二十話 義理堅い男
「大丈夫ですか?」
「ええ……勝志を頼みます」
真は、自分を気遣う兵士に、勝志を託した。勝志は、幻獣の下敷きになった為か、はたまた幽世で力を使い果たした為か、完全に伸びていた。
「気を付けろ! まだ動くかも知れない」
泥沼の窪地に下りた兵士達が、幻獣の亡骸を確認している。真は、刀とロープを回収し、この場を彼らに任せた。
――戦いはまだ終わっていない。
死祖幻獣軍は、環状攻撃と呼ばれる、幽玄者に対し数的有利を生かした作戦を取った。それにより、防衛ラインが幾つか破られ、軍に甚大な被害が出た。
しかし今は、個々に幻獣を撃破した白兎隊士が、救援に駆け付け、盛り返していた。幻獣達は打ち倒され、或いは撤退に追い込まれていたが、依然、油断はできない。
真は、神足による空中浮遊とロープを駆使し、戦場となった島を駆けた。泥塗れの体が、今だ収まる気配のない豪雨で洗われていった。
白兎隊士が、幻獣と交戦しているのを幾つか見掛けたが、真は、それらを後目にする。ラウイン・レグルスは、やはりアキナ島には来ていない。しかし、真は、身に覚えのある気配を、森羅で感じ取っていた。背筋をザワ付かせるその気配を辿って行くと、キーキーした音が聞こえてくるかのようだった。
港に近い砂浜まで来た時、真は、自分の直感が正しい事を知る。そこは、熱帯植物が、半分海に浸かるように生えている場所だが、木々の殆どが、糸で斬ったかのように綺麗に切断されていた。紛れもなく、幻獣グリムの所業だ。
木々の傍には、同様の被害を受けた兵士達の、直視できない死体も紛れていた。真は、燃え上がる感情を胸に、切断された幹の一本に着地する。すると、血に彩られた砂浜の先に、グリムと白兎隊士の姿が目に入った。
グリムと交戦している人物は、白兎隊の副長、バン・ランジだった。
ラウインに代わり、死祖幻獣軍の指揮を任されたグリムは、この場に展開していた軍の部隊を殲滅し、救援に駆け付けた白兎隊士二名を負傷させ退ける、一騎当千の活躍を見せていた。
グリムは、アマリ島で見せた前腕の鎌の一閃―ミチキリ―を、両腕をがむしゃらに振り回して乱射した。ランジは、音速で飛ぶ弓形の斬撃を躱す。或いは、鎌鼬に対し、槍を垂直に構えて防いだ。
不快な唸り声を放つグリムの身体には、ウィーグルに受けた傷が生々しく残っていた。真は、殆ど八つ当たりに近い事は分かっていたが、自らの雪辱も果たす為、怒りの矛先を彼に向ける。
真は、石付きロープを振り回して加速させ、グリムに投げ付けた。突然、死角から放たれた攻撃だったが、グリムは森羅で察知し、即座に躱して見せる。
「真か? ……何故来た!?」
グリムの猛攻が止み、槍を構え直したランジが、険しい表情をしつつも驚いている。
「苦戦してるみたいだったんで」
真が刀を構えながら、有りのままを言った。
「こいつの事は僕も知っています。幻獣の一体を勝志と倒した。僕も戦れる!」
「お前達が? ……余計な事を……!」
ランジが一層険しい表情をした。しかし、不足の事態に備え二人を鍛えたのは、無論ランジだ。結果的には、それが有用に働いたといえる。
「一分、堪えたら退却しろ!」
ランジが即決した。何しろ切迫した状況だ。
八つ当たりされる事となったグリムの方は、真の事など全く覚えていないようだ。新たに現れた幽玄者を、鬱陶しい蝿だというように腕を振り、ミチキリを飛ばす。
真は、何度も見たこの攻撃に、素早く反応した。以前は捉え切れなかった鎌鼬を森羅で捉え、神足で躱して見せる。思わぬ対処の良さに、グリムが虚を突かれる程だった。
その隙を逃さず、ランジが接近した。槍の凄まじい連続突きを、両腕の鎌で凌ぐグリムだったが、防ぎ切れずダメージを受けていく。手で槍を捕まえようとしたが、ランジが回転し、槍の柄を叩き付けた。
大柄なグリムの身体が横倒しに吹っ飛んだ。真は好機と見て、倒れた敵に飛び掛かった。
「待て!」
グリムがダウンしないことを見抜いたランジが警告したが、既に真は、勢いのまま刀を振り下ろしている。仰向けに倒れていたグリムは即座に反応し、飛び掛かる真に強烈な一撃を加えた。
真は、ギリギリで攻撃を止め鎌を防御したが、空中を軽々吹っ飛んだ。神足で制動を掛けようとしたが、間に合わない。
「が……っ!」
大木の一本に背を打ち付け、真は水に浸食された砂浜に転がる。衝撃で幽世から弾き出され、身動きが取れなくなった。
ランジが、再びグリムに接近戦を仕掛ける。
「くそ……っ」
真は、どうにか体を動かそうとしたが、ダメージで敵わず、再度幽世に入る事もできなかった。グリムにとって、飛ぶ斬撃は強力な武器だが、そもそも、それを放つ鎌の威力があってこそだ。真は、ミチキリを上手く避けた事で、敵の本質を見誤った。
今度はグリムが、その強みの鎌をめちゃくちゃに振り回し、ランジを守勢に回している。しかし、ランジもさる者、巧みな槍捌きでそれらをいなし、反撃の隙を作って見せた。
「爆竹槍!!」
ランジの必殺の一撃が、グリムの鎌と激突した。相打ちだったが、爆破の威力分ランジの槍が優った。
「ギャアアッ!」
グリムの左側の鎌が折れ、腕がひしゃげ、毛が肩の辺りまで焼け焦げた。
ランジが、透かさず攻勢に転じる。繰り出される刺突が、次々とグリムの身体に刺傷を与えていく。
真は、ランジの勝利を確信した。グリムも劣勢を察したのだろう、無事な右腕の鎌でミチキリを放って隙を作り、一か八かランジに噛み付こうと鋭い牙を剥いた。ランジは敵に槍の柄を噛ませ、それを防ぐ。
ランジとグリムは、そのまま激しい押し合いとなった。
「ギュルル!」
グリムが鋭い牙で槍を噛砕こうとした時、ランジがグリムに押し勝つ。グリムは再び転倒し、鎌の残る右腕を足で踏み付けられた。
反撃を封じたランジが、倒れたグリムに止めの一撃を放った。
「!?」
当たれば爆発するランジの必殺の一撃。しかし、それは不発に終わった。
真は、槍の穂先がグリムの身体に触れるか触れないかの所で止まっているのを見た。そして、ランジの背から、鋭い鎌の切っ先が突き出ているを見た。
グリムは折られた鎌を左手で拾い、最後の足掻きに突き立てていた。ランジの戦法から、突きの有効性を見い出したようだ。
ランジは、刺さった鎌で、そのまま胸を裂かれる。真がランジの敗北を理解した時には、彼は槍を落とし、砂浜に突っ伏していた。
「バン……!!」
真は、どうにか体を起こして、ランジに近付こうとした。
「ゼェ……ゼェ……ッ」
グリムも息が絶えだったが、ニヤリと牙を見せて、尚もランジに止めを刺そうとする。鎌を、首筋に振り下ろそうとした瞬間、何者かが高速でグリムに体当たりをかました。
「グッ……!」
ランジの側からはじき飛ばされたグリムが、新手を睨み付けた。救援に現れたのは、ギラリと光る仕込み刀を握った十兵衛だった。
十兵衛は、ランジの安否を確認する間もなく、牙を剥くグリムとの戦闘に入った。真はその間に、やっとの思いで這い擦って、倒れたランジの傍らに辿り着く。傷は、既に、赤々とした血で溢れている。
真は、一目で致命傷だと悟った。
救援に現れた十兵衛に対しても、グリムは容赦ない猛攻を加える。一騎打ちを制した今、感情が高ぶり、より力を増したように見えた。
十兵衛は、それらを逆手で握った刀でいなすが、斬り付けられるのも構わず鎌を振り回すグリムに追い込まれた。
劣勢の中、十兵衛は、敵の攻撃を躱した直後、唯一の武器である仕込みを投げ付けた。それが、グリムの鎌が残る、右腕に突き刺さる。
「グギッ……!」
更なるダメージを受けたグリムだったが、苦痛を怒りに変え、武器を手放した十兵衛に、左で持った鎌で反撃した。しかし、その攻撃はやや精細を欠く。
十兵衛は、敵の腕を取り、自分より遥かに大きい幻獣を、一本背負いの要領で投げ砂浜に叩き付けた。そして、怯んだグリムの腕に刺さったままの刀を抜き取り、振り下ろす。
グリムは、首を狙った十兵衛の刀を口で防いだ。鋭い牙の大半が切断されたが、辛うじて奥歯が刃を止める。
「ギュルルルル!!」
「ぬぅ……!!」
二者の戦いは、鍔迫り合いの様相となった。
真が、どうにかランジを介助しようとしていると、荒い呼吸をしていた男が静かに呟く。
「……こんな所で終わるとは……」
バン・ランジは、家族を殺され、幻獣を憎み、幽世の才に目覚めた。白兎隊に入り、ひたすら復讐の為に鍛錬を積んできた。
「……何をしているんだ……俺は……っ」
その幻獣が現れた時、自ら討伐を志願し、此処までやって来た。
だが―
「……真」
ランジは目の前にいる少年を見る。
こんな命懸けの戦場にやって来る愚かな少年。大切な存在を幻獣に奪われ、復讐に燃える、自分に似た愚かな少年……。
「人の力など小さい……。自分がどんなに力を手にしても、思い通りになどならない……」
バン・ランジは、仇の幻獣と遂に再会した。
しかし、相手は此方と戦う気など全くなく、取引を持ち掛けてきた。ランジが拒否すると、今度はあっさりと自分の命を差し出し、代わりに別の頼み聞いて欲しいと言う―
「真……世界は広い……。お前はもっと広い世界を見ろ。そして……自分が如何に小さな存在かを知れ……!」
この戦いは始まりに過ぎない。
あの幻獣は、広い空から対局を見据えていた。きっと自分の心も見透かしていたのかも知れない。
「バン……ッ」
薄らいでいく意識の中で、少年の声が微かに聞こえた。
結局、ウィーグル・アルタイルは約束を守らず死んでしまった。死んだ以上、取引など無効だ。
この無鉄砲で命知らずの少年に、新しい世界を見せてやって欲しいなど、更々聞く必要はない―
真はランジの意識が無くなり、その魂が破壊され、残された肉体が、文字通り亡骸となったのを感じた。
塞ぎ込む少年の心を沈め込むように、降り付ける雨が背中を叩く。
鍔迫り合いを繰り広げていた二者の戦いは、十兵衛の刀がグリムの牙を押し斬った。グリムの頭部が、顎を残した身体から外れ、砂浜を転がる。
アキナ島の戦いは、人類の勝利で幕を引いた。




