよう。軍艦なんて初めてだ!」
真は、気持ちが高まってきた。漸く自分の中の憤りから解放されたのかもしれない。
「おっしゃ! どっから見る?」
「まずは艦首まで競争だ!」
真は、そう言って勢いよく艦上を駆け出した。勝志が遅れまいと後に続く。
ずっと夢に描いた、広い世界だ。
真は、新しい冒険に胸を躍らせる。
少年は、新たな世界への翼を手に入れた。
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